昨日、奈良県天理市の石上神宮の鎮魂祭に参列してまいりました。
鎮魂祭が行われるのは、コロナがあって実に三年ぶり。
今回初参加でしたが、自分的には2020年からのコロナの総括と、同じく2020年からの古神道と言霊の勉強の一区切りとして参列しました。
11月22日は大神神社にも参拝したのですが、こちらは午前から新嘗祭を執り行ってました。
22日に新嘗祭を行った神社は多いのではないでしょうか。
(石上神宮では鎮魂祭の次の日の23日に新嘗祭が行われます。)
鎮魂祭についてはこちら。
鎮魂祭は夕方5時から始まります。
この時間帯には、境内の神鶏たちはケージに入ってました。
日中帯の活発な神鶏たちはこちら。
始まる前の境内の雰囲気。
神鶏たちが集合した結界の中で、神官たちが祓いを行い、高皇産霊神と神皇産霊神を祀っている天神社、大直霊神などを祀っている七座社で例祭を行い、そして鎮魂祭が始まる、といった流れになっています。
例祭前の祓いが始まると、なぜかカラスの群が上空で旋回を始めて。
そして天神社と七座社に移動して、例祭が始まります。
すっかり日が落ちた中始まったので、神聖さが増した感じがしました。
天神社の扉を開ける時、神官の「おぉーーーーーーー」という声に合わせて、宮司がドアの開閉をするのですが、その「ギィィィ
」という音がなんとも神秘的でした。
そして始まるトータルで1時間30分の鎮魂祭。
その中で魂振の儀が核心部分なのですが、その前にあげていた祓詞が気になりました。
普通は祝詞に出てこない、饒速日の天孫降臨、そして息子のウマシマジの名前が出てくるのです。
石上神宮のサイトによれば、物部氏が編纂した「先代旧事本紀」の鎮魂呪法だとのこと。
隠された歴史が垣間見える、珍しい祝詞でした。
石上神宮内には、出雲建雄神の摂社もあるのです。
物部と出雲族の関係の深さをここでも証明してますね。
そして核心部分の魂振の儀。
宮司二人が御簾を降ろし、御簾の中で神事が行われます。
トントンと床を叩くと、境内内の灯りが全て消灯され真っ暗に。
宮司たちはロウソクの灯りだけで神事を執り行います。
祝詞と鈴の音が響きます。
神事が終了し、宮司が床をトントンと叩くと灯りが戻ります。
その後、参列者にも神が降りた榊で祓いが行われました。
核心部分はこんな感じでした。
例祭も鎮魂祭も撮影が禁じられていたので、その写真はないのですが、NHKが取材に入っていました。
近々「新日本風土記」で石上神宮の鎮魂祭を放映するようです。
御簾が降りてよく見えなかった、核心部分の神事もきちんと映像に収めてました。
私も参拝後に取材に捕まり、「なんで私にそんな質問するんだよぅ」ってような質問を受けて、要領を得ない答えをしてしまいました(笑)。
カットされていることを望む(笑)。
それよりもなによりもですね、、、不思議な出会いがあって。
始まる前に天神社を参拝していたら、七座社の裏から一人のおじさんがひょっこり現れて。
絡まれても面倒なので去ろうとしたら、「この摂社は何を祀っとるか知っとる???」と質問されて、つい答えてしまったら、おじさんが主祭神の布都御魂大神のことなどを、だーーーっと話し始めたのです。
聞けば中臣氏の子孫なのだとか。。。
もう一人参拝していた女性が巻き込まれ、彼女は令和の清少納言、私は令和の紫式部として、歴史を語り継いて欲しいと言われ、瀬織津姫の掛け軸を見せてくれたのです。
狩野一派が書いた掛け軸なのだそう。
彼女もまた、歴史の知識が凄かったですね。確かに清少納言かも。。。
中臣の末裔のおじさん曰く、「天照は男性でその奥さんが瀬織津姫。瀬織津姫は龍神とも言われている」。
瀬織津神は荒神でもあり、水の神でもあり、祓いの力が凄い。
天照よりも力は強い神なのですよ。
瀬織津姫=龍族
龍族ならば東北に縁が深いはずで、実際東北は瀬織津姫が祀られている神社がたくさんあった。
物部文書では、饒速日はまずは東北に天孫降臨した説がありますが、私もこの説が一番しっくりきます。
「なぜ龍神は記紀には出てこないのか?」という質問をしたら、「出てきたら天照が困るから」というふわっとした回答をいただきました。
龍神が表に出ると、國體側は困るということなのでしょう。
このおじさん、よくよく話を聞いたら、菅原道真の怨霊にころされたといわれる藤原時平の弟の家系なのだそう。
これから藤原氏の闇を暴こうとしているときに、その末裔に会う意味とは如何に。。。
そしてここでも出てくる道真公(笑)。
終了後、いつもらな直会があるそうなのですが、コロナで直会は行わず、頼んだ人はお弁当を持ち帰りました。
京都の老舗のお店の弁当。
帰りの特急電車の中で直会。
とても美味しゅうございました。
不思議な日でした。
令和の紫式部、これからも精進します(笑)。