最近までやっていたデータムグループさんの「The Shift ヒューマン2.0」が、最近終了しました。
データムさんなりのヤマト(弥生と言っていいと思う)の解釈と、天の川銀河と対になるアンドロメダ銀河、人間量子コンピュータになる方法、ヤマトの遺伝子をONにする(縄文ではないのです)、など盛りだくさんでした。
内陸の縄文人と、海洋民族になった縄文人を分けて考える部分が、どうしても違和感がすごくて受け入れられないので、その部分は保留中です。
それと天児屋尊と藤原氏を結びつけているのも違和感。
藤原氏、つまり中臣氏は、二千年前に日本に忍び込んだ、日本乗っ取りの刺客ではないのですか?と思うのです。
(vol.4をお待たせしたままになってますが、このブログ読者さんから新たなサイトを紹介されて、さらに深掘りしている最中ですので、今暫くお待ちくだされ。。。)
最近の弥生への移行期の歴史観の主流は、縄文人は渡来人=弥生人と調和的に混血した、って結論のようです。
理由としては「争った形跡がないから」なのだそう。
本当なんですかねぇ。。。
盛りだくさんな中で、データムさんの話を聞いても理解できなかった表題の件を、深掘りしてみたいと思います。
今までの2元論の2次元的解釈(平面であり直線思考である)を体現しているのが、我々が現在使用しているノイマン型コンピュータの演算の最小単位となっているのバイナリビット。
「0 or 1」の世界。
CPUの1ビットに1か0の値が入ることで演算を実現する。
これを我々の思考方法に当てはめてみます。
今までは二元論だったので、1か0の情報しかなかった(そう思い込んでいた、とも言えます)。
0を善、1を悪、と考えると分かりやすいかと思います。
一方量子ビットは、となると。
1量子はブロッホ球という球体で表現されます。
0 or 1なんてしみったれたものではなく、自分を中心点とした球体全部を扱うことになる。
球体全体=宇宙そのもの
と言っていいのかもしれません。
以下のサイト、日本語訳が変ですが(笑)一応紹介します。
量子コンピュータも最終的には0か1の情報を返すことで判断します。
さらっと読んだ感じでは、三次元の球体にx,y,z軸を設定して、0と1のどちらが出る確率が高いか、を判断してます。
せっかく1量子が球体で無限の情報を扱えるのに、なぜか最終的に0か1に情報を削って出力するのですね。。。
もったいない、というかその可能性を十分に生かしてないと感じるのは、私が素人だからなのか。。。?
この点が自分には謎なので、勉強せい!って話ですね。
さらに0と1の状態の量子ビットを任意の数だけ重ね合わせると、大量のデータが重なった複雑な状態を表現できるそうで、それを一気に計算できるのだとか。
さらに量子といえば「もつれ」。
もつれ関係にある2つの量子ビットの一方を測定すると、もう一方の量子状態も確定してしまう。
以下のサイトの比較図を見ると、いかに我々が情報や空間、つまり宇宙のごく一部しか使っていなかったかが実感できます。
色々な種類の0と1を与えられた状態から、どの0ないし1を取り出すかが、今までの二元論の状態とします。
(タッチパッドで指だけで描くとこうなった。。。)
球体で全体を無限に自由に使い判断するのが量子的あり方、といったところでしょうか。
さらに重ね合わせた情報を同時に一瞬で処理する。
さらに一人が達した高い状態が、量子もつれを介して集合意識に反映され、他の人もそれをダウンロードして労せず能力を手に入れる、、、とか。。。
(消しゴムで消しきれず、ゴミのような点が残ってしまった。。。)
量子ビット的あり方を勉強し始めたばかりなので、今日はここまでということで。