タイトルにした一見関係のなさそうな単語同士に、実は深い関係があるという、今回はそんな話になります。

何ヶ月も前に下書きしたのに、発表はなぜか今日という(汗)。

やはり私は遅筆なのだろうか・・・

近日10年ぶりに出雲に行くので記念投稿です。

 

 

当時大ヒットだった「もののけ姫」。

1997年の7月に公開された映画。

当時は密かなアニメブームで、同時期に公開されていたのが、庵野秀明監督の「The End of Evangelion Air / まごころを君に」。

テレビシリーズから続く問題作「新世紀エヴァンゲリオン」の完結編でした。

渋谷で並んで公開初日に見ましたよ。

今思えば人生で一番アツい夏だったかもしれない(笑)。

(私のアツさはその程度ですw)

 

 

宮崎監督と庵野監督は師弟関係みたいなもので、当時は師弟対決と煽る人もいましたね。

割と対称的なお二方。

映画のキャッチコピーも対称的。

「もののけ姫」のキャッチコピーは「生きろ。」。

エヴァのキャッチコピーは「だからみんなしんでしまえばいいのに。」。

 

しかし一点だけ共通点があって、物語の終着地点が二項対立的なはっきりした終わり方ではないこと。

量子ビット的終わり方とでも言いましょうか。

 

学生の頃の未熟な自分だと、エヴァの方に共感してましたが、今となっては「もののけ姫」の話の構成の奥深さにただただ驚嘆です。

宮崎監督の作品の中では、「千と千尋の神隠し」と「もののけ姫」が甲乙つけがたい感じで、私の中ではツートップで好きです。

 

 

当時学生だった私のゼミのテーマが「共生」。

異形のもの(フリークスなど)や業病、自分と違う人々、マジョリティとマイノリティ、の共生を考える。

大きく捉えるとそれがテーマのゼミでした。

 

実は「もののけ姫」も、自然と人間、見捨てられた人との共生がテーマなのです。

共生がテーマなので、主人公のアシタカはマジョリティの大和人ではなく、マイノリティの蝦夷なのです。

アシタカは、山の神々(サン)と人間の間に立ち、人間に自然との共生を訴えかける。

エボシは社会から見放されたような人に、タタラ場で働いていてもらい共生していた。

なので、主人公はもちろんアシタカなのですが、サンとエボシも主人公であるのです。

登場人物の中では、実はエボシが一番共生を体現&実践していたのですね。

 

 

さらに「アダルトチルドレン」という心理学のキーワードが流行っていた時代。

エヴァといえば、庵野監督も「自分はアダルトチルドレンだ」と公言して憚らなかったし、登場人物も基本全員アダルトチルドレン。

政治学に社会学と心理学的な方面からもアプローチする先生だったので、当然「アダルトチルドレン」も守備範囲の一つ。

なので、夏のゼミ合宿では「もののけ姫」と「エヴァ」の議論が、夜中まで続いたわけです。

楽しかったし懐かしいわぁ。

 

 

宮崎監督も恐ろしく幅が広い確固とした知識を元に物語を展開しますし、庵野監督も世界観構築のため細かいネタを作品に入れてきます。

二人の作品を理解するために、学生で暇だったのも手伝って、相当本は読みました。

あの頃に読んだ本が、自分のベースとなり、今でも人格、振る舞い、考え方に大きく影響していますね。

エヴァだと「死海文書」と「人類補完計画」がキーワードだったので勉強したのですが、思えばこの頃に「スピリチャル&世界の奥の院」に傾倒していく下地ができたんだわ。

 

 

前置きだけで相当長くなりましたが(汗)、本題に入ります。

 

 

TOLAND VLOGさんから。

もののけ姫考察の回。

 

 

 

時代設定は、室町時代。

当時アニメージュとか読み漁っていたので、間違いない(笑)。

場所も中国地方。

当時アニメージュとか読み漁っていたので、間違いない(笑)。

乙事主が九州から来てるので、諏訪だと大和を抜けないと辿り着けないのと、遠すぎるのとで、中国地方でしょう。

 

アシタカの故郷と思われる場所(青森か)には、出雲族(蝦夷)が、まだ縄文の頃の風習を残したまま暮らしていた。

その出雲族は大和朝廷以前の日本で製鉄の技術を持っていた。

(製鉄技術が大陸から弥生以降に伝わったのではないということ)

縄文といえば争いがなかった時代。

大量にやってくる渡来人たちとも共生を試みていた人々。

 

村を出る前のアシタカの呼び名は「アシタカヒコ」。

東北に逃れた出雲族、蝦夷。

その祖先は大和を賭けた争いで、イワレビコ(神武)に敗れたナガスネヒコ(長髄彦)。

「アシタカ(足が高い)」が「ナガスネ(長い脛)」を連想させる。

 
 
ちなみに去年の夏に歴史の闇を追っていた時の、私の「もののけ姫」考察。
私には「シシ神=イワレビコ以前の『天(アマ・アメ)』と名のつく縄文の王」に思えてならないのです。
引用させてもらった記事が良かったから、ここでも貼っておく。
 

現存するタタラ場は出雲に。

 

 

マニュアルでやる製鉄の最高峰、玉鋼は今でも出雲で厳冬期に作られる。

こちらのNHKの記事、素晴らしいです。

番組を視聴せずとも内容が把握できる。

是非読んでください。

 

 

世代交代が上手くいって、前の世代が持っていた良い面すべてを受け継いで欲しいです。

 

 

全然関係ないけど気になった点。

雲南市の近くということですが、「雲南」。

中国にある地名ですね。

中国のどこかの王朝が崩壊した時に、大量の移民が中国から来てついた地名でしょう。

 

 

その貴重な玉鋼から作る、貴重な日本刀。

日本刀を理解する良書。

(一応本レビュージャンルなので)

 

 

 

刀を作る刀鍛冶、刀匠もどんどん高齢化していて絶滅危惧種に。

現代最高の刀匠と呼ばれる吉原義人氏。

東京の刀匠です。

 

 

 

 

あなたの地元の刀匠を探してみよう!

お守り刀(懐刀)も作ってもらえますよ。

 

 

いつかはオーダーメイドの真剣をお気に入りの刀匠に作ってもらって、それで稽古するのが夢です。

 

 

 

ここまで書いて、スサノオの「ス」の字が出てきていない事に気付き、焦って付け足し。


出雲といえば出雲大社ですが、歴史の途中ではスサノオを祀っていたのです。

 

 

大国主の義父がスサノオだから、どちらでも良い気がしますが(笑)。

 

しかし昨年自分が書いた記事によれば、「今は大社では大国主すら祀ってない」。
自分で書いておきながら、「えっ?!!!」
 
「出雲神族四八九代富當雄は、私への遺言のなかで、アラハバキとクナトは出雲の大祖神で、上古は共に祀られていた。
しかし霊威が強いため、アラハバキは追放され、クナトは出雲大社の末社の出雲井神社に押し込められてしまった。
だから出雲の旧家の人たちは、龍神とクナトの大神が降臨する熊成峯(現在の天狗山)の岩倉にお参りに行く。
大社じゃあ、オオクニヌシさえ祀っていないんだ。と、語り残している。」
 
。。。
「大国主じゃなければ、何を祀っとるんじゃい!!!!!」
と今となってはツッコミどころ満載なところに、今気付きました(笑)。

 

龍神でもなければ、アラハバキでもクナトでもない。

スサノオでもなければ、大国主でもない。。。

怖い・・・(汗&涙)

 


長くなったので、後半に続きます。