東北から
ようやく帰りの車内で落ち着いたので綴ります。
今回の旅の事を読みづらい文章かもしれませんが。
道中でさらじゃを東京で拾い、石巻まで高速で。
そこからイオンに寄って必要な物を買い出し、南三陸の防災対策庁舎へ行ってきました。
この建物を間近で見るのは初めて。
協力してくれた皆さんの分まで手を合わせてきました。
初めて東北に来た時にはつえさんに見せてもらった、震災の資料DVDでは、当時この建物から避難の放送が流れていました。
女の人の声で。
その方も最期まで放送を続け、建物の中で亡くなったそうです。
かなり高い建物なのに上まで津波に飲み込まれ、骨組みだけの状態になるほど強烈な高さと流れの津波だったんでしょう。
しばらく沿岸部を走り、戸倉中学校集合仮設へ。
着いてすぐはつえさんが笑顔でお出迎えしてくれた。2年前に来たみさとの事は覚えてくれてて嬉しかった。
コウスケさんはこの仮設には初めて来たので、紹介した。
そこから物資を集会所へ運び込み、物資の選別と配布。
前回65世帯やったけど、今回は58世帯まで減ってました。良いことです。
不定期で滋賀県の皆さんから募集したレトルト、義援金で購入した「塩、砂糖、醤油」、リョウスケの実家から購入したお米
を分配。
この作業は、はつえさんと仮設に住むお母さんも手伝ってくれました。
お借りしたリヤカーに積んで、それぞれの家に届けて来ました。
その様子は仮設に住むおっちゃんが自前のiPadで撮影してくれていたので
http://mirai-minamisanriku.jimdo.com/?mobile=1
ここのブログでそのうち観れると思います。
こうゆうのは嬉しいですねー。
今回は一軒一軒の方々としっかりお話も出来たし、なんとお返しにお漬物やワカメを頂いたんです。
お漬物はタッパーごと頂いたので、来年返しにきます と約束しました。
こっちが元気になるよー。ほんま。
時間が遅くなっちゃったから子供たちと遊んだりとかは出来なかったのが残念やったけど、行動を起こして本当に良かったって思える瞬間が、今回はたくさんありました。
配布を終えてから撮ったはつえさんとの写真。(カメラマンは仮設のワンパクなおっちゃん。)
楽しかった。
真っ暗になった頃、はつえさん一家と外食へ。そこで色んな話が出来ました。
くだらない話から被災地の現状まで。
やはり仮設から出るには相当なお金と時間がかかるみたいです。
補助金として国から頂けるお金もそんなに多くはなく、家を建ててくれる業者も被災地の場合は500万ほど高くなるそうです。そこが一番ビックリしました。
これからもしばらくは仮設を出る事は出来ない現状は変えられないみたいです。
やはり生活必需品は必要とされるし、一年に一度でも顔を見せに行く事も大事なんやなって事を改めて思います。
また来年も来ますよー。
バイバイした後はつえさんが用意してくれた温泉のチケットを頂き、戸倉中学校の近くのホテルの温泉へ。
ゆーーーっくり出来ました。
しばらく動きたくなくなるほど。笑
まだ復興はしてないの?
と疑問を持っている人はたくさんいると思います。
現地を見た感想としては、復興に向けての活動が活発になってきた と言う印象です。
どこまでいけば復興になるのか と言う部分を考えるとよくわかりませんが、復興はしていないと思います。「沿岸部」は特に。
石巻でも市街地から数100メートル離れるとガレキがまだあるところもあります。
市街地は復興していると言えるかもしれません。
まだ物資が必要なの?
と聞かれる事は凄く多いです。でもその気持ちも分かります。
メデイアで取り上げられる事も少なくなった今、そう思うのは当然とも思います。
でも現状、沿岸部では必要としている「物資」がまだまだあるんです。
毎日がレトルトを食べているわけではもちろんない。ふとご飯を食べたくなった時に家にレトルトがあれば俺らも助かるでしょう?
そんな考えでいいと思うんです。
お米や調味料なんて特にもらったら嬉しいと思うし。
そういう物に困ってる人って、被災地の人だけじゃないんじゃね?
それも分かります。
人一人が出来る事には限界があると思うし、俺らがやろうとしてる事は本当に限られた小さな事なんです。
俺らが滋賀県のみんなやFor The Bloodの周りの皆さんに協力してもらってやろうとしている事はあくまで、「被災地の復興」です。
そこに限ってしまいますが、俺らが出来る事はそんなもんなのかもしれないです。
それでも協力してくれる人が居て、必要としてくれる人たちが居て、そういう行動が出来る環境に身があるうちは、まだまだ続けていこうと思ってます。
これからも協力してくれたら嬉しいです。
今埼玉なので気を付けて帰ります!
3人ともありがとう!
(左からさらじゃ、みさと、ゴリラ、こうすけさん)