Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
WHO(世界保健機構)が定義する健康とは、
・肉体的
・精神的
・スピリチュアル
・社会的
上記全てにおいて満たされている状態のことを指し、
"病気でない"とか、"弱っていない"ということではないそうです。
ここでいう"スピリチュアル"は、日本ではまだまだ解釈が誤解されているように感じますが、
僕が海外で暮らしていた時には、当たり前のように耳にしていた言葉です。
宗教もその中に含まれると思いますが、
海外では、たいていの人が何かしらの宗教を信じていて、
日本人の多くが無宗教だと言うと、とてもビックリされます。
僕は、特定の宗教を信じている訳ではないけれど、
それでも、自分以外の支えになる
"何か(サムシング・グレート)"を持つことは、
生きていく上で、もの凄く重要なことだと思っています。
たとえば、神。
それが、絶対神であれ、八百万の神であれ、
神はいつもそこにいて、己を戒め、律する存在として、
信仰の対象となっています。
たとえば、宇宙。
人間の体内と同様に、ほんの数ミリのズレだけで
全てのバランスが崩れてしまうくらい、
奇跡的なバランスで調和が保たれている宇宙。
宇宙パワーとか、宇宙の波動なんて言葉があるように、
その神秘的な力を利用している人も多いといいます。
たとえば、先祖崇拝。
自分のルーツでもあり、とことん遡っていくと、
進化や細胞分裂にまで至る。
人間の行動のほとんどは遺伝子で決まるって説もあるそうで、
自分の"原本"である先祖を敬うってことは、
個人的には、自己承認や、自己受容に近いのではないかと思います。
たとえば、自然。
大自然の驚異の前では、人間はちっぽけで、か弱い存在になり、
温暖化や洪水、オゾン層の破壊による紫外線の影響など、
人間が地球に及ぼす悪影響のしっぺ返しが、いま各所で現れています。
自然をリスペクトし、地球と共存していくことが、
僕たちがいま進むべき道なんじゃないでしょうか。
呼び方はそれぞれ異なっても、
どれもが本質的には同一のものなんじゃないかと思います。
人知を越えた"何か(サムシング・グレート)"に、
畏怖や敬虔の念を抱くことは、
人間の尊厳を保ち、他との調和をするうえで、
大切にすべき価値観だと思います。
目に見えるものが全てではなく、
スピリチュアルな世界に繋がることが、
健康に生きるために必要な要素なのですね。
ある人は、"人生は、あらかじめ運命で定められている"と言い、
ある人は、"人生は、小さな選択の連続だ"と言います。
もちろん色んな人生観があって良いかと思いますが、
どちらの人生が面白いかと問われれば、僕は後者を選びます。
今日の夕食は何を食べよう?
卒業後の進路は?
次の旅行は海外へ行こう。
そろそろ結婚の潮時かな。
リスクを冒す投資はやめておこう。
様々な選択肢があるなかで、
何を決めて、何を決めないのか。
いま自分が生きている人生は、
選んできた選択肢の集大成とも言えます。
しかし、最善の選択肢を選ぶにあたって、
最善の状況が整っていることはまずあり得ません。
僕が大好きなサッカーで喩えると、
サッカーは、常に限られたスペースと時間のなかで、
最善の選択をしなければなりません。
そこで重要となってくるのが、
"自分がどんなプレーを得意としているか"を知ること。
世の中には、"使う側"と、"使われる側"の
2種類の人がいると、僕は教わりました。
もちろん状況によって、どちら側にもなり得ますが、
自分が、どちらでより力を発揮できるのか。
少し前のイタリア代表の喩えで恐縮ですが、
アンドレア・ピルロなんかが、"使う側"の代表格と言えます。
積極的にビルドアップに参加し、長短のパスを自在に織り交ぜて、
指揮者さながら、ピッチの上でタクトを振るうピルロは、
周りを活かすことによって、自分が輝く選手です。
逆に、"使われる側"の最高峰を行くのが、
フィリッポ・インザーギ。
常にオフサイドラインのギリギリの位置で、
味方からのパスにいち早く反応して、
ほぼ、ゴールを決めることだけに特化した彼のプレースタイルは、
ピルロのような、"使う側"がいないと成り立ちません。
お笑いで喩えるならば、明石家さんまや島田紳助のように、
場の空気をうまく回していくのが"使う側"。
出川哲朗やダチョウ倶楽部など、イジられることによって、
力を発揮するのが、"使われる側"。
その関係はお互いに、目標(ゴールを奪う、笑わせるなど)の
共通認識があることで成り立ち、それぞれが自分の適性を知り、
より力を発揮できるような効果的なプレーを選択していく。
また、空気を読みつつ、いま自分がどんなプレーを選択すべきか、
状況判断能力も必要になってくるでしょう。
繰り返しますが、人生は、選択の連続です。
何もしない選択をするより、チャレンジをし続けて、
たとえ49失点しても、51得点するようなチームづくりを心がけ、
全員で目標を達成していきます。
ある人は、"人生は、小さな選択の連続だ"と言います。
もちろん色んな人生観があって良いかと思いますが、
どちらの人生が面白いかと問われれば、僕は後者を選びます。
今日の夕食は何を食べよう?
卒業後の進路は?
次の旅行は海外へ行こう。
そろそろ結婚の潮時かな。
リスクを冒す投資はやめておこう。
様々な選択肢があるなかで、
何を決めて、何を決めないのか。
いま自分が生きている人生は、
選んできた選択肢の集大成とも言えます。
しかし、最善の選択肢を選ぶにあたって、
最善の状況が整っていることはまずあり得ません。
僕が大好きなサッカーで喩えると、
サッカーは、常に限られたスペースと時間のなかで、
最善の選択をしなければなりません。
そこで重要となってくるのが、
"自分がどんなプレーを得意としているか"を知ること。
世の中には、"使う側"と、"使われる側"の
2種類の人がいると、僕は教わりました。
もちろん状況によって、どちら側にもなり得ますが、
自分が、どちらでより力を発揮できるのか。
少し前のイタリア代表の喩えで恐縮ですが、
アンドレア・ピルロなんかが、"使う側"の代表格と言えます。
積極的にビルドアップに参加し、長短のパスを自在に織り交ぜて、
指揮者さながら、ピッチの上でタクトを振るうピルロは、
周りを活かすことによって、自分が輝く選手です。
逆に、"使われる側"の最高峰を行くのが、
フィリッポ・インザーギ。
常にオフサイドラインのギリギリの位置で、
味方からのパスにいち早く反応して、
ほぼ、ゴールを決めることだけに特化した彼のプレースタイルは、
ピルロのような、"使う側"がいないと成り立ちません。
お笑いで喩えるならば、明石家さんまや島田紳助のように、
場の空気をうまく回していくのが"使う側"。
出川哲朗やダチョウ倶楽部など、イジられることによって、
力を発揮するのが、"使われる側"。
その関係はお互いに、目標(ゴールを奪う、笑わせるなど)の
共通認識があることで成り立ち、それぞれが自分の適性を知り、
より力を発揮できるような効果的なプレーを選択していく。
また、空気を読みつつ、いま自分がどんなプレーを選択すべきか、
状況判断能力も必要になってくるでしょう。
繰り返しますが、人生は、選択の連続です。
何もしない選択をするより、チャレンジをし続けて、
たとえ49失点しても、51得点するようなチームづくりを心がけ、
全員で目標を達成していきます。
"痛みを避けて、快楽を得る"
「7つの習慣」を日本に紹介したことで知られるジェームス・スキナー曰く、
人の行動の動機となるもの全てが、これで説明できるとのことです。
ただし、何に"快楽"を感じ、何に"痛み"を感じるのかは、
その人の価値観や人生観によって大きく変わってきます。
たとえば、タバコを吸う人にとっては、
タバコを吸ってリラックスすることが"快楽"になるし、
吸わなくて落ち着かないのは"痛み"となります。
反対に、タバコを吸わない人にとっては、
タバコを吸って健康を害することが"痛み"となり、
吸わないことが、"快楽"となります。
全く正反対の行動をとっている両者でも、
結局のところ、"痛み"を避けて、"快楽"を得ているわけです。
さて、2012年が明けてから、早くも3週間が経とうとしていますが、
今年たてた抱負を実践できているかと、改めて自分に問いかけてみました。
結局は、具体的な行動が伴っていなければ、何も変わらない訳で、
毎年のように、「今年こそは」と思っては、
あっという間に1年が終わってしまうのが関の山です。
僕の今年の変化のひとつとして、『食生活の改善』があります。
具体的には、マクロビオティックを一部取り入れた、
健康志向の強い食事にゆっくりとシフトしていく訳ですが、
それは、僕が大好きな肉や白米を断つことを意味しています。
「肉を食べない」ことに、"痛み"を感じるのか、"快楽"を感じるのか。
そのカギとなるのは、やっぱり"ビジョン"になるのでしょうね。
自分が"こうありたい"っていうビジョンを、
具体的に明確に肯定的にイメージすること。
そうすれば、そこに繋がっている一連の行動は、"快楽"になり得ます。
健全な肉体にこそ、健全な精神は宿る。
健全な精神にこそ、健全な肉体は宿る。
今年を【飛躍】の年にするためにも、
まずは土台となる自分づくりからはじめます。
「7つの習慣」を日本に紹介したことで知られるジェームス・スキナー曰く、
人の行動の動機となるもの全てが、これで説明できるとのことです。
ただし、何に"快楽"を感じ、何に"痛み"を感じるのかは、
その人の価値観や人生観によって大きく変わってきます。
たとえば、タバコを吸う人にとっては、
タバコを吸ってリラックスすることが"快楽"になるし、
吸わなくて落ち着かないのは"痛み"となります。
反対に、タバコを吸わない人にとっては、
タバコを吸って健康を害することが"痛み"となり、
吸わないことが、"快楽"となります。
全く正反対の行動をとっている両者でも、
結局のところ、"痛み"を避けて、"快楽"を得ているわけです。
さて、2012年が明けてから、早くも3週間が経とうとしていますが、
今年たてた抱負を実践できているかと、改めて自分に問いかけてみました。
結局は、具体的な行動が伴っていなければ、何も変わらない訳で、
毎年のように、「今年こそは」と思っては、
あっという間に1年が終わってしまうのが関の山です。
僕の今年の変化のひとつとして、『食生活の改善』があります。
具体的には、マクロビオティックを一部取り入れた、
健康志向の強い食事にゆっくりとシフトしていく訳ですが、
それは、僕が大好きな肉や白米を断つことを意味しています。
「肉を食べない」ことに、"痛み"を感じるのか、"快楽"を感じるのか。
そのカギとなるのは、やっぱり"ビジョン"になるのでしょうね。
自分が"こうありたい"っていうビジョンを、
具体的に明確に肯定的にイメージすること。
そうすれば、そこに繋がっている一連の行動は、"快楽"になり得ます。
健全な肉体にこそ、健全な精神は宿る。
健全な精神にこそ、健全な肉体は宿る。
今年を【飛躍】の年にするためにも、
まずは土台となる自分づくりからはじめます。
量質転換。
量から質を産むこと。
まだまだ未熟で若輩者の僕ですが、
これまでに培ってきた人生の中で、
僕の"信念"とも言うべき確固たる考え方です。
たとえば、新人の営業であれば、
「とにかく数をあたれ」
「まずは100回断られてこい」
なんてことを、先輩から言われたりするでしょう。
自分の成功率が、仮に10%だったとして、
1回、2回でダメだったとしても、
10回、20回と数を当たることで成果を出していく。
振りきった数を当たることで、5回に1度、3回に1度と、
自然に質があがっていくことが、量質転換の考え方です。
たとえば、今は普通に乗れている自転車だって、
何度も転んでも、くじけずにチャレンジすることで、
いつの間にかスイスイ乗れるようになったのだと思います。
そして、一度乗り方を覚えてしまったら、まず忘れることはありません。
しかし、この考え方にも、落とし穴があります。
『同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という』
かのアインスシュタインがこう述べているように、
同じ考え方・やり方で、同じようにやっていても、求めている結果は得られません。
つまり、うまくいくためには、
求めているものに対して、変化することが必要となってくるのです。
そして、最も大事なことは、"継続"すること。
"継続は力なり"という言葉があるように、
短期的な結果に左右されずに、
どれだけ長期に渡って、継続的に繁栄できるかどうか。
努力するのではなく、努力"し続ける"こと。
変化するのではなく、変化"し続ける"こと。
3年計画の2年目が終わろうとしているなか、
改めて、"継続"の大切さが身に染みる今日この頃です。
量から質を産むこと。
まだまだ未熟で若輩者の僕ですが、
これまでに培ってきた人生の中で、
僕の"信念"とも言うべき確固たる考え方です。
たとえば、新人の営業であれば、
「とにかく数をあたれ」
「まずは100回断られてこい」
なんてことを、先輩から言われたりするでしょう。
自分の成功率が、仮に10%だったとして、
1回、2回でダメだったとしても、
10回、20回と数を当たることで成果を出していく。
振りきった数を当たることで、5回に1度、3回に1度と、
自然に質があがっていくことが、量質転換の考え方です。
たとえば、今は普通に乗れている自転車だって、
何度も転んでも、くじけずにチャレンジすることで、
いつの間にかスイスイ乗れるようになったのだと思います。
そして、一度乗り方を覚えてしまったら、まず忘れることはありません。
しかし、この考え方にも、落とし穴があります。
『同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という』
かのアインスシュタインがこう述べているように、
同じ考え方・やり方で、同じようにやっていても、求めている結果は得られません。
つまり、うまくいくためには、
求めているものに対して、変化することが必要となってくるのです。
そして、最も大事なことは、"継続"すること。
"継続は力なり"という言葉があるように、
短期的な結果に左右されずに、
どれだけ長期に渡って、継続的に繁栄できるかどうか。
努力するのではなく、努力"し続ける"こと。
変化するのではなく、変化"し続ける"こと。
3年計画の2年目が終わろうとしているなか、
改めて、"継続"の大切さが身に染みる今日この頃です。
仕事においても、スポーツにおいても、
パフォーマンスの優劣に多大な影響を与えるものは、"集中力"だといいます。
集中しようと思っても気が散って作業がはかどらない…。
なんて、経験は誰にでも経験があることでしょう。
脳科学者の茂木健一郎さんが、自身のクオリア日記の中で、
【一秒で集中する方法】というものをご紹介されていて、
なるほど!とうなずけるものがありました。
茂木さんの持論では、
「はっ」と気付いたら即座に始めることが、集中のコツだそうです。
たとえば、「勉強しよう!」とか、「筋トレしよう!」とか、
「はっ」と思うことがあれば、四の五の言う前にまずやってみる。
やりはじめたら、短時間でもいいから一心不乱に集中する。
そうすることで、【一秒で集中する】ことがだんだんと習慣化されていくそうです。
言わば、これは"内的"なものによるものですが、自分を甘やかしてしまうところがある僕は、
これに、"外的"な要因を付け加え、より集中できるような仕組みを考えました。
そこで、僕が注目したのが"BPM"です。
BPMとは、音楽の用語で、1分間あたり刻む拍数を示す単位のこと。
たとえば、時報の「ピッ、ピッ、ピッ、ポーン」は1分間に60個並んでいるので、
そのテンポは60bpmということになります。
より、心音に近いBPMだと、人は心地よさを感じて眠くなるといいます。
電車に乗った時、ついついウトウトしてしまうのも、
電車が奏でるBPMが心音のそれに近いからだという説もあるようです。
では、もっとも集中できるBPMとはどれくらいなのか?
もちろん、人によって個人差はあると思いますが、
僕にとっては、130~170くらい(詳しくは良くわかりませんが。。)が、
最も集中できることを発見しました。
というのも、僕は音楽が大好きで、
特にゴアトランスとかドラムンベースといったジャンルのイベントに行った時に、
一心不乱に集中して踊っていたなぁってことを思いだしたのです。
「はっ」と思ったら、「さっ」と集中すること。
集中できるBPMの中に身を置くこと(たとえば音楽を聴くなど)。
そうすることによって、作業が見違えるようにはかどるようになりました。
パフォーマンスの優劣を分けるのは、"集中力"。
集中することに、集中しようと思う今日この頃です。
パフォーマンスの優劣に多大な影響を与えるものは、"集中力"だといいます。
集中しようと思っても気が散って作業がはかどらない…。
なんて、経験は誰にでも経験があることでしょう。
脳科学者の茂木健一郎さんが、自身のクオリア日記の中で、
【一秒で集中する方法】というものをご紹介されていて、
なるほど!とうなずけるものがありました。
茂木さんの持論では、
「はっ」と気付いたら即座に始めることが、集中のコツだそうです。
たとえば、「勉強しよう!」とか、「筋トレしよう!」とか、
「はっ」と思うことがあれば、四の五の言う前にまずやってみる。
やりはじめたら、短時間でもいいから一心不乱に集中する。
そうすることで、【一秒で集中する】ことがだんだんと習慣化されていくそうです。
言わば、これは"内的"なものによるものですが、自分を甘やかしてしまうところがある僕は、
これに、"外的"な要因を付け加え、より集中できるような仕組みを考えました。
そこで、僕が注目したのが"BPM"です。
BPMとは、音楽の用語で、1分間あたり刻む拍数を示す単位のこと。
たとえば、時報の「ピッ、ピッ、ピッ、ポーン」は1分間に60個並んでいるので、
そのテンポは60bpmということになります。
より、心音に近いBPMだと、人は心地よさを感じて眠くなるといいます。
電車に乗った時、ついついウトウトしてしまうのも、
電車が奏でるBPMが心音のそれに近いからだという説もあるようです。
では、もっとも集中できるBPMとはどれくらいなのか?
もちろん、人によって個人差はあると思いますが、
僕にとっては、130~170くらい(詳しくは良くわかりませんが。。)が、
最も集中できることを発見しました。
というのも、僕は音楽が大好きで、
特にゴアトランスとかドラムンベースといったジャンルのイベントに行った時に、
一心不乱に集中して踊っていたなぁってことを思いだしたのです。
「はっ」と思ったら、「さっ」と集中すること。
集中できるBPMの中に身を置くこと(たとえば音楽を聴くなど)。
そうすることによって、作業が見違えるようにはかどるようになりました。
パフォーマンスの優劣を分けるのは、"集中力"。
集中することに、集中しようと思う今日この頃です。
