なぜ、「森の都」でなく「杜の都」なのか? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
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どうも、すこっちです。!(^^)!

 

今や仙台を指す形容詞といってもいいのが「杜の都」。

 

でも、疑問に思ったことはないだろうか?

 

なぜ「森」ではなく、「杜」という漢字が使われるのか?

 

普通に学生生活を送られた方なら、「もり」と言ったら「森」である。

 

「ある~日、森の中~くまさんに 出会った」(秋田だとスーパーか?)の童謡も「杜のくまさん」ではなく、「森のくまさん」である。

 

「森且行」も森である。(それ、いらないっしょ)

 

「森公美子」も森である。(しつこい!まあでも宮城県出身だからありか)

 

そもそも「杜」という漢字を使うことなど、生涯においてほぼほぼないに等しい。

 

なのになぜ、「森」ではなく「杜」なのか?

 

実は「杜」という漢字は単に樹木が生い茂る場所を指すだけでなく、人々の生活や信仰と深く結びついた空間を意味するのです。特に、神社や寺院の周辺にある神聖な林や森を表すことが多いのだそうです。仙台市内には神社仏閣が多く存在し、その周囲の樹木が都市と自然の調和を象徴しているために、「杜」という字が適しているとされているようです。

 

もう一つの理由としては、我らが伊達政宗様が築いた城下町仙台では、都市計画の中で緑が意識的に取り入れられ、広い侍屋敷に燃料や食料となる樹木を植えていたそうです。

それが、杜の都の礎になったんですかね。

 

あとはイメージかな。「森」よりも「杜」の方がなんとなく優雅で品格があり、詩歌や文学に登場するにしても「杜」の方が絵になるということのようです。

 

そう言えば、「杜けあき」っていう」元宝塚俳優もいたっけね。