温かい言葉を掛けてもらえるって、ありがたいね。 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

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どうも、すこっちです。(^^ゞ

 

アタシの人事異動が正式に社内発表になった。

 

現場で作業員と接する機会がある職場なので、発表後に話をすると、「なんですこっちさんが異動なんですか?」とか、「異動しないで、永遠にここにいたらいいじゃないですか」なんて、多少のリップサービスが混じっているんでしょうけど、大変心温まるお言葉を掛けて頂いた。

 

正直、嘘でもリップサービスでも、嬉しいものである。(>_<)

 

中には、「あっちに行っても応援で来てもらいますから」とからかい半分で言う人もいれば、「あれ、まだいたの?」と皮肉っぽく言う人もいたりする。

 

心温まる言葉、からかいの言葉、皮肉っぽいことを言う人。

 

いずれにしても、アタシのことを気に留めていてくれて、その人の頭のどっかに自分の存在がインプットされているからこそ、こうして気軽に話掛けてくれるんだろうなとアタシは思っている。

 

不思議なもので、アタシが空き時間に作業員と話したことと言えば、お酒の美味しい銘柄を教えてあげたり、新入りの作業員には「どっから通っているの?」と聞いて、通勤時間談義になったり、子供がいる作業員には「子供がいくつになった?」とか、クリスマス時期には「子供はサンタクロースを信じているの?」なんて質問をしてみたり、格闘技好きの作業員とは格闘技談義に熱中したりと、どちらかと言えば仕事とは関係の無い話をしていた時間の方が長かったように思う。

 

だが、よくよく考えてみると、実はこういった一見するとムダ話と思えるようなことを、積み重ねて来たからこそ、距離感が縮まり、親近感が湧き、情が通い合っていったんじゃあないだろうか?

 

以前読んだ本の中にこんなことが書いてあった。

 

「情」とは回数である。

 

気の合う人と繰り返し合って、話をするから「友情」が芽生え、愛おしいと思う人と繰り返し合って、話を重ねるから「愛情」が育まれるのだと。

 

まさに、それである。

 

誰だって、自分に話しかけてくれる人の存在には興味を抱く。そして、世の中には話しかけやすい人と話しかけにくい人の二種類の人種が存在する。(この辺が厄介なのだけど)

 

どーでもいいような会話でも、言葉を交わし回数を重ねれば、自然と情が通い合うのは当然と言えば当然のこと。なのだが、スマホやネット依存で人と人との心の距離感がどんどん離れて行っている昨今、人間同士のそんな当たり前のことさえも、価値観が安っぽく見積もられ、行動に移す絶対数は昭和→平成→令和と新しい年号になればなるほど、右肩下がりになっていく。

 

これは使い古された言葉ではあるけれど、

 

「時代が変わった変わったと、時代だからと時代のせいにするヤツはいっぱいいるけど、どんなに時代が変わっても、人の感性や考え方や行動なんて、そうそう変わるもんじゃないよ」

 

アタシもそう思う。

 

たまたまスマホやネットという便利なツールは存在してはいるけれど、それを発明したのも、使うのも結局は人間なんですから、、、。要は使う人がツールに振り回されて、魂を奪われてしまわなければ、今も昔も人は人のまんま。卑弥呼も聖徳太子も頼朝も信長も秀吉も家康も渋沢栄一も同じレールの上を歩いていたし、昔からの心のケアや人との関わり方だって、今でも十分に通用する。

 

違いますか?