どうも、すこっちです。(^^ゞ
今宵は昨日に続いて、我らが政宗様の逆転ホームランなエピソードをもう一つ。
東照大権現こと徳川家康公が亡くなられて1年。
1周忌には諸大名が銘々に燈籠を奉納することが示し合わされておりました。
しかし、伊達家はこの情報の入手が遅れ、慌てて灯籠の作成を模索するも時すでに遅し。
石燈籠は石材の入手から、作成まで時間が掛かるし、銅の燈籠を作るにしても、当時銅の入手にはこれまた時間を要した。
これを単なる灯籠の品評会と思うなかれ。
実はここにも大名同士のつばぜり合いがあったりする、当然、大名同士でこうなるわけですね。
「藤堂高虎殿の灯籠は、なかなかイカしてるねぇ。」とか
「これはまた、見事な灯籠ですなぁ~ どなたのですか?あー、福島正則殿、さすがは福島殿じゃ。」
とかっていう自慢話のオンパレードになる分けです。
まさか、天下の「伊達男」政宗様が奉納を見送る?
いえいえ、そんなことをしたのでは、「伊達男」の面目が丸つぶれではありませんか。
とはいえ、時間は無い。 さあ、独眼竜、絶体絶命のピンチ!
と、ここでまたもや逆転の「政宗」の本領発揮、なのであります。
なんと、ポルトガルから取り寄せた南蛮鉄でもって、燈籠を鋳造。(鉄は銅よりも入手がしやすくって、型に流し込めばいいからね)
かくして、突貫工事でもって、無事に見事な鉄燈籠が完成。
しかも、転んでもただでは起きないのが我らが政宗様。
2代将軍徳川秀忠の家老 土井利勝に手を回して、一番良い場所をキープ。
(陽明門の前の階段の右側らしいよ)
大名のほとんどが石燈籠を奉納する中、政宗様のみが鉄の燈籠。
これだけでも十分に目立っていたんですが、、、。
さらにね、この鉄の燈籠。時が経つとね、錆びてイイ感じの重厚感を醸し出すのです。
(石燈籠は苔が蒸したり、石が欠けたり、色褪せたりするのよねー)
こんな感じ。
まさに、ピンチをチャンスに変える逆転の「伊達男」!さすがは我らが伊達政宗様ですな。
ちなみに、すこっちが日光東照宮に参詣したのは、、、中学校の修学旅行の時の1回のみ。
しかも、当時は日光東照宮のプレミア感も全く眼中に無かった。
当然のことながら、この鉄燈籠のことなど知るよしもなし。(-_-;)
「葵徳川三代」のDVDを絶賛鑑賞中の身としては、無事完走した暁には、東照大権現こと徳川家康公の御霊に参詣せねば。そして、是非ともこの鉄燈籠の前で記念撮影をしなければなりませんな m(_ _)m