どうも、すこっちです。!(^^)!
私たちが学生時代、日本の歴史を勉強する上で教科書メーカーが"外せない"っていうか"外さない"歴史上の出来事ってあったりします。その中でも、たぶん鉄板ネタ(硬いってことね)とも言えるのが、、、。
「生類憐みの令」はい、じゃあそのお触れを出した人はだあれ?みなさん、声をそろえて一斉に~。
「徳川綱吉」ですね。はい、良く出来ました~。!(^^)! じゃあ、授業終わり~。キィン・コォン・カァン・コォン。
って、おいおい、今日の本題にまだ入ってないですってねぇ。一人ボケ、一人ツッコミ失礼しました。m(__)m
この誰もが知っている天下の悪法「生類憐みの令」そしてその悪名を後世に残した徳川5代将軍綱吉公。しかし、この徳川綱吉が最近、見直され始めている。
どういう事かと言うと、殺伐とした戦国の空気感がまだ残ってた江戸前期。人々の間にはいざとなったら人殺しは当たり前だという風潮が民の心のどっかには残っていた。だって、それまで多くの人殺しをした奴が英雄で出世して褒美もいっぱい貰っていたんだからね。
そこで登場するのが「生類憐みの令」だ。
この法律って歴史上名高い悪法として、知らない人はいないくらい知名度ありまくりなんだけど、聞いたことあるかな「武断派」と「文治派」って言葉。秀吉政権下で加藤清正たちの「武断派」と石田三成なんかの「文治派」が対立してたってやつ。これって、ようは秀吉が全国を統一して戦働きという考え方が無くなっちゃったんで、生まれた現象だよね。「これからは、頭で働く時代ですぞ! BY三成」、「いやいや、まだまだ俺は現役バリバリですから BY清正」みたいなね。
関ヶ原の戦い、大坂夏の陣、島原の乱を経てこうした「武断政治」的な考え方はフェードアウト。国家も「武断」から「文治」へとシフトせざるを得なくなった。しかし、そうは言っても徳川幕府が力に物を言わせて大名や民衆に圧力を掛けるだけでは、「文治国家」は浸透しない。そこで、綱吉クンの登場と言う分けだ。
彼は何を隠そう(別に隠していないけど)実は、バリバリのインテリ!儒教をきちんと勉強してきた人だから、政治はまさに水を得た魚クンだった。だから、政策の立案能力も政策の実行力もあった。
源頼朝が鎌倉幕府を開いてから約500年。多くの人の命を奪う事=手柄=正義だと赤ん坊の頃から擦り込まれてきた人々のアイデンティティを変えるには、劇薬と言うかショック療法が必要だった。
それが、そう、「生類憐みの令」だったのです。
つまり、無茶を強要することで人々の意識のベクトルを変えちゃったという分けなんですね。
「はあっ? 犬をいじめるなだって、殺したら自分が手打ち? なにそれ?」
初めは民衆の意識はこんな感じだったのでしょう。当然、反発するわねえ。綱吉は「生類憐みの令」を死ぬまでに24年間に135回も出し続けた。でも、これはあまりにも綱吉の理想が高い所にあったんだけど、同時代の人達にはそれが理解できなかったのね。
ここで、不思議な現象が起きる。発令以降に生まれた子供はそれが当たり前だと思って育つ。その子供が大人になる頃には、反発していた人は年を取って死んでしまう。そうするとどうなるか?社会のスタンダードは「犬を殺してはならない」となるのです。
「はあっ? お前なに犬をいじめてるの?それって虐待じゃん、恥ずかしいー。」ってなるわけね。
ウィンドウズの登場でパソコンが世界を席巻し、使うのが当たり前になった。アイフォンの登場と普及でスマートフォンが手放せなくなり、人々の常識も変わった。世の中は常に過去の常識を飲み込み、世代代わりと共に新しい常識=スタンダードになる。
震災が起きてもちゃんと列に並んでる日本。財布を落としても拾った人がちゃんと届けてくれる日本。普通の国じゃあ、あり得ないその見事な振る舞いと精神。これは、まさに「犬公方」徳川綱吉無くしては身につかなかったのかもしれない。
綱吉の狙いは実は、そんな遠い未来を見据えたところにあったんだということらしいです。
でも、綱吉が亡くなって「生類憐みの令」」が廃止された時は、民衆が狂喜乱舞したらしいけどね。(-_-;)