伊達政宗が仙台城の候補地として考えていたのは、4か所あった。
候補地としてあがったのが、
①千代城がある青葉山
②宮城野榴ヶ岡
③大念寺山
④石巻日和山
政宗の第一希望は②だったが、それを1番目に挙げると
間違いなく家康に却下されるだろうと考えた政宗は、
第一希望に①、第二希望に②と申し出た。
ところが、家康は政宗の裏をかいて第一希望の青葉山にGOサインを出した。
それで現在の青葉山に仙台城が築かれることになったわけです。
家康と政宗の心理戦が本当に展開されたのかどうかは謎です。
本当に榴ヶ岡に城が築かれていたら、どんな仙台市になっていたんでしょう。
たぶん、東北一の繁華街と言われる国分町も別なところに出来ていたのかも
しれないですね。!(^^)!