人の思いに感情移入せず、
俯瞰して見ていたり、
何か冷静である感覚があったり、
自分を分析したり。
何か世の中や人を、遠目で見ていたり。
そんな、
人とは相容れない何かを持っていた。
近づかない。染まらない。
流れない。馴染まない。
一本の線のようなもの。
そんな強い「思考(自我?)」に、
今日感謝したって話。
「分析」は私の生きる術だ。
まだ自分を愛する術を知らなくて、
許す力も分からなくて、
でも私の中に存在する、
弱く脆い私。
分析することで、
そんな弱い自分を守っているのが、
思考さん。
そうしないと痛くて痛くて、
消えてしまいそうだから。
思考はエゴでもあり、
重たいものでもあるけれど、
でも、思考があったおかげで、
分析があったおかげで、
私はたくさん気づき、学んできた。
私の中の愛に触れたのも、
私の中の許しに触れたのも、
この思考(分析)があったおかげ。
本当に、思考さんは賢いの。
そして最近、
賢い思考はまた疑問を持った。
「今これを考えている、
私(思考)は誰だ?」って。
思考は賢いから、答えはわかっていた。
自分もまた、
「許される存在」であることに気がついた。
思考は自分が「私」ではないことにも、
気がついていた。
嘘であり、仮面であると。
なんだろう。
やっと…という感覚と、少し寂しい感覚。
でも安堵感。
やっと、自分に触れられる。
そんな感覚。
思考も本当は、弱く脆い自分に、
触れたかった。
でも触れたら生きていけないから。
共倒れになるから。
だから、
1番遠いところで必死に思考して、
かっちかちに自分を固めて、
自分を守ってきた。
以上は私が分析して、妄想して?
浮かんだ物語。
こうやって小さい時から遊んでいます。