私の話を聞いて!
私を見て!
私はこう思ったから、こうしたの!
なぜ私がこれが好きかというとね?
私、今はこういう気分なの!
と、ズイズイと楽しそうに、私の前で、
自分のことを語りかけてくる彼女。
彼女の話すことは、全て自分の話。
何にワクワクして、
そのワクワクを直感として、
その直感のもの動いた自分の話をしてくる。
私にとっては、
その姿を見ることが苦しくて、
愛想笑いすら出来なかった。
そうだね〜!すごいね!わかるわかる!
といえば、
相手は喜んだ。
楽しい時間になった。
でも、出来なかった。
私はずっと頭をかしげていた。
相手も私が嫌そうにしているのに、
気がついてるけど、
私は話したいから!
これが私だから!
と、無理矢理でもその姿であろうとする。
彼女のワクワクは、私から見たら、
怖さとか、よく思われたいとか、
そういうのから来る、ワクワクに見えた。
そのワクワクに、彼女はときめいて恍惚し、
満足しているようだった。
もう見てられない。
聞きたくない。
たまらない。きつい。
同意すればよかったのかな。
私も何か、譲れなかったんだな。
彼女の話に同意したくなかった。
同意すれば、
"何か奪われる"と思った。
これからは内からのメッセージ。
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それもあなたの姿。
その部分もあなたの中にある。
それが自分の中にあると考えたら、どうする?
すごい目立ちたがりで、
構って欲しくて、見ていて欲しくて。
そんなことない、と思っても、
もしそうだったらどうする?
エゴの中にどハマりしてること。
エゴを喜ばせること。
それを正しいとしていること。
それがあなたの許せない部分。
まずは受け入れて。
受け入れて初めて、
愛の詰まった「NO」という選択肢が
現れるんだよ。
(これ、かなりしっくりきた〜。)
受け入れないまま、「NO」と言うこと、
そこに中身(真実の愛)はない。
受け入れるという行為は、
一旦真実の愛に触れるということ。
愛に触れ、一旦宇宙にもどるということ。
そうしたあなたは、やっと、
真実の愛を選択できる。
どんなに嫌な自分に出会っても、
どんなに罪深い自分に出会っても、
まずは許す。
ゔゔ〜嫌ダァ!!!
と思いながらも、そんな時は落ち着いて。笑
それは確かに自分の中にあるものなんだ、
それは自分なんだ、と、受け入れる。
そして、
その自分は居てもいいんだよって、
許してあげる。
許して初めて、手放せる。
許して初めて、選択できる。
自分にとって、
必要か、必要じゃないか、が分かる。
…………
とってもしっくり来る言葉が、
わんさか湧いてきた。
ありがとうございます。