私は、誰かを助けたいのか?


誰かを救いたいのか?


私の世界の人は、
みんな救われている。


その世界で、


悲しそうな顔をしている人。
寂しいと言っている人。
助けを求めている人。


が、目の前に現れる時。
 


私はその人に何もできなくなる。



悲しそう、寂しそう、助けて欲しそう、
そう思うのは私。



自分がこうすれば、
相手は喜ぶだろうな、
なんてことは分かるけど、



私がやろうとしていることは、
いったい誰のため?



そんなことを考える。



自分の満足のためなら、
とても傲慢。



本当にその人の為のこととは、
どういうこと?



ずっと、考えている。



考えてるけど、
答えは分かってる。



私に出来ることを、やること。
その人の魂がより輝くために何が必要か。


そのために、
私は何もしない、という選択もある。
それがよりその人が輝くためならば、
喜んで私は何もしない。



輝くとはどんな状態?



自分の世界は自分で作り出しているという感覚を一瞬でもいいから感じてもらうこと。



全て自由だということ。



倒れそうならすぐ助ける。
欲しそうならすぐ与える。


それが出来れば、どれだけ楽か。



それが出来ないから、私は考える。



相手のエゴを喜ばせたくはない。



どうでもいい人なら、
そうやって適当にしてたけど、
今はそんなことも簡単に出来ないくらい、
深めてしまった。





相手の心の底を見る時間が少し、必要。
すぐ分かるほどの力は、まだ持っていない。



どんなサポートが必要なのか。
どんな言葉が必要なのか。
どんな存在が必要なのか。


相手の魂が今どの地点にいるのか。


相手は、光の道の途中にいる。
一生懸命、生きてる魂。
その魂が何を経験したいのか。


今、何が必要か?
私の存在を、相手の中でどう扱うべきか。
どんな影響であればいいのか。


そこを正確に分かるようになるまでは、
私は自分と向き合うことに専念する。


人である限り、
傲慢さをなくすことはできない。


だから常に感謝するんだよね。
生かしてもらっているんだもの。