お早うございます。

じつは昨日の夜、自分の哲学の思考が先に行きすぎて、また辛い状態になってしまった。

貨幣経済の限界がきて、共有型経済(物々交換)となる時代がやってきた時。

私はどう生きていたいのだろうか。

お金がお金としての価値がなくなる時代は、
確実にやってくる。

そういった時代になった時、おそらく人間は、本当の意味の自由を手に入れる。自分のやりたいことをやって、自分の好きなことをやって生きてゆく時代。

休日出かけたアースガーデン祭りは、少し時代の一歩先をいったイベントだった。各自が作り出したモノ、与えたいモノを与え、生きていく。
今はまだ貨幣があるから、貨幣でモノを買っているが、おそらくモノを作り出す同士は、お互いのモノを交換しているのだろう。

今の自分とは違う人たちに出会っていると居心地の悪さを感じる反面、こんな幸せな社会になっていくのかとワクワクもした。

でも。

自分軸を持たないもの(私も含め)は、自分が何を与えたいのか、おそらく苦しむことになる。そして、そういう人がたくさん出てくる。

前置きが長くなったが、そうした考えに至り、
私はお風呂場で頭を抱え、嘆いていた。

お金のいらない本当の自由を手に入れても、
私は幸せになれないんじゃないか。
私の幸せは一生来ないんじゃないか。

そしてふと思う。

「今」を味わい尽くせば良いんじゃないの?
だって「今」しか無いのだから。

叔母にも言われた。
どれだけ自由な時代になるとか言ったって、
結局立ち帰るのは、「今」なんだよ、と。

ただ今を味わい尽くす。
今を無理に楽しむのではなく、味わう。
苦しさも悲しさも怖さも楽しさも存分に。

そしてその味わいで心が満たされた意識が、また地球を良い方向へ進ませるのでは無いかと思うわけだ。

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今日も目の前にある風景、自分の体、苦しんだ心と在ることに感謝いたします。
生かして頂いてありがとうございます。