珍説18・中共軍は中条山戦役に参加していないのに参加したかのように主張している | 誰かの妄想
2009-08-01 01:20:44

珍説18・中共軍は中条山戦役に参加していないのに参加したかのように主張している

テーマ:ネット上の珍説・奇説

中条山戦役とは、1941年5月山西省南部の中条山戦区で行われた戦闘で約1ヶ月間続き結果、中国軍が惨敗を喫した戦いです。中国側では晋南会戦とも呼ばれ、日本側では中原会戦や百号作戦などとも呼ばれます。


戦ったのは、国民党軍第1戦区(司令長官・衛立煌)約20万、日本軍第1軍約10万です(諸説あり)。
もともと、黄河北岸の山西省南部には、日中戦争緒戦時の敗残部隊とその後の増援部隊を合わせた10万人以上の国民党軍部隊が立てこもり、日本軍による10数回の攻撃にも耐えて日本軍3個師団以上をこの地に誘引していました。


1940年8月の八路軍による百団大戦に手を焼いた日本軍は、小部隊での遊撃戦術をとる八路軍に対処する必要を痛感しており、そのためには高度分散配置をさらに小部隊化する必要がありました。しかし、あまりに小部隊化すれば、今度は敵の本格的な正規軍に対応ができなくなります。この点で最も懸念されたのが、黄河北岸山西省南部に展開していた20万の国民党軍でした。

そこで、日本軍はまずこの国民党軍を殲滅することを目標として発動されたのが、この中条山戦役(中原会戦)です。1941年5月7日から日本軍(第21師団、第33師団、第35師団、第36師団、第37師団、第41師団、独立騎兵第4旅団、独立混成第4旅団、独立混成第9旅団、独立混成第16旅団、張嵐峰部隊、劉彦峰部隊)による一斉攻撃が開始され、6月中旬までに大戦果を上げて終結しています。

国民党軍の損害は戦死4万人捕虜3.5万人で、一方の日本軍の損害は戦死673人負傷2292人で、ほとんど一方的な日本軍の勝利でした。日本軍にとっては、支那事変史上空前の戦果であり、中国軍にとっては、抗戦史上最大の恥辱とされています。


ちなみに、中条山(中條山)は2000m級の山々で、有名な八仙(日本で言えば七福神みたいなもの)の一人、張果老が隠棲していた地として知られています。


【珍説】
 膨徳懐も周恩来も毛沢東も中條山作戦で中国軍は日本軍と闘ったと勇ましきを述べているが、謝幼田が念入り且つ綿密に調べた結果、「八路軍は(戦闘に)まったく参戦しなかった。(中略)中共の元帥、将領たちの抗日回想録をひっくり返してみても、参戦の形跡は何一つ見あたらない」という。

宮崎正弘
http://www.melma.com/backnumber_45206_3282889/

「抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか」
謝幼田



【事実】
文脈から判断する限り「膨徳懐も周恩来も毛沢東も中條山作戦で中国軍は日本軍と闘ったと勇ましきを述べている」内の「中国軍」とは中共軍を指しているつもりだろう、宮崎氏は。しかし、そもそも中条山戦役は中国側の惨敗であるので、中共軍が”我の戦果”と主張するとは考えられない。これはまあ、宮崎氏の印象操作だろう。


そういう意味ではなく、国民党軍が中条山戦区で苦戦している時に中共軍が救援に来なかった、という意味だとすると(謝幼田はそういう主張)、まあ意味は通じる。


しかし、意味は通じても妥当とはいえない。


まず、毛沢東が中条山戦役中の1941年5月25日に出した党内指示をみてみよう。

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(四)新四軍は「反乱した」と宣告されたにもかかわらず、また八路軍は一発の弾丸、一銭の軍費も受けとっていないにもかかわらず、ともに敵軍との戦いを片時もやめたことはない。今回の山西《シャンシー》省南部戦役〔1〕でも、八路軍は、すすんで国民党軍と呼応して戦い、この二週間らい、華北の各戦線で全面的に出撃し、いまも激戦のさなかにある。共産党の指導する武装力と民衆は、すでに抗日戦争での柱石となっている。共産党にたいするすべての中傷は、抗戦を失敗させ、投降するのに都合のよいようにするのが目的である。われわれは、八路軍、新四軍の戦争の成果をのばし、すべての敗北主義者、投降主義者に反対すべきである。


〔注〕
〔1〕 山西省南部戦役とは、中条山戦役のことである。一九四一年五月、日本侵略者は五万余の兵力をもって、山西省南部の黄河北岸にある中条山地区を攻撃した。そ
の地区に集結していた国民党軍は計七コ軍で、そのほか東北部の高平地区にいた四コ軍をあわせると、合計三十五万人にのぼった。だが、黄河以北にいた国民党部隊は、もともと、反共が主要な任務で、日本侵略者とたたかうつもりはなく、日本侵略者の攻撃をうけると、その大部分は戦闘をさける方針をとった。そのため、この戦役では八路軍が国民党軍に積極的に呼応して、日本侵略者に打撃をあたえたにもかかわらず、国民党軍はやはり総くずれとなって、三週間のうちに五万余の兵力をうしない、残りの部隊も黄河をわたって逃走した。

http://www.geocities.jp/maotext001/maosen-3/maosen-3-025.html
--------------------


八路軍は、すすんで国民党軍と呼応して戦い」という表現は「中條山作戦で中国軍は日本軍と闘ったと勇ましきを述べている」と言えるほどの内容には思えない。
この時期の八路軍は、前年の百団大戦とそれに続く日本軍の討伐により大きな損害を受けており、積極的な攻勢に出れる余力はなかったと言われている。そのため、中条山で苦戦する国民党軍に対して八路軍が出来たのは、中条山包囲の日本軍補給路への攻撃と、華北全域に点在する遊撃隊による攻撃程度であったわけだ。


では、
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謝幼田が念入り且つ綿密に調べた結果、
「八路軍は(戦闘に)まったく参戦しなかった。(中略)中共の元帥、将領たちの抗日回想録をひっくり返してみても、参戦の形跡は何一つ見あたらない」
--------------------
というのはどうだろうか?
まるで、中条山に関連した戦闘に中共軍の将軍たちが参加した記録がないかのような記載であるが、実は「すすんで国民党軍と呼応して戦」った将軍の名前ははっきりしている。


陳賡(1903-1961)
中共の十大将軍の一人として知られる有名な将軍である。
1941年当時、八路軍第129師の麾下にあって、第386旅を改編した機動兵団の指揮官として山西省内での抗日作戦を続けていた。
中条山戦役開始から約10日後の5月19日、陳賡は命令を受けて山西省洪洞の北側にある同蒲鉄道への側面攻撃をもって、中条山の国民党軍への支援を行った。
http://cpc.people.com.cn/GB/64162/82819/93659/97718/6060183.html


さて、見当たらないはずの「参戦の形跡」があったわけだが、謝幼田は果たして陳賡の記録を調べたのだろうか?

全くおかしなことだが、1941年5月の中条山戦役に関与した中共の将軍で探せば、陳賡の名があがるはずで調べるなら陳賡の回想録(あるのかどうか知らんが)だけで事足りるはずなのに、「中共の元帥、将領たちの抗日回想録をひっくり返してみても」と大げさな表現をしている。

もし、中条山戦役での陳賡のことを知っているなら、「陳賡が参戦したと主張しているが、陳賡の回想録にはその記述がない」と言ったほうが説得力が増すのだが、そうは書いていない。どうも謝幼田はそもそも陳賡のことを知らなかったのではないかな?


ところで、先の毛沢東指示の引用には「新四軍は「反乱した」と宣告されたにもかかわらず」とありますが、これは1941年1月の新四軍事件(皖南事変)のことを指します。


新四軍事件は、華中で勢力を拡大する中共系の新四軍が国民党軍と対立するようになり、いくつかの小競り合いを経て生じた国民党軍による新四軍包囲攻撃事件です。この国民党軍の攻撃により新四軍は全滅に近い大損害を出し、国民党軍からの軍番号を剥奪されました。


蒋介石はこの事件を新四軍の命令無視と反乱によりやむなく軍紀の則った行動をとった、と主張し、中共側は国民党による計画的な反共行動と主張しました。この事件により、国共合作が最大の危機に陥りましたが、折衝を続け辛うじて国共合作は保たれました。ただし国共の間は冷ややかな状態が続きます。


中条山戦役は、新四軍事件の余波が覚めやらぬ1941年5月に起きた戦役です。日本軍にとっては敵同士で分裂状態であるチャンスでした。日本軍は攻撃開始にあたって国共を離間させる様々なデマを流しています。蒋介石はそのデマを利用し中共を非難し、毛沢東は「共産党にたいするすべての中傷は、抗戦を失敗させ、投降するのに都合のよいようにするのが目的である。」と反論したわけです。


この状況下で中条山の国民党軍が中共軍に緊密な支援を期待する方が無理というものです。実際、中条山戦役で日本の捕虜となった者の尋問記録からは強い反共意識を感じこそすれ、なぜ中共軍が助けてくれなかったかなどという疑問は皆無です。
(参考:http://www.jacar.go.jp/nichibei/popup/19410507a.html

結局のところ、陳賡の記録としては、他の功績の方が大きいため、中条山での戦闘記録が特に目に付かないだけだろう。


ちなみにこの尋問中には、1941年2月に山西省内での国共の担当地域を汾河で分けるという協定が出来ていたという証言が出てくる。これが事実なら中条山戦区は中共軍の担当範囲ではないことになる。


最後に余談。
この宮崎氏の書評には面白い一節がある。

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 ただ最後に蛇足ながら、この著書もユンチアン同様に、刷り込まれた反日意識が取れず、それが随所の記述に何気なく記述されていて平然と日本軍に関して共産党の宣伝を鵜呑みにしているあたりは、客観的信憑性をやや薄くしている。
http://www.melma.com/backnumber_45206_3282889/
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具体的にどの部分を指しているのか推測するしかないのだが、おそらくは、南京大虐殺の一節などを念頭においているのだろう。


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12月13日、南京が陥落、日本軍の大虐殺により、30万以上の軍民が惨めな死を遂げた。

(P73)

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日本のウヨクにとっては残念なことに、謝幼田は南京大虐殺があったと断言しているのだ。
このため、宮崎氏は「刷り込まれた反日意識が取れず」と評する必要があったのだ、ほほえましいねぇ。


まあ、謝幼田の主張はほとんど蒋介石秘録などの焼き写しなので、台湾の立場としての南京大虐殺主張をそのままなぞっているようにしか見えないんだよね。それを「共産党の宣伝を鵜呑みにしている」ように感じる宮崎氏は、南京大虐殺の裁判を蒋介石の国民政府がやったということすら知らないのだろうね。


scopedog




反中・反共ネトウヨにお勧めのプロパガンダ本(註:南京大虐殺があったと書いてある部分は見なかったことにすること)


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