法輪功に妙にシンパシーを感じているらしいネトウヨの質問に対して
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10082660819.html#c10114272014
通りすがりの三国人
「また、最初に併合を打診してきたのは朝鮮側ですし。偏った歴史観と言わざるを得ませんね。」
scopedog
「1909年12月4日の「韓日合邦を要求する声明書」のことかな?
それ以前の1909年7月6日に日本は韓国併合方針を閣議決定しているのだが?」
通りすがりの三国人
引用(中央日報)「本音を隠したままの日本側に対し、まず合邦を打診したのは朝鮮側だった。
総理大臣の李完用(イ・ワンヨン)の側近である、新小説『血の涙』で知られる
李人稙(イ・インジック) が密使として動いたのだ。 」
「日本へ併合を最初に打診したのは朝鮮側だった。という事実を直視する様に。」
でね、これについて調べた。
原資料を確認したわけではないので、下記より引用。
http://ameblo.jp/dreamtale/theme3-10002720229.html
1909年(明治42年)12月17日付『憲機第2495号』から。
大韓新聞社長 李人稙
右は合邦問題発生以来、李首相及趙農相の手足となり各方面の内偵に従事せしが、現内閣より同人を渡日せしめ、日本の朝野が合邦問題に関する意向を探らしむるの目的にて、今17日午前9時南大門発にて日本に向へりと。
又一説には、李・趙等が一進会の声明書に反対したりとの説は、誣説なりとの意味の弁疏書を日本政府へ持来せしめたりとも云ふ。
真偽何れか未詳。
尚、同人を渡日しむるに付ては、左の内密ありと云ふ。
李完用は初め、李允用・金嘉鎮に申某を通訳として渡日せしむる筈の処、此事早くも世評に上りし為め遂に中止し、李人稙に変更せしと。
李は日本語に精通し、通訳等を介せざる便ある為め李を選抜するに至りしと。
然るに、未だ出発せざる。
又々暴露したるに付、或は又、中止するにはあらざるかと云ふものあり。
つまりですな、李人稙が密使として動いたのは、1909年12月、日本が韓国併合方針を閣議決定した後なんですな。
まったく宗教にかぶれているネトウヨはこれだから・・・。
(追記2008/4/11)
まあ、「憲機」が「憲兵隊機密報告」の略であることを知らずに、密使の意味を説明している馬鹿はともかく・・・。
「原資料を確認したわけではないので、下記より引用。」
という留保に食いついている馬鹿もいるなあ。
で、なんでわざわざそういう留保をつけたかというと、引用先の主が嫌韓的な解釈をしているからなんですな。
ただ、資料の引用に際し改竄はしないだろうと信頼しているから、原資料に当らないだけで、それが理解できない馬鹿は騒ぐ、と。
資料名は「憲機第2495号」と明記してあるんだから、調べりゃいいんだがそれも出来ないらしい。
ちなみに韓国政府のサイトに、統監府文書のテキストが載ってるのを見つけて個人的に喜んでいる。
http://db.history.go.kr/front/dirservice/JH_TG/listMainJH_TG.jsp
統監府文書9>二.韓日合邦関連文書>(123)[大韓新聞社長 李人稙の渡日目的に関する件]
が、「憲機第2495号(1909/12/17)」にあたる。
案内用のタイトルなどは韓国語だが、文書そのものは日本語(つまり原文)で記載されているので非常に助かる。
憲機第二四九五號
大韓新聞社長 李人植
右ハ合邦問題發生以來李首相及趙農相ノ手足トナリ各方面ノ内偵ニ從事セシカ現内閣ヨリ同人ヲ渡日セシメ日本ノ朝野カ合邦問題ニ關スル意向ヲ探ラシムルノ目的ニテ今十七日午前九時南大門發ニテ日本ニ向ヘリト又一説ニハ李·趙等カ一進會ノ聲明書ニ反對シタリトノ説ハ誣説ナリトノ意味ノ辨疏書ヲ日本政府ヘ持來セシメタリトモ云フ眞僞何レカ未詳尚同人ヲ渡日セシムルニ付テハ左ノ内密アリト云フ
李完用ハ初メ李允用·金嘉鎭ニ申某ヲ通譯トシテ渡日セシムル筈ノ處此事早クモ世評ニ上リシ爲メ遂ニ中止シ李人植ニ變更セシト李ハ日本語ニ精通シ通譯等ヲ介セサル便アル爲メ李ヲ選拔スルニ至リシト然ルニ未タ出發セサル又々暴露シタルニ付或ハ又,中止スルニハアラサルカト云フモノアリ
以上
明治四十二年十二月十七日
引用先通りですね。