当時の呼称と、「支那」に拘る人に対して | 誰かの妄想

当時の呼称と、「支那」に拘る人に対して

えー、なんか久しぶりに更新です。


年末年始が忙しかったとか、めんどくさかったとか、色々勝手な理由がありますが、所詮勝手にやってるブログなので、まあいいや、とか、そんな感じ。


とりあえず、「支那」呼称について書いてみました。


なんでかというと、中国のことをことさら「シナ」と呼びたがるネトウヨが多いのでねえ・・・。

と言っても、別に言葉狩りをするつもりはなく、実際、うちの奥さんの祖父は中国とビルマで従軍経験があるのだが、普通に「支那」と使ってます。こういう本人の(そういう環境に生きていた)経験に基づく場合は、特にどうとも思いません。


でも、そういう体験もない若造が、意図的に「支那」と呼ぶのはなんとも違和感ありありです。


で、こういう人たちに限って、太平洋戦争は後から政治的意図でつけた呼称で正しくない。当時の閣議決定である「大東亜戦争」にすべき、とか言うわけです。


さて、では「支那」呼称について、当時の政府はどう決めていたのでしょうかね?


実は1930年当時に、「支那」呼称を避けるように閣議決定されてます。
しかも「支那ナル呼称ハ当初ヨリ同国(註:中国)側ノ好マサリシ所ニシテ」「支那側感情ヲ無視ステ従来ノ用例ヲ墨守スルノ必要ナキ」と、相手国を慮るくらいの余裕もあったようで・・・。

してみると、「支那」表現に拘る今のネトウヨは、当時の閣議決定を無視した上に相手を慮る余裕もない、と何とも哀れな存在ですね。

もっともこんな閣議決定をした政府自身が、その後散々「支那」表現を使ってますが・・・。


ちなみに、実際に従軍経験がある高齢者が「支那」表現を使っているのについては、私は特にどうも思いません。皆が皆、閣議決定に従ったわけでもないし、当時の風潮の中で経験した人にとっては染み付いちゃってるでしょうから、特に差別という自覚もないでしょう。
でも、戦後生まれ、とりわけ現在の10代~50代とかで「支那」表現をことさら使うのは、自らの思想背景を宣言しているようで気持ち悪いです。はい。


http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt01474.htm
支那国号ノ呼称ニ関スル件
    昭和5年10月31日 閣議決定

支那ニ於テハ清朝覆滅共和制樹立ト共ニ従前ノ国号清国ヲ中華民国ト改称シ爾来幾度カ政治組織ノ変転アリタルモ右中華民国ノ国号ハ一定不動ノ儘今日ニ及ヒ我方ニ於テモ大正二年十月六日在支帝国公使ヨリ共和制新政府ニ対スル承認通告ノ公文中「中華民国ヲ承認スル」旨ヲ明カニシタルカ一方政府ハ同年六月閣議ヲ経テ邦文公文書ニ用フヘキ同国国号ニ関シ条約又ハ国書等将来中華民国ノ名称ヲ用フルコトヲ要スルモノハ別トシ帝国政府部内並帝国ト第三国トノ間ニ於ケル通常ノ文書ニハ今後総テ従来ノ清国ニ代フルニ支那ヲ以テスルコトヲ決定シ前記新政府承認ノ官報告示文ニハ支那共和国ヲ承認シタル旨ヲ記載セルカ爾後ニ於ケル慣行ハ条約国書等前期閣議決定中特例ヲ設ケタルモノ付テモ実際上支那国又ハ支那共和国ノ呼称ヲ用フルヲ例トシ来レリ
然ルニ右支那ナル呼称ハ当初ヨリ同国側ノ好マサリシ所ニシテ殊ニ最近同国官民ノ之ニ対シ不満ヲ表示スルモノ多キヲ加ヘタル観アリ其ノ理由ノ当否ハ暫ク措キ我方トシテ右様支那側感情ヲ無視ステ従来ノ用例ヲ墨守スルノ必要ナキノミナラス近来本邦民間ノ用例ヲ見ルモ中華民国ノ呼称ヲ使用スルモノ頓ニ倍加シツツアル状況ナルニ顧ミ目下ノ処支那政府ヨリ本件改善方ニ付何等申出来レル次第ニハアラサルモ此際我方ヨリ進テ従来ノ用例ヲ変更スルコト時宜ニ適スルモノト認メラル
就テハ今後支那国ヲ表示スルニ付テハ条約国書等既ニ前記大正二年六月閣議ヲ以テ中華民国ノ呼称ヲ使用スヘキコトヲ定メラレタルモノニ於テハ勿論其他国内又ハ第三国トノ間ニ用フル邦語公文書ニ於テモ一律中華民国ノ呼称ヲ用フルコトヲ常則ト致度
右閣議決定ヲ請フ