投降した日本兵を裁判なしに殺すのは合法らしい(小室氏の論法だと)
青狐さんとこ経由で知った数学屋さんのエントリ
http://d.hatena.ne.jp/khideaki/20070709
小室氏によれば、戦争における最高責任者は、降伏を申し入れる権限を持っているということだ。降伏というのは、単に勝ち負けを判断するということだけではなく、降伏して捕虜となる権利を認めさせるということが大きいという。国際法によって、捕虜に対してはその取扱いが規定されているので、捕虜として認められれば、簡単に処刑されることはなくなるし、保護されるという権利を手にすることが出来る。
敗色濃厚な戦闘のとき、降伏をするということは、味方の犠牲を防ぎ、捕虜として扱ってもらうために必要な行為だった。南京における中国軍は、この降伏行為がなかったようだ。そのため、捕らえた中国兵が捕虜であるのかどうかが、法的に決定出来なくなったという。スパイや便衣兵として処刑された者は、法的な意味で捕虜でなかったことが言えれば、その処刑の違法性は追及できなくなる。戦争行為の上では「しょうがない」ことになる。
要は、南京攻略時に日本軍は捕らえた中国軍兵士を多数殺したが、それは合法だと言いたいらしい。
しかしねえ、
「捕らえた中国兵が捕虜であるのかどうか」
捕虜でなかったらなんなの?という視点がどうして欠落しているのだろう?
(この辺、交戦者資格を考えているのだろうが、詳細は別のエントリに譲るが、単純に考えて捕らえた相手が軍人じゃないなら、それは民間人だろ、と。)
数学屋さんの述べる小室氏の論法では、降伏して捕虜となるには、戦争における最高責任者の認可が必要となるわけだが、それ自体おかしくない?
戦闘行動中、兵士が部隊からはぐれて敵軍に捕らえられた場合、その兵士は捕虜とならないの?空中戦で撃墜され敵地にパラシュート降下したパイロットは?
そういう兵士が、捕虜とされずに殺されても国際法上問題なし?
本気でそう思ってます?
上記の場合に捕虜とされた事例はなんぼでもあると思うますが?
普通の感覚で考えれば、兵士を捕らえた段階で、その兵士は捕虜ですよ。
捕らえた後で殺すのは「戦争行為」じゃありません。
大体ね、玉砕といわれるアッツ島にしても、戦死2638名の他に生存者27名がいますが、彼ら27人は法的には捕虜ではなかったとでも?米兵に無裁判処刑されても仕方ないとでも?硫黄島も守備兵2万人中1000人程度が捕虜になっているが?
「硫黄島からの手紙」で、投降後に米兵に殺された日本兵が描かれていたが、あれは法的に当然のこと?小室氏や数学屋氏はあの場面を観て「当然だ」と思ったわけ?
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ま、この程度の議論は、既にApemanさんがエントリにしてますけど(笠原十九司・吉田裕(編)、『現代歴史学と南京事件』、柏書房 の紹介として)。
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C673208941/E20060331003708/index.html
ついでに、「国民のための戦争と平和の方 小室直樹・色摩力夫 著より」と記載された小室氏の本を参考にしたサイト
http://toron.pepper.jp/jp/epi/tokyo/horyo.html
では、このように述べられてます。
「神功皇后は、朝鮮出兵の時「自服は殺すこと勿れ」と布告しています。
後醍醐天皇は、「是非につき左右無く断罪すべからず」と命じています。
萩生徂徠は、その「鈴録」という兵法書の中で、「降人を殺さば、手にかけて殺したらん人、下手人の罪に処すべし」と書いています。
要するに、わが国では、古来、捕虜を人道的に待遇するという思想が存在しているのです。」
これと
「捕らえた中国兵が捕虜であるのかどうかが、法的に決定出来なくなったという。スパイや便衣兵として処刑された者は、法的な意味で捕虜でなかったことが言えれば、その処刑の違法性は追及できなくなる。戦争行為の上では「しょうがない」ことになる。」
は、どう整合性をとればいいのでしょうか?
神功皇后や後醍醐天皇、荻生徂徠の時代にも、法的に捕虜ではない、と言って投降者を殺したのでしょうか?
数学屋氏は、宮台氏のコピーたらんとするより、自分の頭で考え判断したほうがいいと思います。