産経症・国民の「意思」は取り締まるが国の「意思」は取り締まらないのが産経流 | 誰かの妄想

産経症・国民の「意思」は取り締まるが国の「意思」は取り締まらないのが産経流

共謀罪案では、目配せでも共謀が成立する、と言う話でした。
共同共謀正犯の裁判では、暴力団組長は一言も話していないにもかかわらず、組員の発砲の共謀責任を負わされました。
武富士の社長は、過大なノルマを課すことで社員に犯罪行為を教唆した、とされてたような。


でも国や軍が加害者になると、やたらと認定基準が厳しくなるらしい。

沖縄戦の集団自決の話。

軍が命令したわけではない。とのこと。
もちろん、正式な命令ではなかったでしょう。

でも全く命令も強制もなかったなら、なぜ住民は自決したんでしょうか?
圧力や空気といった強制だったんじゃないのかな?


今生きている人たちは、そういう空気によって自殺に追い込まれることは許容できるのでしょうか?
まさに会社のノルマなどで追い詰められて自殺する人そのものに当てはまると思うんですけどね。

「会社が自殺しろと命令したわけじゃないですよ」なんて主張されたら、どう思うのでしょうか。


(追記)

ちなみに産経は2006/8/19の主張で、


「【主張】広島の校長自殺 組合に改めて猛省求める

 7年前、国旗・国歌問題をめぐり広島県の校長が自殺したケースが、公務災害と認定された。「校長が学校運営上の課題で苦悩していた」と判断されたためだ。当然の決定である。

(中略)

 今回の公務災害認定について、同県高教組委員長は「遺族の悲しみは何年たっても癒えることはないと思うが、一つの救いになればと思う」と人ごとのように話している。自ら厳しく反省してもらわなければ困る。」

と書いている。まさか、教職員組合が校長に自殺するように命令していたわけではあるまいに。
命令と同様の圧力と言う意味では、沖縄のケースの方が重いと思うのだがね。



【産経抄】
 沖縄戦での住民の集団自決については、2年ほど前にも小欄でふれた。沖縄本島の南西、渡嘉敷島と座間味島という二つの小さな島で大戦末期、米軍の激しい攻撃にさらされた多くの住民が自ら命を絶った。何とも痛ましいできごとだった。

 ▼だが集団自決が両島に駐在していた日本軍の守備隊長の「命令」だったという説には早くから疑問の声があった。「命令」を証言した女性が後にそれをひるがえしていたことも分かった。軍の要請で戦闘に協力したのなら遺族年金がもらえるため、口裏合わせをしたというのだった。

 ▼その後も当の隊長らが、「命令はしていない」と訴えて裁判を起こすなどで、否定する説が一段と強まっている。それなのに今回、検定を受けた高校の日本史教科書は相変わらず、軍に強いられたように記述していた。それも7種の教科書がほぼ横並びだった。

 ▼だから文部科学省が「誤解を招く」として検定意見をつけ、修正させたのは当然のことだ。遅きに失したぐらいである。戦争の悲惨さを伝えるのは大事だが、あくまで真実に基づくのが教科書だからだ。逆に分からないのが教科書執筆者や出版社の態度である。

 ▼軍命令を否定する説は耳に入り、目にもしていたはずである。それなら自ら徹底的に検証して書くべきではなかったのか。そうせずに、過去の記述を踏襲、修正は文科省の検定のせいにする。そんな体質が慰安婦問題など「歴史誤認」の独り歩きを許してきたのだ。

 ▼秦郁彦氏は産経新聞(東京版)へのコメントで「軍の命令」が独り歩きした背景を探った上で、こう述べている。「教科書執筆者も既に気付いており、今回の検定はいわば“渡りに船”だったのではないか」と。痛烈な皮肉と受け取った。

(2007/04/01 05:06)