産経症・豊かで美しい日本の歴史以外は目に入らない人々。眼科に行ってください。 | 誰かの妄想

産経症・豊かで美しい日本の歴史以外は目に入らない人々。眼科に行ってください。

やはり、この年だと、もう現代仮名遣いを覚えることは出来ないらしい。(参照
ついでに日本史の知識も怪しそう。

老いたな、こぼり。


いや前からだけど。



【正論】東京大学名誉教授・小堀桂一郎 「建国記念の日」を本来の形で祝う

 ■豊かで美しい日本の歴史を見つめる

 ≪民間と政府が別々の式典≫

 「国民の祝日に関する法律」の改正とその附則としての政令の制定といふ形で「建国記念の日」が2月11日に定められたのは、昭和41年6月のことだつた。その翌年に、新制定又は復活した明治6年来のこの祝日を初めて祝つてから本年で40年が過ぎた。

 あの年以来「建国記念の日奉祝会」といふ民間団体が連年建国記念式典を開催してこの記念日の意義を広く世に訴へる活動を今日まで続けてきてをり、東京での「建国記念の日中央奉祝式典」をはじめとして全国各地での民間有志による祝典の開催は、現在ではますます賑(にぎ)やかな模様で、筆者の貧弱な情報収集力では到底全容を把握しきれない。

 民間のこの動きに対し、政府も重い腰を漸(ようや)く上げた形で、昭和53年から59年にかけて総理府、文部省、自治省等が順次この式典の開催を「後援」するといふ姿勢を見せる様になつてゐた。然(しか)し、昭和59年中曽根内閣の時に、政府は式典の意義から「神武建国」を謳(うた)ふ表現を削除し、また「天皇陛下萬歳」の三唱をやめて「日本国萬歳」に切り替へよ、との異様な要求をつきつけ、これを政府「後援」の条件とするに至つた。そこで、紛糾の結果昭和63年以降建国記念の日を祝ふ式典は政府後援の「国民式典」と民間主催の「奉祝中央式典」との2つに分裂し、都内での開催も2カ所で別個にといふ妙な事態となつた。政府後援の「国民式典」は平成17年には式典ならぬコンサートのみの開催となり、18年には全面的に取りやめとなり、つまり20年足らずで雲散霧消した。


★建国記念日に天皇陛下万歳と三唱するのは、将軍様マンセー、と言うのと同レベルですな。いや別にいけない、とは言いませんが。
★とりあえず、小堀氏は北朝鮮がうらやましい、ということは理解しました。


 ≪教育的な意味で重要な日≫

 政府が肩入れする形での奉祝式典の消滅を、筆者はそれほど嘆かはしいとしてゐるわけではない。ただ、さういふものだつたか、と思ふだけである。負け惜しみではなく、この日が「国民の祝日」の一環である以上、現在の「日本の建国を祝う会」に代表される民間有志主催の奉祝式典が今後も長く続けばそれでよいと思ふ。むしろ式典の開催母体やその祝意表現の形式をめぐつての不純な政治的駆け引きが消えたその分だけ、この記念日の意義をその本来の形に近づけ得るよい機会をかち得たと考へればよい。

 本来の形とは何か。別段難しい問題ではない。この日を、我が国の歴史についての関心を高める、教育的な意味に於いて重要な日だ、と認識することである。


★建国神話と歴史をごっちゃにしちゃ駄目だよ。


 日本民族が国家形成の意思を抱いたのは、海彼(かいひ)の大陸に於いて前漢が滅び後漢王朝が勢を揮(ふる)ひ始めた頃、或いは少し遡(さかのぼ)つて漢の武帝といふ高名な皇帝の覇権が東アジア世界に広い政治的変動をもたらす様な刺激を及ぼし始めたのを受けてのこと、と筆者は漠然と考へてゐる。一方国家といふ名の政治制度ではない自然発生的民族文化の担ひ手としての大和民族の歴史は、近年の考古学的発掘の成果によつて、遙(はる)かに古い昔に始まつてゐたと見る傾向が顕著である。それらの学術的研究成果が神話時代からの物語伝承の新たな裏付けとなる関連の諸例を見るにつけ、民族の歴史の蒼古(そうこ)の過去に向ける我々の興味の拡大・深化はその尽きるところを知らない。


「と筆者は漠然と考へてゐる」ああそうかい、としか言いようがないなあ。
「我々の興味の拡大・深化はその尽きるところを知らない」勝手に我々とくくらないで欲しいんだけど。個人的には先史時代にそれほど興味はないなあ・・・。


 また口誦伝承と文字による記録が確立して以降の民族の先祖の物語にしても、文献的研究の精密化とそれを普及せしめる出版事業の隆盛ぶりを見れば、日本人は元来歴史好きであり、史癖は佳癖である、と断言した先学の言葉通りだとの感想がわいてくる。


「日本人は元来歴史好きであり」別に日本人に限らんだろう。水戸光圀が大日本史を編纂し始めた動機は、日本には中国みたいな通史がないからじゃなかったっけ?よく知らんけど。


 高等学校の地理歴史教科で国史が必修科目とされてゐないといふ現状を知つた時の筆者の驚きは前回の本欄(昨年12月15日付)で筆にした通りだが、その様な教育制度上の欠陥を補ふに足るだけの、民間の出版文化の充実といふ強みを我々は保有してゐる。


「民間の出版文化の充実といふ強みを我々は保有してゐる」その強みを使ってトンデモ歴史観を垂れ流してわけだ。産経を通して。迷惑な話だなあ。


 ≪愛国心の涵養といふ目標≫

 建国記念の日を国史への興味を広く喚起するための教育的意味をこめた祝日として捉へ直すには、政府が奉祝行事から全面的に手を引いてしまつた現在こそがむしろ好機到来である。


★要するに、資本力のある方が、自分の歴史観を押し付けることができる、ということが言いたいのかな?
★まあ、「プライド」にせよ、「南京の真実」にせよ、資本力がないとできないプロパガンダ活動ではありますな。いや、「南京の真実」は公開前なので、留保しておくか。


 教育基本法の改正を待望した人々の熱心な願ひであつた愛国心の涵養(かんよう)といふ目標を筆者も内心に共有するものではあるが、ただそれをあからさまに口にするのは何となく憚(はばか)られる。その代りに推奨したいのが、国史への一般的関心の喚起である。元来、我が国は法と秩序の安定を基礎としてといふ点で、実は世界の人々の羨望(せんぼう)の的となるに値する、豊かで美しい歴史を形成してきたのだ。この基本的な知識が、特に青少年の間に浸透してゆくならば、そのことだけで愛国心の涵養といふ教育目標は十分に達せられるだらうと考へてゐる。(こぼり けいいちろう)


「ただそれをあからさまに口にするのは何となく憚(はばか)られる。」愛国心を押し付けると言うことに対する拒絶反応は理解しているらしい。なんか詐欺師みたいなやり口だな。
「元来、我が国は法と秩序の安定を基礎としてといふ点」えーと、いつの時代を指しているのかな?安定していたとすれば、まあ江戸時代なんかは比較的安定していたといえるけど、林子平や高野長英など弾圧された知識人や一揆に対する対応など、権力者の押し付ける一方的な秩序しかなかったのでは?
「豊かで美しい歴史」武烈天皇 なんかどうだろう?美しい?
★日本は日本の特色ある歴史を持っているわけだが、それは他国に比べて優れているとか「世界の人々の羨望(せんぼう)の的となるに値する」とかの問題じゃないでしょ?
★それぞれの国がそれぞれの歴史を持っており、それは別に優劣の付けられるような物ではないと思いますね。
★個人的には、日本の歴史は日本ならではの特色ある歴史だと思いますが、他国にだって特色はあると思ってます。日本だけでなく他国の歴史を知ることによって、その違いを学ぶことは非常に興味深いことだとも思います。「世界の人々の羨望の的」かどうかなんてことには、興味ありません。「世界の人々の羨望の的」でなければ愛国心をもてない、と言う人は、そもそも愛国心と言う物をわかってないのでしょう。
★大体ね、自分の妻が他人もうらやむような美女でなければ愛せませんか?自分の子供が他人の子より優れた神童でなければ愛せないのでしょうか?小堀氏にとっての愛ってそういうものなのでしょうか?
★都合の悪い史実を隠蔽して植えつけた「愛国心」にそれほど意味があるのでしょうか?そういうのを「愛国心の涵養」というの?ならやんない方がいいと思いますね。


(2007/02/11 05:07)