産経症・北方領土はみんなボクのもの論
年末は何かと忙しいので、面白いネタがあってもなかなか料理するヒマがない・・・。
今回は、麻生クン、たまにはいいこと言うじゃん、と思った件について。
ちなみに、今回、参考にしたのは、この本。
「北方領土問題 4でも0でも、2でもなく」岩下明裕著(中公新書1825)
【主張】北方領土2等分 麻生外相は何をお考えか
麻生太郎外相が衆院外務委員会で北方領土問題について、択捉・国後・歯舞・色丹の4島全体の面積を日露で2等分する解決案に言及した。外務省は「政府の立場と関係ない個人的考え」としている。しかし問題は国益と国家主権にかかわる重大事だ。
戦後、日本が一貫して訴え続けてきた「4島返還」の大原則を葬り去りかねない意思を、外交の最高責任者が国会で表明したのだ。
★「戦後、日本が一貫して訴え続けてきた「4島返還」の大原則」えーと、これ嘘です。一時期、二島返還で決着をつけようとしたことがあります。1955年、日ソ国交回復交渉の際、ソ連側は二島返還での決着を打診し、日本の重光葵外相は受諾しようとしたが、アメリカのダレス国務長官が「それならば沖縄を返還しない」と恫喝したため流れた。
四島一括返還を一貫して主張するのは、1956年以降です。ちなみに、従来、択捉・国後は「南千島」と呼ばれていたが、1964年の外務次官通達によって「北方領土」という呼び方をするように指示がでている。(なお、講和条約締結時に日本は「千島」を放棄している。)
全国で粘り強く「4島返還」運動を続けている活動家や一般国民の間からも外相発言に対する疑念と動揺が出ている。そんな声に答える意味で、発言の真意は奈辺にあるのか、外相自ら早急に説明する責務があろう。
★「全国で粘り強く「4島返還」運動を続けている活動家」街宣右翼?
そもそも、あくまで四島返還を目指す人もいれば、三島でも二島でも、とにかく領土問題の解決を求める人もいるだろう。「核武装の議論」については、議論することさえ認めないのは非民主的と非難した産経は、北方領土になると、この言い草・・・。手のひらは何度かえしても気にならないくらい面の皮が厚いのだろう。
外相は再任直後の報道各社インタビューでも「2島(歯舞・色丹=領土全体の7%)では日本がダメ。4島ではロシアがダメ」として事実上の「(択捉を除く)3島返還論」に言及していた。それが今回は「北方領土を半分にしようとすると、択捉の約25%と残り3島をくっつけることになる。面積も考えずに2島だ、3島だ、4島だというのでは話のほかだ」と述べた。
★実際問題としては、島の陸地面積だけでなく、領海についても考慮すべきだろうが、三島返還論は両国の妥協点としては適切。いわゆるフィフティ・フィフティの決着。この方法で重要なのは、双方とも一定の譲歩をすることになるため、互いの世論をどう納得させるか、という点。
2006/12/26のモスクワでのデモ参加者がたった20人であったことは
、麻生案に対してロシア世論は受け入れ可能との意思表示とも取れるわけで、問題は日本の世論だけ。しかるに産経はこの論調・・・。ロシアの20人と同レベル。
日露間では先月の首脳会談で「日露双方が受け入れ可能な解決を目指す」と確認された。外相はこれを踏まえ、「2等分」した面積が「3島」より広く4島にまたがるため、国民の理解を得やすいとでも考えたのだろうか。
★面積等分あるいは三島返還は、外交的な落しどころとしては適切。日ソ共同宣言で、歯舞・色丹の日本返還は明確になっており択捉・国後が継続協議、となったわけだし(択捉・国後を継続協議に出来たのは鳩山・河野外交の成果と言える。このとき四島返還を絶対条件としていたら日ソ国交は成立せず、日本の国連加盟もなかった。)。
中露両国は2年前、一部未解決だった領土を2等分して積年の国境問題を最終解決した。その妥協の前例を、北方領土問題にも適用しうるとの判断が外相にあった、との観測もある。しかし、中露国境紛争と北方領土問題では生起の歴史的経緯がまるで違う。
★国境問題なんて皆歴史的経緯は違うもの。中露間だけでなく、中央アジアでの国境調停も等分をベースにした交渉でうまくやっていることを考えれば、歴史的経緯が違う、なんてのは言い訳に過ぎません。
日本固有の4島は他国の領土になった過去はなく、スターリンが終戦直後に一方的に不法占拠したことだけが原因の領土問題である。
★いや、宣戦布告後の侵攻によるので、法的に問題のない占領状態です。帰属に関しては、平和条約締結後決定する、となってるだけ。不法占拠というのは言いがかり。「他国の領土になった過去はなく」なんていうのも無意味な主張で、「だったらどうしたの?」てなもんです。
つまり、問題発生の淵源(えんげん)は、百パーセント旧ソ連(ロシア)側の非にある。双方に非(原因)や特殊な経緯があった中露国境のように、単純算術的、技術的に解決策を探ること自体が理不尽なのである。
★1945年8月8日の宣戦布告に基づく日ソ間戦争における軍事占領なので、国際法的にどうこういう余地はあまりないですね。
大体、中露国境の問題のほうが簡単だったともいえない訳で、実際1969年には中ソ間で軍事衝突が生じている(珍宝島事件)。このときは、中ソは核戦争に発展する可能性すらあった。それでも、戦争に訴えることなく解決策を探った結果、1991年協定にこぎつけたのである。
この外交努力による成果は、(当初から予定していたものでないにしても)誉められるべきことで、学ぶべきことでもある。でも産経は学びたくないらしい・・・。
「4島」要求を放棄すれば、それを前例に国益・国家主権が絡む他の問題でも各国から不本意な譲歩を迫られ、千載に禍根を残す羽目となろう。
★おおっ懐かしい!ドミノ理論だ。
こんなことを言っていたら、中露国境の問題も解決はしなかっただろう。
(2006/12/15 05:02)