今の政情は日中戦争直前に似ているような・・・
- 日中戦争がよくわかる本
- ¥629
- 株式会社 ビーケーワン
太平洋戦争に比べ、日中戦争の流れがわかるような本は少ない上、文庫で平易に記述されているので、これから学ぼうとする人には良さそうな本。
この本では、日中開戦に至った原因の一つの傍証として、当時の日本の雰囲気が挙げられている。例えば盧溝橋事件当時の首相、近衛文麿が1937年1月1日に朝日新聞に寄稿した論文。
「・・・自ら開発の力が及ばざるに天賦の資源を放置して顧みないというのは、天に対する冒瀆とも言い得るが、日本は友諠の発露として開発をなさんとするものである。」「もしこの際支那の朝野にしていたずらに我が日本を仇敵視し、欧米依存に終始するものならば、軈て東亜の禍乱を自ら招来するものとして永く白人種の侮蔑を免れないであろう」(p99)
要するに、”中国は資源を持ってるけど、どうせ開発する能力はないだろうから、寛大な日本が開発してやろう。わざわざそう言ってやってるのに、何勝手に欧米に頼んでるんだよ。ふざけんなよ。お前と俺の話だろ。勝手に他人を呼ぶんじゃねえよ。”
と言うわけだ。
内容的にはほとんどやくざかチンピラのような、いかにも勝手な言い分だが、こんな発言をした人間が半年後に首相になったときは、日本国民の多くが支持したわけだ。つまり、そういう雰囲気だったのだ。
そう言えば、安倍って、ある意味近衛と似てるような・・・。両方とも坊ちゃんだし、若造だし、言葉の表面は丁寧だが言っていることはトンデモだし・・・。
その他、南京事件についてはこんな風に記述してある。
「・・・南京占領後の掃討作戦で多くの中国軍捕虜が虐殺された。軍人でない一般市民も相当はいっていたことと思われる。
その数についてはさまざまな推計値があるが、今日では、ごく一部を除いて、南京虐殺の事実そのものを否定する者はいない。・・・」(p170)
確かに、事実を否定しているのは、産経新聞とその一派、あとは自慰史観に乗せられたネトウヨくらいだからなあ。ごく一部だけだよなあ。
(産経新聞にしたって、本紙で明確に否定してはいないはず。”疑問がある”という表現でごまかしていたような・・・。さすがに堂々とトンデモを披瀝するのはためらわれるのだろう。それだけに裏で小ずるい手回しをしてそうだが・・・)
あと、よく言われる「中国軍は弱い」という先入観だけど、この本を読む限りは、小林よしのりが描くように、すぐ逃げ散っていくような感じは受けない。
無論、一般的に中国軍の装備・組織・練度などは日本軍に劣っていたわけだから、同人数規模で比較すれば中国軍が弱いと言うのは正しいと言える。ただ、北京や上海での戦闘では、師団長クラスが戦死するような戦闘もあって、決して逃げ散っていると言うイメージはわかない。
盧溝橋事件により、対日全面戦争を決意した後の中国軍の戦意は、それまでとは明らかに変わったと言えるだろう。日本はその中国の決意を見誤ったのである。そうして、泥沼に陥った日本軍は苦戦し、そのつけは国民に回ってくる。しかし、戦争に対する不満は言えない。なぜなら「聖戦」だったからである。日中戦争では、こういう批判のしにくい美名を日本政府は使ったのである。
最近の例で言うなら、「構造改革」「郵政民営化」「美しい国」「対話と圧力」といったところか。
字面だけなら、誰も否定はできない。問題は中身なのだが、中身の議論などを封じ込めてしまうのが美名を用いる者のやり方だ。
例えば、こんな感じ。
「一度戦争が起これば、問題はもはや正邪、曲直、是非、善悪の争いではなく、徹頭徹尾力の争い、強弱の争いであって、八紘一宇とか、東洋永遠の平和だとか、聖戦だとかいってみてもそれはことごとく空虚な偽善である」(p226:衆議院議員、斎藤隆夫の発言)
まあ、正論である。これに対して、政府は韜晦する。
「今事変は肇国の精神にもとづき八紘一宇の顕現を図るもので、弱肉強食を本質とするいわゆる侵略戦争ではない。領土の併合も賠償金の要求もしていない。聖戦だからである」(p226:陸軍大臣、畑俊六の発言)
最終的には、議会により、斎藤隆夫は議員除名されてしまう。正論はこうして封じ込められた。
ところで、上記の畑俊六の発言内容だが、実際には、南京陥落後(1937年12月)に日本は中国との和平条件を吊り上げている。
・満州国の承認
・賠償金の要求
・日本軍占領地の中国軍非武装化
・北支5省の親日政権による特別行政区化
(p188)
・・・よくも白々と言えたものだと思う。
そう言えば、小泉政権も沖縄返還に関して似たような韜晦をやっていたような・・・