産経抄・ただし、これだけは見るなよ。
■【正論】上智大学名誉教授 渡部昇一 富田メモの真相を国会も調査せよ/産経2006/9/6
まあ、歴史資料においてその真贋を検証することは重要である、というのは同意できる。
しかしそれならば、渡部氏がするべきは、現在までに富田メモに対して行われた検証内容を確認し、他にどういった検証をするべきか語ることであろう。
ところが、
「今までの報道から私の知る限り、右のような文書鑑定の手続きを一切無視して発表が大々的に行われた"ようである。"」
「鑑定を頼まれた人たちも、そんな重要な検定をするのに十分な時間や手段が与えられていた"のだろうか。"」
という憶測・推測しか語ってはいない。真贋の検証が重要であると考えるのなら、なぜその程度のことを調べていないのか?
もし、鑑定の手法に重大な瑕疵があったのなら、徹底した調査が必要であろうことは全く賛成できるのだが、どこがどう問題なのか、については上記の憶測以外一言も述べていない。
結局のところ、富田メモが偽物であってほしいという願望が先にあって、いちゃもんを付けているとしか思えない内容である。
であればこそ、最初に「≪権威者ですら真贋を誤る≫」と書いているのだろう。
「権威者ですら真贋を誤る」と言うのは一般論としては正しいのだが、見方を変えればこの言い方は、どれだけ鑑定をしても「偽物の可能性がある」と主張できる根拠ともなる。仮に何千人ものスタッフを動員し、何年もかけて真作という鑑定結果を出しても、この一言で真贋をいつまでも保留出来る魔法の言葉である。要するに”言いがかり”だ。
その後は、印象操作と思しき、偽物の例を列挙して、まるで富田メモも偽物であるかのような展開が続く。
そして最後に、予防線として
「天皇陛下や皇族方のプライベートなつぶやきみたいなものまで、本人の同意なく発表され、政治的に利用されては陛下も国民もたまらない。」
と付け加えている。これでは、真作と断定しても、文句を付けられることになる。歴史学者にとって、富田メモは引用できない聖域とされるに等しい。
そういえば、こんな話があった。「人間は神の下に平等である。ただし黒人は除く。」
さしづめ、渡部氏と産経にとってはこういうことか。
「日本は自由と民主の国だから、歴史研究にあたってどんな資料を参照してもいい。ただし、これだけは見るなよ。」
なんか懐かしいコントだなあ。