産経症・小林秀雄の言を利用する | 誰かの妄想

産経症・小林秀雄の言を利用する

産経は、相変わらず日本の戦後60年の歴史を自虐的にとらえるのに余念がない様子。

そんなに日本が嫌いなのか?


産経・正論:■真の保守主義に必要なものは何か 精神の崩壊を招く「崇高」の喪失


この中で、都留文科大学の新保祐司教授のは、小林秀雄の1946年1月の発言


 「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙つて処した。それについて今は何の後悔もしてゐない。大事変が終わつた時には、必ず若(も)しかくかくだつたら事変は起らなかつたらう。事変はこんな風にはならなかつたらうといふ議論が起る。必然といふものに対する人間の復讐(ふくしゅう)だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起つたか、それさえなければ起らなかつたか。どうも僕にはそんなお目出度(めでた)い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性といふものをもつと恐ろしいものと考へてゐる。僕は無智だから反省なぞしない。悧巧(りこう)な奴はたんと反省してみるがいゝぢやないか。」

を引用してこう述べる。

 これは、当時「放言」ととられたものだが、戦後61年目の今日読み直してみれば、実にまともな発言である。

 「悧巧な奴」は、現在でもまだ「たんと反省して」いる。厚かましくも歴史をいじくりまわしている。


簡単にいえば、200万人以上の国民を死なせ、近隣諸国に多大な被害を与え外交的にも致命的な状況に陥ったにもかかわらず、その失敗から学ぶことが出来ない、と言っているに等しい。

戦後半年しかたっていない占領下の混乱した状況下で、述べるのはまだ理解できる。

どうも新保教授は、戦後60年経ってもなお、混乱しているらしい。なんというか、気の毒な人だ。


ところで、小林秀雄の言う「戦争が避けられなかった」という見方も理解できないではない(筆者はそう思わないが)。

おかしいのは、新保氏は、「戦争は必然であった」ことは肯定しながら、「戦後の歴史は必然」ではなく「いじくりまわ」されたもので日本を「美しい国へ」修正するのは当然必要」と考えるダブルスタンダードである。


最後に小林秀雄のせりふをちょっと変えてみよう。


 「僕は政治的には無智な一国民として”戦後”に処した。黙つて処した。それについて今は何の後悔もしてゐない。”戦後60年”が終わつた時には、必ず若(も)しかくかくだつたら”教育基本法、靖国問題、皇室問題”は起らなかつたらう。”戦後”はこんな風にはならなかつたらうといふ議論が起る。必然といふものに対する人間の復讐(ふくしゅう)だ。はかない復讐だ。この”戦後60年”は一部の人達の無智と野心とから起つたか、それさえなければ起らなかつたか。どうも僕にはそんなお目出度(めでた)い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性といふものをもつと恐ろしいものと考へてゐる。僕は無智だから”「美しい国へ」修正”なぞしない。悧巧(りこう)な奴はたんと”「美しい国へ」修正”してみるがいゝぢやないか。」


してみると、新保氏と産経はさぞ”悧巧”なのだろうか。