これはいくらなんでも・・・(地政学の読み違え)
産経の文章は、おおむねファンタジーで出来ている”トンでも”なので、基本的には信じていないし指摘してもキリがない、と思うのだが、今回のはあまりにひどいのでとりあえずつっこんでおく。
「平成18(2006)年7月18日[火]
■【正論】筑波大学大学院教授 古田博司 現実に目覚め国家理性を立て直せ 見据えよ「反日の弧」の前近代性」
筑波大学大学院の教授というのはこの程度のレベルでなれるのか、というのが第一の感想。
「現実に目覚め国家理性を立て直せ」というタイトルとは裏腹に、「現実」とも「理性」ともかけはなれた妄想に満ちた情緒的な印象操作だらけの駄文。多分「前近代」なのは、この人の頭の中なのだろう。
「自分以外の人間が結託して自分を落としいれようとしている、と思う」
と言った感じの精神医療の質問項目があるが、筑波大学大学院教授の古田博司氏の主張である「北朝鮮のミサイル実験にあわせた韓国が竹島の海洋調査、中国の日本領海の原潜による侵犯、尖閣諸島・魚釣島への不法上陸、日本側海域に隣接した東シナ海のガス田採掘など、陸の領事館不可侵権侵犯事件、日本の国連常任理事国入り反対の反日暴動などは全て連動していて、中国・韓国・北朝鮮らが結託して、日本を陥れようとしている(引用者要約)」とどうしてもかぶってしまう。
ネット右翼ぐらいしか使わない「特定アジア」と言う用語を大学教授が用いているというだけでも、この人の主張は大丈夫か?と疑いたくなる。幼児性を持ったまま教授になってしまったようで他人事ながら気の毒に思えてならない。
「先日、北朝鮮のミサイルが7発、朝鮮の主体(チュチェ)が精を放つように射られ日本海に落下した。」なども、中高生よろしく鬱屈した性衝動でも持っているのかと思ってしまう。
「そして彼らの反日は、にせの歴史認識に発しているためすべてはまやかしに過ぎない。日本の圧政を覆し抗日を戦ったという虚構の現実は、「長征」といいつつ、どこも征服せずに北方へと逃げた中国共産党であり、内紛と暗殺を繰りかえしていた韓国亡命政権であった。金日成は国境の町を襲撃した以外に見るべきものもなく、討伐隊に追われ極東ソ連領へと逃れた。」
この辺にいたっては、この程度の歴史認識と論法で、誰を騙そうとしているのか不思議と言う他ない。まともに歴史を学んでいれば騙されるはずもないので、同様の意見を持つネット右翼と共に居酒屋談義レベルをするための発言としてしか考えられない。
ただ、「騙す」とは言っても、上記が嘘であるとは言わない。ここでの騙しの手法は「嘘を事実として語る」のではなく「重要な事実を隠して語る」というものだ。
例えば、「長征」であるが、確かにどこかを征服したわけではなく事実上の逃亡に等しいわけだ。しかし、「長征」自体は1934年~1936年のことで、日本軍に追われたわけでもなく、蒋介石の中国国民党軍に追われて行ったものである。「日本の圧政を覆し抗日を戦った」という事実と直接関連する出来事ではそもそもない。日中戦争の勃発は1937年であって、多少なりとも年代を知っていれば、こんなたとえを出すこと自体おかしいのである。
日中戦争中(1937-1945)は中国共産党は、日本軍の前線後方で補給路を脅かすといった抗日を行っており、これは「虚構」ではなく「現実」だ。韓国亡命政権にしたところで、内紛や暗殺はあったかも知れない。しかし1920年代から国外にあって独立運動のロビー活動を続けてきたことは、終戦後の速やかな韓国独立に貢献したと言うべきだろう。金日成にしても、基本的に抵抗運動である以上、日本の駐留軍と正面切って戦うこと自体意味がないのは、自明の理である。「国境の町を襲撃した以外に見るべきものもなく」というが、一体抵抗運動に何を期待しているのか?フランスでの対独レジスタンスの活動に対し「電線を切ったり線路を破壊した以外に見るべきものもなく」などという表現は聞いたこともない。
「日本の周りには、破壊すべき近代国家も虐殺すべき近代人もいなかった。いたのは中華思想の民であり、戦後の彼らは日本の近代思想をぬぐい去り、ふたたび前近代の頭にもどそうとしたのである。」
そしてここまでくると、恐ろしいほどの無知と傲慢を感じてしまう。最初の一文など、相手を一方的に前近代国家・前近代人であると決め付けた挙句、それを破壊・虐殺して何が悪い、と開き直っているとしか取れない。これが大学教授ともあろうものの思考だろうか。
そして、破壊・虐殺した加害者でありながら、破壊・虐殺された国・民衆が、”近代的な”日本を陥れようとしている。という言わば、まるで日本が一方的な被害者であるかのような物言いをしているのである。
「日本はそのようなアメリカを「機関」としつつ、やがて原潜と空母を得て、日本の海域を守る方向へと徐々に国家理性を立て直していく必要がある。」
核兵器が記載されていないだけ、まだ”まし”だが、軍事力で威圧しなければ周辺国外交すら覚束ない状態を「国家理性」と呼ぶのであれば、そんなものはないほうがいい。20世紀前半にワシントン体制によって軍拡を一時的とは言え食い止めたのだが、そのような軍拡競争を100年近く経った現在において行うことを正当化するのは前近代的な復古主義と言える。
<<地政学>>
地政学は、単純だが現実的。
「たとえば日本は海の国であり、海上権力の把握こそ大事だ、といったようにである。これでは伝統的知識人にはやるべきことがない。」
古田くんは、マルクス主義を信奉するような伝統的知識人に地政学が受け入れられないことをあざけっているのだが、この文自体蛇足以上のものではない。インテリに地政学が受け入れられないことを示すための具体的事実を何ら示しておらず、単に古田くんの決め付けにすぎない。あと、「マルクス主義が倒れた」と「ソ連が倒れた」を混同しているような表現もどうか・・・
さて、日本の地政学だが、海上権力の把握が大事、というのは正しい。問題は把握する手段として原潜と空母という軍事力しか考えられない視野の狭さだ。
例えばドイツだが、東西を強国によって挟まれた地政では二正面作戦を強いられた場合勝てない、と古くから言われていた。しかし、東西両国を打ち負かせるような軍備をもつと言う思想にはいたっていない(シュリーフェンプランなどは二正面作戦用の計画ではあるが、軍備とはちょっと違う)。基本的には東西両国が対ドイツで結束しないような外交を行う、というのがドイツのとるべき道であり、ビスマルクの外交がその最高峰と言えるだろう。そして、現在はEUができ、ドイツにとって二正面作戦の悪夢は消滅したと言える。
もし、日本の地政学を語るなら、中国・韓国・北朝鮮など(他にもロシア・台湾などが考えられる)が反日で結束した場合、それ自体が外交上の敗北であるといえる(日本単独で少なくとも中露韓の連合に対抗できる軍備を将来保有できる見込みがあれば別だが)。
勝手に「包囲された」等と思い込み、危機を声高に叫び、緊張を高めることを「煽動」と呼ぶ。
(以下、原文)
平成18(2006)年7月18日[火]
■【正論】筑波大学大学院教授 古田博司 現実に目覚め国家理性を立て直せ 見据えよ「反日の弧」の前近代性
≪日本には定着せぬ地政学≫
かつてニーチェは実証の学問を批判し、「否、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ」と、身も蓋(ふた)もないことを言ってのけた。
わが国に定着しなかった学問で、西洋には「地政学」という分野がある。現実の権力による世界の解釈の仕方を述べたものであり、戦略をその学の欲求としていた。そして5つほどの仮説で、ネタが尽きてしまうほど単純なものである。なぜ日本に根付かなかったかといえば、あまりに現実的で、解釈の一撃で終わってしまうため、日本人の大好きな細かい写実を許さなかったからだろう。
たとえば日本は海の国であり、海上権力の把握こそ大事だ、といったようにである。これでは伝統的知識人にはやるべきことがない。
これに比べれば、日本のインテリ層が呪縛(じゅばく)されつづけたマルクス主義などは、じつに精緻(せいち)を極めた。価値・史観・階級の論を柱とし、それらが複雑に絡み合うさまは天上の大神殿を思わせた。今日ではすべて塵(ちり)と化した大社会科学者たちの生涯の業績は、ひたすらその祭司たらんとする理想の献身意欲に満ちあふれていた。しかし、その神殿の柱はぶざまにも折れ、廃虚の荒涼を白日の下に曝(さら)しているではないか。
現実とは単純でくだらなく見えるが、かように残酷なものであり、それをもっとも良く理解しているのがアングロサクソンである。ゆえに地政学は彼らの間で栄え続けた。その最近の成果が、ハンチントンの『文明の衝突』であることはいうまでもない。
≪無理がある洗練さの潤色≫
先日、北朝鮮のミサイルが7発、朝鮮の主体(チュチェ)が精を放つように射られ日本海に落下した。
テレビを見ていると、識者たちの憶測はどんどんと精緻になり、テポドンはアメリカ向け、ノドンは日本向け、スカッドは韓国向けなどという、思いもよらない写実の色彩を帯びてきた。
党のテクノクラートと軍部の対立などという近代国家の権力の構図まで飛び出して、前近代国家に洗練さを潤色するに至っては何をかいわんやである。現実の北朝鮮の「テクノクラート」とは、宋日昊・日朝国交正常化問題担当大使が平壌で日本メディアとの会見の際に見せた、あの前近代的な恫喝(どうかつ)の姿である。
それよりもさらに現実的であったのは、火事場泥棒のように、韓国の調査船が竹島周辺の日本の排他的経済水域を侵犯し、警告を無視して海洋調査を行ったことである。彼らがひとまとまりで今日本に何をしたがっているかは、これらの日本周辺諸国の行動をみれば明白ではないか。
中国に至っては、2000年に入ってからの日本領海の原潜による侵犯、尖閣諸島・魚釣島への不法上陸、日本側海域に隣接した東シナ海のガス田採掘など、陸の領事館不可侵権侵犯事件、日本の国連常任理事国入り反対の反日暴動などと連動して彼らの意図を浮き彫りにしつつある。
その上、今回の北朝鮮ミサイルに対する国連安保理制裁決議への執拗な抵抗が加われば、これらの現象が指し示すものは、特定アジアに「反日の弧」(Anti-Japanese crescent)が形成されつつあるという、われわれ日本人にとっては過酷すぎる現実である。
≪すべてまやかしに過ぎず≫
そして彼らの反日は、にせの歴史認識に発しているためすべてはまやかしに過ぎない。日本の圧政を覆し抗日を戦ったという虚構の現実は、「長征」といいつつ、どこも征服せずに北方へと逃げた中国共産党であり、内紛と暗殺を繰りかえしていた韓国亡命政権であった。金日成は国境の町を襲撃した以外に見るべきものもなく、討伐隊に追われ極東ソ連領へと逃れた。
日本の周りには、破壊すべき近代国家も虐殺すべき近代人もいなかった。いたのは中華思想の民であり、戦後の彼らは日本の近代思想をぬぐい去り、ふたたび前近代の頭にもどそうとしたのである。
日本は海上に浮かぶ島嶼(とうしょ)であり、本質的にシーパワーを重視する以外生きる道のない国であることは、地政学の解釈を待つまでもない。これら「反日の弧」からの侵略に対処すべく、日米軍事同盟が強化されることは当然のことであるが、アメリカには彼らの戦略がある。日本の戦略は当然、アメリカの戦略が大統領選挙により若干の変更を含むであろうことを想定したものでなければならないだろう。
日本はそのようなアメリカを「機関」としつつ、やがて原潜と空母を得て、日本の海域を守る方向へと徐々に国家理性を立て直していく必要がある。(ふるた ひろし)