国は好きだが、愛国心と言う言葉は嫌い
3Kの社説は、UFOやネッシーと同じようなもんだと思えば面白い。
(産経新聞2006/4/14社説・引用は赤字部分)
■【主張】教育基本法改正 「愛国心」はもっと素直に
教育基本法改正案に盛り込む「愛国心」の表現をめぐり、与党検討会の大島理森座長が示した案を自民党と公明党が了承し、ようやく合意に達した。
座長案は「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」という長い文言だ。
自民党は「国を愛する心」という表現を主張していたが、「国」と「郷土」を併記し、他国の尊重もうたい、「心」を「態度」に変えるなど、公明党への配慮がにじむ妥協の産物といえる。「国を愛する」は明記されたものの、含みが多く、簡明な文案とはいえない。
「愛国心」の表現で、これだけもめる国は、おそらく日本だけだろう。愛国心は、どの国の国民も当然持っているものだ。そして、愛国者であることは最大の誇りとされる。国の根本法規である教育基本法は、もっと素直な表現であってほしい。「愛国心」以外の与党合意についても、多くの問題点が残されている。
(つっこみ)愛国心をどの国の国民も当然持っているものならば、別に法律に記載する必要はないだろう。法律に記載するということ自体、立法者の意図する「愛国心」は、国民が現在既に持っている愛国心とは別個のものであり、法律では立法者の意図する「愛国心」の方を国民に強制したいという現れである。
自民党は「宗教的情操の涵養(かんよう)」の盛り込みを求めたが、これに反対する公明党の主張に譲歩し、条文化が見送られた。この文言は、現行の教育基本法が制定される前、日本側の原案にあったが、GHQ(連合国軍総司令部)の指示で削除されたものだ。
その結果、給食前の合掌や座禅研修などが次々と排除され、修学旅行では伊勢神宮などの神社仏閣が避けられるようになった。宗教的情操の欠如が、オウム真理教などのカルトに若者が入り込む一因になったといわれる。
(つっこみ)筆者は、1970年代生まれだが、座禅研修はなかったが、給食前の合掌くらいは小学校でやった記憶があるし、修学旅行で神社仏閣が避けられた記憶もない。そもそも修学旅行で神社仏閣に行ったからといって宗教的情操が身につくというものでもないだろう。非難が先にあって後から理由を付けている感じが否めない。また、「宗教的情操の欠如」と「カルト」の因果関係も信頼性に欠ける。むしろ「インテリジェンスデザイン」のような似非科学の存在が、「カルト」を助長しているのではないか(「オウム真理教」も「統一教会」も「幸福の科学」も、宗教的なものを怪しげな科学用語で隠している感がある)。科学的・論理的思考の教育こそ優先すべきだと思うし、UFOや心霊現象など超自然現象を面白おかしく提示する一方で科学や論理をつまらないもの・役に立たないもののように提示するメディアの姿勢にも問題はあろう。また、論理的一貫性を欠く政治家やそれを批判できないマスコミの姿勢も同様ではないか。
また、現行法の「教育は、不当な支配に服することなく」という規定は、残されることになった。だが、この規定は、国旗・国歌などをめぐる国や教育委員会の指導に反対する一部教職員らの運動の根拠に使われ、逆に、過激な教師集団による不当な支配を招いてきた一面を持っている。
(つっこみ)そもそも国旗国歌法の導入時に、強制ではないことを政府が明言していたにもかかわらず、「国旗・国歌などをめぐる国や教育委員会の指導」を罰則付きで行っていること自体、「不当な支配」と言われて当然であろう。
これまでの与党合意には、家庭教育の充実など評価すべき点も多いが、現行法より後退しかねない部分は、なお修正が必要である。戦後教育の歪(ゆが)みを正し、子供たちが日本に生まれたことに誇りを持てるような格調の高い改正案に仕上げてもらいたい。
(つっこみ)自国そのものならともかく、自国の教育基本法に誇りを持っている子供なんて世界にどのくらいいるのやら。