戦後80年特集、第2回のお時間となりました。
みなさん、こんにちはですじゃ
語り部のSCOOPYですじゃ
(´Д`()
前回に引き続き、今回も私が今まで聞いてきた戦争体験談の中から印象に残ったものを紹介させて頂こうと思います。
本当は終戦記念日までに書きたかったのに
間に合わなかったブヒ!
🐷
10年以上前の事ですが、私は戦時中に海軍に所属していた方と知り合いになりました。
とても優しい方で凄く仲良くして頂いて、時にはちょっとした相談を聞いてもらう事なんかもありました。
数年前にお亡くなりになったんですけど本当に大好きな方だったので、もっと沢山話しをしておけば良かったと凄く後悔しています。
今回の話しは、その人と知り合って間もない頃に初めて戦時中に海軍にいたという事を教えてくれた時に聞いた話しで意味がわからず、後からそういう事だったのか⁉と、納得した話になります。
その方の名前はSさんとさせて頂きます。
Sさんからは海軍時代の話しを沢山聞かせてもらいました。
江田島から宮島まで泳ぐ訓練をした話し、何かミスなどしたら上官に「精神注入棒」という棒でケツを叩かれる話し、海軍の人は手相占いができる人が多いなど興味深い内容の話しをSさんは沢山は教えてくれました。
中には書けないような恐ろしい話しもあります![]()
しかし、一番最初にSさんが海軍の出身だと教えてくれた時に聞いた話しで腑に落ちない話しが二つあったんです。
一つ目は「僕は終戦間際に広島の呉の山の上にいたんだよ」という話し。
二つ目は「僕は広島に原爆が投下された時、きのこ雲を見たんだよ」という話しでした。
何で海軍なのに呉の山の上にいるのか?それに原爆のきのこ雲なんて呉からだと山だってあるだろうし見えるわけないでしょ!と思ったんです。
私が知らないと思って揶揄われているのか?
それとも、こんな言い方をしたら申し訳ないけどフカシているのか?
でも、私はツッコまずに適当に聞き流してしまいました。
そして、その事があってから数年が過ぎてYouTubeを見ていると戦時中っぽいアニメ映画の予告編があったので何だろう?と思って見てみました。
これが、その映画の予告編です。
知ってる方もいるかもしれませんが、「この世界の片隅に」です。
戦時中の呉が舞台になる映画で
めっちゃ見たい!と思ったんです。
(`Д´;)![]()
そして、ブーさんと見に行ったんですけど、戦時中の映画といえば怖い!悲惨!残酷!みたいなイメージですが、戦時中でも「サザエさん」のような日常生活があり、悲惨な事も起こりますが、ラストは凄い感動的でほっこりとして終わり、音楽も映画と合っていて凄い良い作品だと思いました。
そして、この映画にSさんが言っていた話の答えがあったのです。
映画「この世界の片隅に」の監督さんは凄く当時の資料を調べたり写真を見たり戦時中の広島や呉の事を知っている人から話しを聞いてかなり調べていたそうで、当時の呉の町がリアルに描かれています。
そして、呉が空襲された時のシーンも出てきたのですが…
攻撃に来た米軍機を迎撃するための山の上の大砲が出てきます。
つまり、Sさんが海軍だけど山の上にいたと言っていたのは米軍機を迎撃する大砲を撃つためだったのです。
つ、繋がった!
(`Д´;)![]()
確かSさんは戦艦の大砲を撃つ訓練をしていていたそうで船は揺れるから陸地と違って狙うのが難しいみたいな事を言ってたんですよ。
そして、原爆のきのこ雲を見たという話しなのですが、これも映画に出てきます。
監督さんが呉を案内してまわるYouTubeの動画を見たのですが、動画の中で呉から広島までの距離は20㎞で、きのこ雲の高さは最大16㎞に達していたと話していたんです。
そりゃ20㎞先で16㎞の高さのきのこ雲が上がったら間に山があっても見えますよね![]()
富士山の4.5倍くらいですか…
(´Д`;)![]()
そして、呉の港にいた海軍の人で原爆の熱線でほっぺたが温く感じた人もいたそうです。
呉まで爆風は来なかったようですが、熱線は届いていたって事のようですね。
つまりSさんの言ってた話は本当だったと言って間違いないと思います…
私が無知なばかりに…
疑ってしまって本当に申し訳なかったです。
(´Д`;)
因みに「この世界の片隅に」で最初の呉空襲のシーンにさりげなく343航空隊の紫電改が四国の松山から飛んできて米軍機と戦闘するシーンが一瞬だけ出てきたりして、そういう細かいところをさりげなく描いてるところも凄いと思いました。
フィクションのアニメ映画なんですけど、資料的な要素もあるんですよね![]()
そして、映画を見た私はSさんに戦時中の呉が出てくる「この世界の片隅に」という映画を見た事を伝えたらSさんも見たいと言われたのでDVDが発売されて買ったら見せてあげると約束をしたのですが、体調を壊されて病院に入院してしまい、そのまま亡くなられてしまったので約束を果たす事ができませんでした。
凄く心残りです。
(´Д`°)
でも、Sさんが映画を見たら嫌な記憶が甦って辛い気持ちになるのか、それともこんな事もやっていたな〜みたいに懐かしい気持ちになるのかは分かりませんね…
そして、「この世界の片隅に」の監督さんが話していたのですが、終戦間際に呉の山の上の大砲まで弾薬を持って上がるのは凄く大変な作業だったと言っていました。
海軍はガソリンのトラックを使って重たい大砲の弾薬を運んでいたようですが、、終戦頃には木炭バスを使っていたのでパワー不足のため坂道が上れず、必死になって8月15日に山の上に弾薬を運んだら戦争が終わってしまったという話しもあるそうです。
きっと、Sさんも相当大変な思いをしていたんだろうなぁと想像したら胸が痛みます。
そして、Sさんから聞いた話しでは終戦になり日本軍に武装解除の命令が出てSさんが呉の山から下りてくる時に惨めで情けなくて凄い脱力感に襲われたと言われていました。
これもリアルな話だと思います。
今ではそういった体験をした人も殆どいなくなってしまったでしょうね…
なので「この世界の片隅に」は凄く良い映画だと思いますし、Sさんの話しに疑問を持っていた私にとって不思議な縁みたいな物を感じる特別な作品だと思っています。
そして、これは関係のない話ですが、Sさんは「テネシーワルツ」という曲が好きで私にCDを貸してあげるから一回聴いてみ!と何回も勧めてきたのですが、「いやいや、いいよ!」と言って断り続けていました。
そして、Sさんが亡くなった時にお葬式に出席させて頂いたんですけど、葬儀の少し前に葬儀屋さんに着くと誰もいない沢山の花が飾られてるホールに「テネシーワルツ」が流れていて棺に入ったSさんがいて、それがSさんらしくてめちゃめちゃ切なくてカッコ良くて号泣してしまいました。
私にとってテネシーワルツは
Sさんの曲なのです。
あの時代の人は田端 義夫とかの
イメージがあるのに洒落た人でした。
CD借りておけばよかったな…
でも、別にバタヤンが悪いってわけじゃないよ
(´Д`°)
そんな話しを書いても誰も分からないブヒ!
🐷![]()
もし、Sさんが格闘家だったら入場曲は
テネシーワルツだったかもしれませんね。
(´Д`;)
闘う気失せるわ!
ふざけるなブヒ!
そんなんはいらんブヒ!
🐷![]()
冗談です。
真面目過ぎるのが苦手なもので…
(´Д`;)
今回は語り部として
Sさんとのエピソードを残すために
この話しを書かせてもらいましたのじゃ
(´Д`()
またウザい似非語り部モードになったブヒ
🐷
これからも語り部のブログとして
活動を続けていこうと思いますのじゃ
(´Д`()
一応バイクブログやろブヒ!
もうええからバイク乗ってどこかに行け!
🐷![]()
おわり




