SCONEオフィシャルブログ「転がる石には苔は生えない」 -7ページ目

 

中学からパープル小僧(死語)だったボクにとって、

ディープ・パープルはずっと神的存在だった。

とりわけカヴァディールとリッチーに関しては、

その後のホワイトスネイク、レインボーといった

派生グループまで追いかけ、ライブ見の何度も足を運んだ。

 

そんな中、先日。

 

「元レインボー、ヅラだったことを告白」

と、いうような見出しのニュースが流れ、

ふーん、とうとうリッチーもカミングアウトしたのか、

と変な感心をして本文を読むと。。。

 

「元レインボーのボーカリスト、

ジョー・リン・ターナーが、少年時代から着け続けてきたウィッグを

取った姿を公開した」

 

えっ???

 

ジョー???

 

 

3歳のとき脱毛症と診断された彼は、学校でのひどい虐めによる精神的、

身体的ダメージに対処するため、14歳のときからカツラをかぶるようになったらしい。

 

 

 

言われてみれば、

この髪型、なんとなくウィッグぽいよね。

ライブでもなびいてるところ観たことないし。






8月に71歳の誕生日を迎えた彼は、

15年ぶりのニュー・アルバム『Belly Of The Beast』のリリースを前に

この姿を公開した。

この業界では勇気がいることとしつつ、

「ある意味、祝福であると同時に呪いだ。

俺には証明すべきことは何もない。

ウィッグを着けようが着けまいが。俺は自分のしたいことを自由にできる」

と。



これに対し、元レインボーのグラハム・ボネットは

「今日、これ(ターナーの写真)を見て、俺は感極まった。

ジョーはロックスターの意義を実証している。

彼は驚くほど勇敢だ」と、

ターナーを称えるメッセージをFacebookに投稿した。

 

You Tubeでニュー・アルバムの先行音源を聴いたが

ある意味全盛期のパワーが蘇ったみたいだ。

 

 

 


ジューダス・プリーストのロブの影響だと思うが、
なんとなく
スキンヘッドのほうが

よりヘビーな音に聴こえてくるのも

不思議だが。

 

一つ言えるのは

髪があろうがなかろうが、

これからも彼の音楽を応援していくということ。


ジョー・リン・ターナーのニュー・アルバム『Belly Of The Beast』は

10月28日にリリース予定。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いまだに信じられなくて、

ショックも大きすぎで

言葉が出ません。

心の整理も

まだついていません。

 

 

 

会長、

早すぎます。。。

 

 

 

 

アントニオ猪木という存在は、

自分の全て、

と言っても過言ではありませんでした。

猪木会長がいなければ

自分の人生は

全く違っていたものになったと確信しています。

きっとプロレスや格闘技にこれほど関わることも

なかったでしょう。

 

会長の偉大さは語らなくても

みなさんがご存知だと思います。

 

会長とは、

色々な思い出がありすぎて、

ここでは語り尽くせませんが、

名古屋の猪木事務所立ち上げの時、

会長には大変お世話になったことが一番の思い出でしょうか。

自分が初めて会長の試合をテレビで観た時、

対戦相手のジョニーパーワーズのファンになってしまった話に、

会長は苦笑いされていました。

写真も何度かご一緒に撮らせて頂いたり、

食事やボーリングもご一緒させて頂いたりと、

自分自身最上級の猪木ファンでいることが出来ました。

 

 

これからは

会長の意思を胸に

何に対しても前向きで

とにかく迷わず

一歩前に足を差し出していきたいと思います。

 

 

今は

猪木会長の

名勝負ビデオを

心に頼りにしながら

何とか気持ちを整理している段階です。

 

 

会長、

本当にありがとうございました。

 

どうか、

安らかに。

 

 

ご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

ゴダールが、

この星から消えた。

 

誕生日が2日違いという親近感から、

生涯自分の映像の師匠と崇めた時期もあった。

 

91歳。

全うした人生だと言える年齢。

 

ヌーヴェルヴァーグ、という言葉も、

「勝手にしあがれ」の衝撃も、

映画制作の手法を覆すジャンルの解体も、

即興演出も、あの時代の同時録音も、

ショットの連続性を無視して映像をつなぎ合わせる「ジャンプカット」と呼ばれる

編集の手法も、ゴダールを知らなければ

知り得なかったもの。

 

 

特にゴダールに傾倒していたわけでも、

目指したわけでもないが、

彼がいたからこそ、

ということが人生の、

そして自分の映像制作の中に

5万と散りばめられているのは規定できない。

 

 

追悼というわけではないが。

 

今まで未観だった

「女は女である」を観た。

 

 

このゴダール唯一の

ミュージカル・コメディは

ゴダールの最初の妻である

アンナ・カリーナの

別の顔を見てるような作品。

 

 

 

 

 

個人的には

「女と男のいる鋪道」の

アンナが一番好きだが。

 

アンナも3年前に亡くなられているので

きっと、今夜は、

夜空が綺麗なことだろう。

久しぶりの二人のランデブーで。

 

 

 

ご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

「今週の第一位は!?」

 

ラジオから元気のいいDJの声と共に

流れてきたその曲はオマセな中学生にとっても

かなり衝撃的だった。

 

その前に彼女が出した「カントリーロード」を含むどの曲も

気に留めることhなかったが

その曲は違った。

多分海外の女性アーティストで曲先行で好きになったはじめての人。

そして、

洋楽のヒットチャート番組を頻繁に聴くようになったきっかけを

作ったのもこの曲だった。

後にホワイト・ストライプスがCOVERしてバズったが

オリジナルの衝撃の比ではなかった。

そしてもともとの原曲は

あのドリー・パートンだった。

 

『ジョリーン』。

 

このマイナーキーの名曲は

ボクの音楽の礎の一つになっていった。

 

外国美人といえば

当時この人を主に指していた。

 

トラボルタとの「グリース」のセリフをほとんど暗記したことも

ELOとの「ザナドゥ」のコラボも

「フィジカル」でのイメチェンも

全部、ボクの青春だ。

 

オリビア・ニュートン・ジョン様。

ご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

そしてイッセイ・ミヤケさん。

 

生まれてはじめての

オーダースーツは

イッセイ・ミヤケで作った。

 

それよりも

ボクの周りでは

”ジョブズのトックリ”のメーカー。

ボクの

「気に入ったものは絶版になってもいいように

買いだめする主義」も

ここから始まっている。

 

 

自分の時代と密接に関わってきた

ミュージシャンとデザイナーがまた

この星を旅立った。

 

一つの時代がまた、終わった。

 

合掌。

 

 

私の空手の師匠である、

誠心会館の青柳政司館長が永眠されました。

 

誠心会館岡崎道場一期生の私は、

一報を聞いて、

どうして?という疑問とともに

涙が止まりませんでした。。。

 

大仁田さんとの激闘や平成維新軍での活躍で、

空手よりも

プロレスの世界で有名な館長。

 

プロレス好きな私を

真のプロレスの世界へ引きずり込んだのも館長でした。

 

直接指導をいただく中で

「お前の猫パンチ、ミッキー・ロークより上だぞ!」

と冗談交じりに褒めてくださった館長。

アジャ・コング選手と対戦するためにブラジルからやって来たニーナアントーニオ選手の

スパーリングパートナーを「お前がやれ!」と真っ先に指名してくださった館長。

格闘技関連の記者になった時、とても喜んでくださり「誇りに思うぞ!」と言ってくださった館長。

とても暑い夏に、よくアイスコーヒーを奢ってくださった館長。

 

どれもが昨日のことのようです。

 

 

 

 

享年65歳なんて、

館長、早すぎます。

 

 

 

 

今は空手さえすることはありませんが、

館長の教えを胸に

あなたの門下生として

明日からも強く頑張っていきます。

 

今夜は

1989年7月の「格闘技の祭典」(後楽園ホール)で行われた

大仁田選手との異種格闘技マッチと、

同年10月のFMW旗揚げ戦のビデオを観ながら

自分なりに喪に服す所存です。

 

 

 

館長、ほんとにありがとう。

 

ご冥福をお祈りします。