今更ですが、いつもこんなブログを読んでいただきましてありがとうございます。
記事のストックがなくなり、更新がゆっくりですがしばしお付き合い頂ければと思います。
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手術は3時間程度だと聞かされていましたがなんと7時間もかかったそうです。
7時間もかかったのよ!!!
なんて言われても中学生の頃の私にはその大変さがわからず
え?!手術って普通10時間くらいかかってするもんなんじゃないの!?
短っ!7時間くらいで終わったんかい!
と思っていました。
医龍とかブラックジャックとかね、私の手術の知識、ドラマや漫画の中にしかありませんでしたから。
壮大なパターンのやつしか見てきたことありませんでしたから。
砂漠の上で急に手術始めるような感じのやつしかね。
痔の日帰り手術とかね、そういう類の手術の存在も知らないお年頃でしたから。
なんか詳しくはわかりませんが蓋を開けてみると私の背中は強敵だったらしく、すんげぇ大掛かりなものとなっていたようです。
術後当日ははっきり言って何も覚えていません。
というより何も見えませんでした。
音だけを覚えています。
今自分がどういう状況なのか全くわかっていませんでした。
ICU?にいたということは聞いています。
今考えると7時間もうつ伏せで背中ぱっかーんされていたため、顔がむくみまくってたんだと思います。
そんで当然、しばらくはうつ伏せですから。
この自慢の一重はあの時、おそらく朝青龍くらいまでにはなっていたかと思います。
今でも覚えているのは赤ちゃんの泣き声です。
ICUに赤ちゃんもいたのかな?
おんぎゃー!!って聞こえる中で目を覚まして(目開いてないけど)、目の前真っ暗で(目開いてないから)
ただただ喉が乾いてて、なんか鼻から管入れられてんな〜ってのはわかって
看護師さん二人くらいから声をかけられました。
大丈夫かって。
喉が乾いて死にそうっつったらポカリを飲ませてくれて、でもなんか少し飲ませてくれた後
キャー!!!!
っていう二人の声がして、なんかどうやらポカリが逆流した?ようで
もう今日はこれ以上はポカリダメです
って言われて絶望して…
までの記憶しかないです。
両親は別室でモニターでその様子を鶴を折りながら見ていてくれたそうです。
手術中ずっと鶴折りながら待ってくれてました。
結局何羽になったんだろう。そしてあの鶴今どこに…
きっと…私の心の中にいますね
そんなこんなで私の背中はなんと!
104度から47度にまで戻りました!!(パチパチパチパチ)
普通だったら47度で手術を考えるような度数ですが、戻っても60度と言われていたことを考えると十分すぎる結果でした。
Y先生には本当に感謝しています。
まぁあれですよね。
数字だけ言われてもいまいちピンと来ないと思います。
私の現在(といってもこれは4年ほど前に撮影されたものです)の背骨のレントゲンとピーク時のものをお見せしたいと思います。
はい、ドーン!
一番左が現在。真ん中がピーク時のものです。
右は…忘れましたので気にしないでください。手術直前とかそんなのかな
最後の検診の時にどうしてもこの写真撮りたくて先生に許可とって撮ってみました。
なんなら持って帰りたかったんですけどね。レントゲン写真。記念にね。
欲しくないですか?普通欲しくないんですかね?
もしもお子様がコルセットつけなくて困っていらっしゃったりしたらいつでも使ってください。
おい!こうなりたいか!つってね。
正直この状態を見慣れすぎていてあまり酷いなとか感じない自分がいるのですが、なかなか綺麗にS字カーブしてました。
身長は手術で6cm伸びました。
急に6cm人が身長伸びることなんてまずない。
あります?一日で6cm伸びたこと?ある?
もうね。世界が変わるから。
何もかもが低く見えるから。平衡感覚?がバグりますから。
いつもみてた景色と違うんですよ。しばらく慣れなかったですね。
え、この棚の上が見える…!
みたいな。
え!こここんなに低かったっけ!
みたいな。
あいつもこいつもみんな下に見えるぜ!
みたいな!!
…ことはね、残念ながらなかったです。
手術してやっと150cm台に到達しましたからね。
クッソ〜
ーto be continuedー