須佐神社を後にし向かったのは、平成の大遷宮が行われた出雲大社です。
今年、出雲大社に参られた方は多いと思います。
4つの鳥居が設けられていることや、参拝作法が二拝四拍手一拝であることは、明治維新以降「大社」を名乗ることができているのは出雲大社のみであり、とても格式が高いことを物語っております。
因みに、画像は一つ目の鳥居なのですが、真ん中の名称が掛かれている部分の大きさは、六畳あるそうです。
どちらの神域においても言えることですが、参拝に行かれる以上、神域に足を踏み入れる以上、チャラチャラした気持ちや、遊び半分という意識は捨てる必要があります。
また、既に生きてきた上で感謝すべきことは多分にあると思います。
そちらの感謝の念をお伝えすることと、決意をお伝えすることをすべきであって、懇願をするためや要求を伝えようという意識は持たれるべきではないと考えます。
ブーム化するために○○の神だから、お願いしに行こう!といったキャッチフレーズを目にしますが、はるばる遠方へ参拝なさる意識がおありならこそ、無礼なく神前で祭事を愉しむことへ意識を持たれた方が良いと考えます。
是非、再度心構えを改めるお時間を作られると良いかと思います。
出雲大社の祭神は大国主大神様で、神在月(10月)には全国800万の神様が集結し、神議がされると伝えられています。
その時に降り立たれる場所が「稲佐の浜」といわれています。
天候は良いとは言えなかったのですが、漂う氣が透き通っている感じがし、この場所で意識を持たずに座り込み続けたい気持ちになりました。
参拝できた喜びを感じていたこととは反面、急に意識が朦朧とし、宿に帰り仮眠を取りその後、夕食も喉を通らず結果16時間程度眠り続けてしまいました。
眠っている途中、ふと女性の手が私の手を握った感覚があり、しばらくしてするすると手が離れていきました。
なんだろうと思い目を開けて、握られた側を見たのですが誰もおらず、部屋の電気やボリュームを絞られたテレビが付いていただけでした。
そしてまた気を失うように寝てしまったのですが、目が覚めると不調が嘘のように改善しており、清々しさを感じることが出来ました。
生きる上で最も大切な「縁」というものは様々存在し、結ばれたり解れたり。
大切なことは自分自身であり、縁の有効無効の選択や、縁の道理を認識し自己を改めることも、得を積んで縁を引き寄せることも、自分自身に起因していて自分自身の為である。
すべきことは、自己の成長と得を積むこと。それにより質の高い縁が生まれ、正確性の高い選択が出来るのだと感じております。
日々、環境に感謝し自己を高めていこうと再確認できた出雲大社の神域でした。




