日本心理臨床学会-35回2016年秋季-に参加して③ | 予防医学指導士と歩む♪利他主義日の本美人への道~天成る道へ~

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今回から数回に分けて、日本心理臨床学会-第35回秋季大会-(2016年9月4日~7日)での内容と感想をアップさせていただきます。

 

今回は、前回の続きです。

前回のブログ⇒ http://ameblo.jp/scoa/entry-12204944230.html

 

 

第2部のシンポジウム『仏教とマインドフルネス、そして日本文化と心理療法』の様子をご案内させていただきます。

指定討論者に下山晴彦先生は「臨床心理学の観点から」、藤田一照先生は「仏教の観点から」の視点にてお話しされました。

 

 

下山先生は、社会の近代化により共同体が解体され、自己責任が増し、臨床心理学の必要性が出てきたと話されていました。そして、ポストモダン社会へのシフトにより臨床心理学の必要性が高まっているとのことです。

 

つまり、近代以前は、「自我」や個人の「心」という概念はなかった。人々は、神話や宗教を支えにして地縁・血縁の共同体で生活をしていた。社会の近代化によって、共同体が崩れ、個人主義となり、人々は自己の心のコントロールを求められるようになった。

その時代背景が心の専門家を要求し、その要求が促進されているとのことです。

 

しかしながら先生は時代背景のベースの上で起きている問題に懸念を示されておりました。

心のコントロールを研究し、支援するための専門家が、バラバラと生まれた。しかも、個性の強い創業者によって…。

それにより現在の専門家たちには、統一性や統率性が低いのではないかとのご指摘であると、察しました。

 

 

藤田一照先生は、ダルマさんと不安を持った方の掛け合いにより“安心”についてお話しくださり、マインドフルネスは“解決”よりも“解消”を主とすべきとご講演されていました。

また、仏教においては『人間が生きていることそれ自体が“夢”と考えられている』とマインドフルネスを実践する上でベースに持つべき考え方をお伝えくださいました。

 

その後のディスカッションで藤田先生は、アメリカ人の精神科医に『私が必ず悟れるカリキュラムを作ってくれ!』と言われたことが印象深かったと話され、アメリカ人の多くが、マニュアルがすべてという考えがあり、それが“悟り”を遠ざけているとのだとのことです。

また、スペースをマインドとして捉え、程よい人数で部屋が快適と感じられるところから、半分の部屋になると人は不快に感じる、その解決策は人を間引くかもしくは、スペースを元に戻すことであるとし、スペースを元に戻すことを考える必要があるとご説明されておられました。

 

 

パネルディスカッションを拝聴し感じたことは・・・

 

下山先生は社会心理の流れから臨床心理学の必要性が高まっていることや、今後の展望についてお話しされておりました。

そのお話を拝聴したとき、私が常々感じていることを思い起こしました。

 

『日本の家族スタイルは、長く複合家族として祖父母が家族の中にいました。

しかし、嫁と姑の関係性や夫婦だけで過ごしたいといった、コミュニケーションの希薄な生活スタイルが流行し、核家族化が進みました。

核家族化はある意味で国の経済にゆとりがある結果と言えるのですが、その時代は短かったようで・・・。

現在の日本経済はというと、共働きをしなくては生活が困難と思われる方が多いかと思います。そして、子育てを行いながらとなると益々大きな負担を背負うことになります。

 

一方で祖父母の代は、話し相手も少なく、認知症や高齢者が高齢者を介護するという状況に陥り、死生観を得られずに最後を迎える人が増えてしまいました。

 

ここで立ち返って複合家族のよさを考えると、両親にとって子育てを任せることや家事の分担が出来ることで、分担して家事や育児をすることで自分自身の時間を作ることができ、ストレスを溜めにくい生活が送れます。

加えて祖父母はすでに子育てを経験していることで気がついた部分を踏まえて育児できること、そして子育てが脳の活性化になり認知症予防になると考えられます。』

 

人は人がいないと生きていけないし、人が人を育みあえる素晴らしさを、どんな欲求よりも最優先に考えていただけたら、過ごしやすい世の中になると信じています。

 

 

また、藤田先生が嘆かれておられる現代のマインドフルネスの本質が抜け落ちた広まりについては、多分野でも同様に感じられることかと思います。

予防医学においても本来の伝達してほしい内容が抜け落ち、広めると得をする人たちの仕掛けに、悩みを抱えた人たちが迷い込み集まることで、キャッチ―な言葉だけが一人歩きすることは多く見受けられます。

 

サプリメントの場合では、日本語にすると栄養補助食品であり、あくまでもバランスの良い食事を取ったうえで、それでも不足しがちな栄養素について、妊娠や仕事が忙しい時期など負担のかかるライフイベントの時、そして未病の改善や再発防止のために自分に必要なものを摂る目的として存在しています。

しかしながら、現在での使用目的や期待されていることに対しては、元々のあるべき姿、そしてその名称の意味からは大きく異なる考え方で使われていると感じます。

 

 

合理的や経済的な考えを主体とする人は多いでしょうし、そのことが問題であるとは思いませんが、人間が生まれて生きて死にゆくうえで大切にすべきことは、イベントや流行ではなく、その行為が自分自身にとってどのような意味があり、それが自分以外の万物にどのように貢献できるかを感じながら、自分自身が心地よい流れで行うことであり、意識せずともベースに備え続けておくことではないか、と再確認させていただけたご講演でした。