いつも大変おせわになっております。
SCKGIRLS運営代表シショウです!
今日は3月という事もあり暗い話にかもしれませんが
2011年3月11日の事について書こうと思います。
あの日、地震発生後、避難した場所にまで津波が押し寄せ、車を捨て身一つでさらに高台に上がりました。
そこで見た光景はとてつもなく、海水浴場になっていた海側から大きな津波、漁港側からすでにきていた津波に多くの家屋が流されて来ており、避難した場所からは川から遡上してきた津波と3方向からの津波に囲まれるような形になってしまいました。
もしかして死ぬのかなと初めて死を覚悟しましたが、津波は自分のいた所の手前で止まってくれ無事で済みました。
最初に避難した場所は避難場所としては本来十分な高さの約海抜20m、そのあとに避難した場所は海側に戻る形で海抜は27mくらい。運が良かったです。
【津波第2波後の大谷海岸】
【指定避難場所だった大谷公民館前の小学校津波直後】
もちろん車は津波に浸かってしまい、海岸沿いにあった自宅も流されました。
いまだにあの光景は忘れることができません。
住んでいた場所は気仙沼でも特に被害が大きく、100世帯以上あった地区はほぼ津波で流されてしまった状態でした。
後日見に行ったら自宅は津波に流され1km先の丘で屋根と残骸だけ残し他は流されたようでした。
【震災前の自宅】
【震災後自宅跡地】
震災から数週間入ってくる情報は祖父祖母親戚や友人・知人達の訃報。
自分は生きてただけでも運が良いんだって思い知らされました。
現実なのかどうなのか理解もできないまま避難生活が続き、
そんな中集まった地元のボランティアグループのリーダーが前代表阿部さんです。
わけもわからないまま、何をしていいのかわかららないまま、いろいろと活動していった先にご当地アイドルグループプロジェクトが始まり、SCKとなりました。
だからSCKGIRLSと震災は切り離せない。
それが自分のSCKGIRLSの活動を続けている理由です。
まもなく震災から13年。
月日は経ってもその理由は変わりません。