東日本大震災から今日で10年。

毎年この日になると
ブログを書かせていただいています。



10年前はちょうど卒業式の前日の準備の日でした。
体育館を飾り付けて、一通り準備が終わったので
ジャージから着替えて、さあ帰ろう!としていた時、
14時46分。あの揺れが来ました。

今まで感じたことの無い揺れに、心臓がバクバク。
揺れを感じてすぐに机の下にもぐったのですが、
その机が揺れに合わせて左右に引っ張られて
机の下にいるだけでも精一杯。
上から蛍光灯が落ちてきたり、
水道管が破裂したり、階段が崩れていたり、、。
避難する時も「本当にこれが現実なんだろうか?」と
思うようなシーンが沢山あり、本当に衝撃でした。

中でも、集合避難場所になっていた
校庭に出た際、本来ならあるはずの無い海水が
学校の周りを覆い尽くしていた
あの光景は忘れられません。

私の通っていた学校は
気仙沼では内陸側にある学校なのですが、
津波が近くの川を逆流してきて、
周辺に海水が溢れかえり、
その水に巻き込まれて
車や人が道路に浮いていて、、、。
その時、このまま死んでしまうのではないかと
子どもながらに感じたのを覚えています。

学校まで母が迎えに来てくれて、
ヘドロや水をかき分けて自宅に帰ると、
「あぁ、いつもの家だ、、」と。
あんまりにも非現実的な光景ばかりだったので
自宅の安心感は本当に大きかったです。

夜になって、
停電で周りも電気がつかないはずなのに、
気仙沼湾の火災によって
空が夕焼けのように明るいことにびっくりしました。

ティッシュとアルミホイル、サラダ油で
簡易的なロウソクを作ってその周りで
家族で過ごしたり、
お兄ちゃんが仕事現場から1週間程帰ってこず、
ハラハラしたり、
いつケータイの充電が切れてもいいように
当時はSNSも限られてたので
関東に住むお姉ちゃんに安否を伝えるため
ケータイ会社の掲示板に安否を書き込んだり、
色々、本当に色々、
あの日からの出来事は
今でも鮮明に記憶に残っています。

当時13歳の私にとって
衝撃的な出来事が多かった3.11ですが、
救われたのは家族と家が無事だったこと。

周りには津波で家が流された人もいたし、
家族を無くしてしまった人もいました。

「怖い」、「不安」
そういう感情も
自分より大変な思いをしている人がいるんだから
私なんかが言ってはいけない事なんじゃないか。
そういう感情もありました。

アイドル活動とは知らず、
「ボランティア活動やらない?」と
先輩に誘われ入ったSCKの活動でも
MCで震災の事を話すのも気が引けて、
Regenerationの曲フリをするのが1番苦手でした。
「私なんかに言われても
なんの説得力も無いだろうな。」
ずっと心に引っかかっていました。

でも、この10年間で
街を元気にするために頑張る
大人の人達の姿を見て、
こういうカッコいい人達のことを
もっともっと知って欲しいし、
わたしもこうなりたい!!!
そう思えるようになりました。

今ではちゃんと
自分の言葉で、
心で、みなさんと向き合えるようになりましたが、
それまでの間に本当に沢山葛藤がありました。

「なりたい自分になる」
自分はどうありたいのか、
沢山考えました。

これまで支えてくれたみなさんには
本当に感謝でしかないです。
SCKの活動、出会った方々の言葉。
これらは私に沢山のきっかけをくれました。

みなさんの心に響く歌を、
言葉を、少しでも多くの人に伝えて、
私たちがやるべき
「復興メッセンジャー」としての務めを
しっかりと果たしていきたいと思っています。

10年という節目になり、
「復興」という言葉が現状に即しているのか。
今でもまだ少し違和感がありますが、
決められた復興期間の10年という枠で
必ずしもすべてが
元通り以上になった訳ではありません。

心に傷を抱える人は
今でもいます。

そういった方々や、
街を想ってくれる人たちの
心に希望の光が少しでも灯せるような
そんな存在にSCKがあれたらいいな、と思います。

今夜は少しでも温かい気持ちで
過ごせる方が増えますように。

そして、これから必ず来る災害で
悲しい想いをされる方が少しでも減りますように。

気仙沼から祈っています。



まりか