昨日、マヤのシェア会で再度「喪失感」に触れた話をして

また話さなくてもよかったのに

また「喪失感」の話してしまったなと…後悔にも似た気持ちでいたら

何気にYahoo!ニュースでこんな記事を目にしました。

上島竜兵さん、生前に口にしていた“死生観” 妻・広川ひかるが振り返る「志村さんが亡くなった時も言っていた」

上島竜平さんが亡くなったとき
ものすごいショックを受けたことを思い出した
しかも亡くなったのが夫の命日と同じ日で。
たいしてファンでもなかったけど・・・
大好きな親戚のおじさんが亡くなった…そんな感覚に近かった。
今思い出しても悲しくなる、、、
 
奥様の広川光さんが書かれた
著書『竜ちゃんのばかやろう』(KADOKAWA)の中に、
 

「竜ちゃんが感銘を受けていた言葉で、

永六輔さんの『人は二度死にます。本当に死んだ時と人から忘れられた時』っていうのがありまして。

 
そんなことが書かれて。光さんの思いを感じた。
 
「人は二度死ぬ」のお話は
代表のお話でも触れられていて、
だから何度も話してしまうことは
まだまだ色濃く存在が残っているということで、
話してくれて、忘れないでいてくれてありがとうって
言ってるのかな、なんて勝手に思って
良しとしようと思う。
 
 
亡くなったひとは思い出して欲しくても
「思い出して」「忘れないで」とは言葉では言えない
だからなんらかの方法でアプローチしてくるのかもしれない
 
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彼がこんなに小さいときから「じいちゃん」は
お仏壇のなかにしかいないくて、仏壇の中のひとなのに
彼の中では確実に居る存在。
 
小学生となった今、私へのお土産のほかに
「じいちゃん」にと、
夫が大好物の海苔の佃煮をお土産に買って来た笑
亡くなったとき1歳にもなっていなくて
夫の好物を知るはずもないのに
ちゃんと好物のものをチョイスしてくるあたり
どこかで繋がっていているのかなと思ったりもする
 
 
わたしが元気で生きている限り
夫の存在は忘れられることはない
なぜなら私が忘れないから。
わたしも亡くなり
その存在を知る人が一人減り二人減りと自然と忘れ去られたとき
本当の死がやってくる。こうして代々命は繋がれてきたものなのだと思うけれど
そこに感謝を忘れてはいけないことだけは、残して逝きたい。
そんなことを思った夜でした。