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2009年9月19日から来年1月11日まで東京の上野の森美術館で「聖地チベット ポタラ宮と天空の秘宝展」というのをやっているので行ってみた。(4月-6月九州、7月-8月北海道巡回済み。今後は1月-3月大阪、4月-5月仙台の予定)

 

ここで少し、この展覧会の中心となっているチベット仏教についてまとめてみる。
興味のない方はとばして読んでもかまわない。

 

チベットの仏教は、7~13世紀にかけてインドから直接流入した。上座部仏教(昔は小乗仏教ともいわれた、スリランカや東南アジアで普及)、大乗仏教(東アジアで普及。日本の仏教はほとんど大乗仏教)といった顕教と、密教を併習するところに特色がある。

密教とは、インドの習俗やヒンズー教など土着の宗教も包み込んで仏の世界観をつくり、独特な修行体系を完成、儀式や修行によって仏の境地に達することができるとするものだ。密教を抽象的にいうと、

*日常的な現存在の「俗なるもの」がある状況で「聖なるもの」と即応する神秘主義的特性。
*「聖音」「真言」などを通じて対象に働きかける呪術的要素。がある。

日本にも天台宗や真言宗に密教が一部入っているが、いずれも初期・中期密教である。インドでは13世紀にイスラム勢力が拡大し、密教化つまりヒンズー教化した仏教は勢力を失い消滅する。しかし、チベットなどには後期密教が伝わり現在に至る。後期密教は、男性原理と女性原理の合体を修行する無上瑜伽の修行など性的な要素も取り入れられている。

 

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というわけで、展覧会場には普通「仏教」という言葉から受けるイメージとは相容れないエロい仏像が目白押しである。上のパンフレットにあるのは「カーラチャクラ父母仏立像」といい、守護尊カーラチャクラが明妃ヴィッシュヴァマータを抱きかかえている。方便(慈悲)の象徴である男尊(父)と智慧(般若)の象徴である女尊(母)が抱き合い、ふたりの合一による悟りの世界を表すという。しかし、やはりエロいことに変わりはない。じつはこうした父母仏は在俗信者には見せてはならず、秘密仏として秘匿したり、衣を着せて見せるのだという。

 

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こうした男女合一仏はほかにもあり、次の写真が「ヤマーンタカ父母仏立像」。ヤマーンタカは、水牛の顔が主面となっている。これは、長い修行ののち悟りを開く寸前に盗賊に襲われ、首をはねられた聖者が水牛の首をつけて賊を殺した、という伝承に基づいている。しかし、「水牛の首をつけ」てって、ちょうどそこら辺に水牛が死んでたのか、それともわざわざ首をちぎったのかなどと突っ込みたくもなる。ちなみにヤマーンタカは日本では大威徳明王として知られる。

 

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また、悟りを得るために何と性的パートナーになってくれる尊者もいる。ダーキニー(荼吉尼天)はもともとヒンズー教では夜叉の一種で心臓をとって食べるといわれる。ここでは実在の聖者ナローパーの悟りを助けたナーローダーキニーの姿で表される。こういう天女がホントにいれば修行するひとも増えるかもしれないが、36ヶの髑髏を装身具としているので、実際に会うとそういう気にはなれないかも。。。

 

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衆生の苦しみを減らすことができない観音菩薩の右目から流れた涙が白ターラ菩薩に、左目からの涙が緑ターラになったという伝説から生まれた緑ターラ。日本ではほとんど知られていないが、多羅菩薩と訳されている。
ターラには特にエロいエピソードはないのだが、乳房の造形、腰の動き、下肢の張り様もエロく見える。これは私だけの感想ではないらしく、普段は顔と腕だけを出した衣に包まれて安置されているという。

 

エロいだけではなく、生々しいものもある。下の写真はカパーラという法具で、灌頂儀式に用いられるのだが、素材は頭蓋骨だ。高僧の遺志に基づいて作られるもので、これはダライ・ラマに捧げられたものだという。キリスト教ではよく聖遺物として、聖者の骨や遺体の一部を崇めることもあるが、日本人には少し不気味かもしれない。

 

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また、日本では吉祥天として知られるペルデンラモは、ラバに乗った姿で表されているが、よくみると人間の皮を敷いている。これは、「仏教に対するものはたとえ我が子でも殺して敷皮にする」という伝説を基にしているのだという。日本では吉祥天といえば美女の代名詞だが、所変わればということだろうか。

 

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こうしてみると、チベット仏教がわれわれのイメージする仏教よりも、より人間臭い部分を昇華していることと、仏教(ヒンズー教やインドの習俗)の伝承・伝説をイメージ化していることがわかる。われわれは西洋カブレしているので、キリスト教の風習や聖者(聖ニコラウスや聖バレンタインとか)よりも、仏教の伝承や聖者伝になじみがないことに気づかされる。

 

最後に、この展覧会に対して「現ダライ・ラマとの関係について触れていない」「展示物は中国政府によって盗まれたもの」だとする意見があることに触れておこう。また、展覧会図録にも「ポタラ宮とその至宝」という無署名の文章があり、ポタラ宮を「中華民族の古建築の精華」としている。他の解説文には作成者名があるのと相俟っておおいに違和感を感じた。