キングダム・オブ・ヘブン  20世紀FOX  2005年制作

 

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JBM子爵が推奨していたので鑑賞。「ブレード・ランナー」「ブラック・レイン」「グラディエーター」で知られる巨匠リドリー・スコットが13億㌦の巨費をかけてつくった歴史スペクタクル。そして、この記事は観たひとでも興味のないひとにはつまらない、観てないひとにはぜんぜんわからない、ネタばれ満載でお送りします。

 

あらすじ
12世紀フランス、鍛冶屋の青年バリアン(オーランド・ブルーム)は妻子を亡くし生きる望みも失いつつあった。ある日、十字軍の騎士ゴッドフリー(リーアム・ニーソン)が現われ、実の父だと告げ聖地エルサレムへの旅へ誘う。エルサレム帰還の途上に死んだ父の理想を受け継ぎ、エルサレム王に忠誠を誓うバリアンはやがて王妹シビラと禁じられた恋に落ちる。しかしエルサレム王が望んだ休戦の日々も、十字軍戦士たちの狂気、強欲、嫉妬に脅かされつつあった…。

 

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歴史的背景
はじめ観たときには「なぜエルサレムにクリスト教の王国が」と不思議に思ったのでチョト調べてみた。イスラメ教の始祖ムハンマドがアッラーの啓示を受けたのが610年。イスラム教徒はアラビア半島を席巻し、638年にはエルサレムを支配する。

 

1095年、ローマ教皇ウルバヌスⅡ世はエルサレム奪還のため十字軍を呼びかけ、1099年エルサレムを陥れる。この結果ロレーヌ侯が「聖墳墓の守護者」としてエルサレム周辺の支配者となり、死後に弟のブローニュ伯ボードワンがエルサレム国王に推戴され、1187年までの88年間十字軍の王国がエルサレムを支配した。つまり、エルサレムのクリスト教王国は88年間(昭和+平成で84年)だけ存在してたのだつた…。

 

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エルサレム王国は設立の経緯から十字軍や教会などさまざまな勢力が錯綜する封建国家であり、主権は国王よりも貴族団にあった。あるいは元からの現地諸侯はイスラム勢力との融和を望んだが、十字軍や教会などはイスラム教徒との戦いを欲した。

 

なぜこうしたまとまりのない十字軍体制が中東の地に橋頭堡を築けたのかというと、イスラム側がカイロ(ファーティマ朝)とダマスカス(ザンギー朝)に別れて反目していた、という事情があった。しかし、1169年ザンギー朝の重臣サラディン(サラーフ=アッディーン)がエジプトを倒しイスラメ勢力を糾合すると、エルサレム王国はイスラム勢力に包囲されるようになる。

 

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物語の構成
映画はこの時期を背景につくられている。サラディンの勢力が押し寄せる中、あくまでも和平を求める国王ボードワンⅣ世とバリアン、それに対して「神の守護」を信じて「異教徒を倒せ」というギー・ド・リュジニャンを中心とする十字軍側という対立軸がある。

 

このギー・ド・リュジニャンという人物はボードワンⅣ世の妹シビルと結婚しており、王の義弟にあたる。映画ではシビルとバリアンが恋に落ちるが、バリアンが人妻であるシビルを奪うのを潔しとせずボードワンⅣ世の死後、ギーが王位を継いでエルサレム王国は滅亡に向かうことになる。

 

しかし、もろちん史実ではバリアンとシビルの恋愛はない。※1.ボードワンⅣ世は映画にもあるようにハンセン氏病(癩病)にかかっていて子供ができなかったので、はじめからシビルの夫が継承権を得る可能性が高かった。ギーとは再婚であり、最初の夫モンフェラート侯とは一子を儲けたのち死別している。

 

ボードワンⅣ世の死後、シビルとモンフェラート侯の子供であるボードワンⅤ世が即位(映画では割愛)したが、1年で病死。貴族団はシビルの即位の条件としてギーとの離婚を求めるが、即位と同時にギーを夫に選び王に推戴するのは映画と同様。

 

イスラムに対する強硬派であるルノー・ド・シャティヨンがギーの意を体して、メッカ巡礼者への襲撃や紅海での海賊行為といったイスラム教徒への挑発を行い、ついにサラディンと十字軍が雌雄を決するヒッティーンの戦いを迎える。ここで2万の軍勢を失った十字軍は壊滅する。

 

十字軍の後ろ盾をなくしたエルサレム王国は滅亡確実であった。んが、守備隊長バリアンの交渉よろしきを得て、十字軍の残党やカトリック司祭たちは破格に安い身代金で命を助けられてエルサレムを脱出できた。

 

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残虐な十字軍と寛容なイスラメ
1099年に十字軍がエルサレムを攻略したとき、イスラムの守備隊は内通を怖れてキリスト教徒を退去させていた。そのためキリスト教徒の被害者は少なかったが、十字軍は残った住民を徹底的に殺戮する。

 

イスラム教徒はもろちん、ユダヤ教徒もシナゴーグに集められて焼き殺された。同じキリスト教徒でもカトリック以外のギリシャ、アルメニア、グルジア、コプト、シリアといった教会の司祭はエルサレムから追放される。

 

あまりに殺戮したために人口が極端に減り、城門守備の要員にも事欠くありさまだつたという。(十字軍兵士は定住せずに遠征しては撤退の繰り返しだった)

 

それ以前のエルサレムでは、イスラム教徒だけではなくユダヤ・キリスト教徒も巡礼に訪れたり定住したりと、平穏な日々を送っていた。

 

サラディンの征服によって再びイスラム支配となったエルサレムでは、「岩のドーム」に立てられた十字架や巨石の上の祭壇などは取り除かれた。んが、サラディンはユダヤ教徒・キリスト教徒もイスラムと同じ「啓典の民」とみなして庇護した。

 

イスラム支配を認め一定の税金を納めれば、宗教と生活の自由を保障する、というのは多くのイスラム教国で共通であり、オスマントルコ時代まで守られていたのだつた。

 

われわれの固定観念とは異なり、イスラムは寛容な宗教であり、ヨーロッパが先進国となるのはルネッサンス以降といってもよい。1492年までスペインはイスラム支配下にあつた。「イスラム=頑迷な保守、あるいは非寛容」というのは極一部であり、また、イスラム過激派というのも極一部である。

 

リドリー・スコットがこの時期にこういう映画をつくったのも、そういう意味を籠めていらっさるのではないだらうか。

 

※1.エルサレム籠城を指揮したBalian of Ibelin(イブリン家のバリアン)が映画のバリアンの元となっているのだが、兄のボードワンが一時期シビルの再婚相手に挙がったことがあるという。