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船場吉兆が廃業しましたが、なぜ廃業になったのか、また吉兆※1.というぉ店はどんなところなのか、吉兆に行ったことのない※2.私が無代にて憶測しちゃいます。

吉兆は湯木貞一(1901~1997)が、1930年大阪に開いた「御鯛茶處吉兆」が嚆矢である。※3.間口2m奥行12mという小さな店では、湯木自身が腕をふるった。1947年に現在の高麗橋本店に移転、その後東京サミットで和食を任されるなど「日本を代表する名店」となる。

吉兆の特徴は茶道の影響が大きいことで、茶懐石が源流である。料理はもとより器・掛軸などにも惜しげもなく名品を使う。※4.かといって伝統に囚われず自由に発想するところもあり、フォアグラ・キャビアなどを日本料理に取り入れたのも吉兆が最初であろう。また、松花堂弁当という形式も貞一の考案である。

湯木貞一は紫綬褒章受賞、1988年には料理業界から初の文化功労者となる。吉兆のマッチに「世界之名物 日本料理」と入れさせた貞一にとっても、座敷・器・料理という日本文化を代表する総合芸術を提供しているという確信があったに違いない。

では、なぜそんな名店が廃業に追い込まれるに至ったのだろう。


店と屏風は広げ過ぎたら倒れる
貞一が存命中に吉兆は19の店を出す。これはもちろん料亭ぱかりではなくホテルや百貨店※6.なども含めての数である。貞一は自分が包丁を握れなくなったあとでも、毎日調理場に正座して料理人たちの動きを監視していたという。95歳で亡くなる前にはそれが週1回程度になったが、貞一存命中は19店に増えても睨みが効いていたに違いない。

これは憶測だが、吉兆がここまで店を増やしたのは貞一が子供たちに店を継がせたいという思いがあったからではないだろうか。貞一の死後、店は以下のように分けられる、
長男-本吉兆(高麗橋本店他)
長女(婿)-東京吉兆(東京本店 、ホテル西洋銀座店他)
次女(婿)-京都吉兆(嵐山吉兆他)
三女(婿)-船場吉兆(船場本店、博多店他)
四女(婿)-神戸吉兆(リーガロイヤルホテル店他)


各店舗は独立経営で、それぞれに口出しはしない。青山会という親睦団体はつくっていたが集まりは年に一回程度であつたという。しかも今の経営陣はほとんどすでに三代目に移っている。つまり、同じ「吉兆」とはいっても系列ごとに違う店だったというのが実情であろう。

「店と屏風は広げ過ぎたら倒れる」、これは湯木貞一本人の言葉だ。貞一には20店近くの店(の味と水準)を管理できても、凡人にはひとつふたつの店でも難しいということだったのか。


もったいない
船場吉兆が廃業に至ったのは、「賞味期限・産地」偽装よりも「使い回し」の方が大きい。これは単に「汚いわねぇ」という問題ではなく、料亭の存在意義につながるからである。

例えば、吉兆で出される蛤の吸い物に入っている蛤は柔らかい。ところが、蛤は「煮ると硬くなる」という性質を持っている。吸い物に蛤の風味を入れつつ柔らかい蛤を提供するのにはどうすればよいか?

火を通して硬くなった蛤は捨て、別の蛤を入れるのだ。こんなことをすれば、材料費は二倍かかる。しかし、こういう無駄がいたるところにあるのが、吉兆の料理といえる。

もともと日本料理というのは高い。フランス料理や中華料理はメニューを見て選べる。しかし、日本料理は基本がぉ任せである。それは「任せたら美味しいもん出したげるから」という意味と、食材が高いという両面があるのだろう。

フランス料理の食材は肉など何日かはもつ。中華に至っては高級食材の鱶鰭、燕の巣は乾燥させた保存食品だ。※8.※9.それに比べて日本料理の素材は当日限りというものが多い。家庭なら冷蔵庫に入れて「明日食べましょう」、ということになるが、料亭では不可能。だいたい刺身は切って20分、吸い物に至ってはつくってから数分※10.しか持たないというからだ。※11.

そもそも、「高級料亭=もったいない」の塊だといってもよい。客は街場の喫茶店がパセリを使いまわし※12.しても「へ~」というだけかもしれないが、吉兆では許さない。「素材を大事にする」のは結構だが、何でもかんでも「もったいない」というのは、人間として正解でも、料亭をやる資格はないということだ。

湯木貞一が信じていたように、料亭は料理だけでなく全てを楽しむ総合芸術といえよう。「全てが最高」であるのは無理にしても、「手抜き」があってはいけない。特にひとり五萬円~(最低で五萬円よん)という店では言わず
もがなであつた。

フランス料理では、高級ワインを頼んだら少し残すのがいいとされている。残したワインはソムリエや従業員が味をみて勉強するのに役立ててもらうのだ、と。たしかに、客が手をつけなかったものはもったいないだろう。特に吉兆の料理※7.がもったいないのは当然だが、従業員に味をみせてあげればよかつたのだ。


味の継承
実は料理店にとつて長年営業するのは難しい。coolくんチから盗んできた「Restaurant誌」による「世界のトップレストラン50」※13.http://en.wikipedia.org/wiki/Restaurant_%28magazine%29_Top_50 にもツール・ダルジャン、ピラミッド、マキシム、タイユバンなどひと昔前のフランス料理を代表する名店の名はない。

これは、*時代とともに嗜好も変化するので、店側も前例の踏襲だけでは旧態依然になつて飽きられる、
*味というのは作るひとによって左右されるので、継承自体が困難、

という要素がある。吉兆にしても戦前から名前はあったが、隆盛は戦後の50年である。実は老舗といわれて続いている料理店は、続けて行かれる理由がある、
*鰻、鋤焼き等、単品で変化を求められない料理が多い。
*一部の高級料理店は接待のための店であり、味は二の次。

こうして考えてみると、料理店の寿命というのは調理人とイコールなことが多い。※14.吉兆にしても巷の評判が名高い嵐山吉兆は、「祖父の時代にくらべかなり内容は変化している」(総料理長徳岡邦夫)という。

高級店の客の多くは接待、つまり自腹を切らない客である。こうした客の中にも味がわかるひとは当然いるだろうが、接待の場合「吉兆」や「福臨門」といったブランドが重要になる。また、料理内容でなく高い食材を大量に使うだけの料理も増えている。※15.こうした事情が日本の料理店のぉ値段がどんどん高くなってしまう理由のひとつになっている。また、店自体の賞味期限が切れて営業していけるのも、接待利用が多いからではないか。日本と違って接待が少ない欧米※16.での料理店の興亡が激しいのも同じ理由かもね~。

船場吉兆があてはまるかど~かわからないが、税制が変わって「接待は経費では落ちない、でも個人の外食はある程度必要経費になる」ということにあれば、意味なく高い料理店はどんどん潰れるはずだ。逆に、妥当に高い店は増えると思う。

※1.吉兆の「吉」の上部はホントは「土」で下棒が長い。また創業時の呼称は「きっきょう」であつた。
※2.coolくんが嵐山吉兆に、ママンは東京本店に行ったこつがあるとか。
※3.開店当日、客はひとりも来なかったといふ…。
※4.今では湯木美術館に貞一のコレクションが収められている。
※5.船場吉兆廃業以前は25店にまで膨張。
※6.東京本店、高麗橋本店などの「料亭」は「一見さんお断り」、したがって紹介なしで入れるホテル内
店舗は2軍、百貨店やモール、美術館にある店舗は3軍であって全てが同じレベルというわけではない。
※7.吉兆などの料亭では水準以下のものを出すこつはないが、水準以上のものを出すかど~かは客
によって判断するらしい。だらか、君や私の人となりによつて出されるぉ料理が違うのかもね~。
※8.もちろん、一度乾燥して戻した方が旨みが出るという話だが。
※9.日本の中華に海鮮系の材料が多いのは、香港や広東など中華料理の一部の影響。
※10.だから、吉兆では吸い物は座敷の隣でつくって出すんだってさ。
※11.だから、出されたものすぐ食べないひとが「美味しいもの好き~」と言うても信じない。
※12.中性洗剤につけるとしなびたパセリが青々と♪
※13.料理人と評論家の投票によれが、和食とか中華とか入ってないし、「西洋料理のトップ」かな。
※14.稀に妻子や後継者に「舌の記憶」の才能がある場合は成功する。
※15.松茸とか近海マグロとかホアグラやカビアを意味なくどんどこ出すとかさ。
※16.まつたくないわけでないよ。あと、世界中どこでも観光客用の店は味に関係なくいつまでも生き続けれ…