GET王の名にかけて、1GETの可能性ないとこにはコメンツすないのよね~☆
君たちの中には外国語オタクがゐて、「外国語がさべれたらぇぇな~」と思ってるかもすれんが、
実はさべれん方が幸せかもすれん、というぉ話を無代でご提供♬
スペイヌ語
ある経緯があってアメリケはフロリダにあゅAIDS患者施設に行った。そこはビジネセの相手先のクーバ
系米人の弟が経営すれとろこで、患者はほとんどクーバ人。どっちゃかというと貧しいぴとたちで英語
はほとんど話せないのであった。
当時ボキはスペイヌ語の初歩だけ独学すてたのだが、使う相手はラテンのおねえさんぱかりなので
発音は悪いかもすれんが間違いなく伝わってゐた(所謂、ダイレクトメソッドだわね♫)すかし、能力的
には男性だと5分、女性だと30分くらいすか続かない低ラベルであれ。
フロリダにはボキを含めたニポン人5名ほどで数日ゐたのだが、AIDS患者に会ったのは最終日だった。
医者である弟クーバ人が患者に「このぴとたちはニポンから来て、君の血液が欲しいというからサンプル
取るね」と言っていた。患者は「ニポンから?」と物憂げにボキの方を見たので、ついスペイヌ語で、「 ¿quiere
ir a Japon con migo?(ボキと一緒にニポン行ってみたい?)」と聞いたが、「うんにゃ」と言われた。
んが、弟クーバ人は驚天動地といった顔でボキを見て、「スペイヌ語でけるの!?」となでか慌てている。
ちょうどその時、他から呼ばれたのでそのままになったが、たべん「ニポン人にスペイヌ語がわかるわけな
からん」とぱかりに、ボキらの前でいろいろと言いたい放題言ってたのであらう…。
中国語
大連に1週間ほど行ったときは昼と夜は外食であった。途中から現地のかいさの女性幹部数人が面白
がってボキに中国語の発音を教えだした。毎日2回一緒にご飯食べてるので、使う言葉はリストランテで
使うものが主であった。結果、指導よろしく数種類のフレーズは完璧に言えるようになった(らすい、だっ
てボキにはわらかんのだもの…)。
帰国してしばらくのち、友人数人と会食の機会があった。場所は一見で入った新橋の大衆中華料理店。
さんざん食って飲んだ頃シフツの交代か、新しい女性従業員が店に現れた。友人のぴとりが「あのねえ
ちゃんいいよな~、あのコに注文しようぜ」と言い出す。
その店の従業員は全員中国人のようで、そのコも当然中国人のはず。そこで、ボキが大連仕込みの中
国語で、「「小姐、来来(おね~ちゃん、ちょっと来て~)」と言ったら、厨房で働いてたぴとを含めて、全員
ボキの方を一斉に見たのだった。きつと、彼らもさんざんニポン人の悪口言ってたのね…。
米語
ルーブレ美術館に行ったとき、アメリケ人の団体客のガイドが大きな声で、「さぁ、皆さんニポン人のように
一列に並んでくらさいね~」と言ってた。よぽど、「君たちはパ○ですか、『ニポン人のよ~に』言うたってニポン
人はこうすて個人旅行で来てるけど、団体でないと動けないのは君たちアメリケ人であらう」と言おうと思った
けど、やめといた。
あと、こりはでんでん違う話だがAnaheimのタヒ料理屋でボキが、「ウヒャヒャヒャヒャ、7/11はもうニポンのかいさ
だもんね~」と言ったら、しばらくすて後ろに座ってた老夫婦の奥さんがダンナに、「あにゃた、7/11が
ニポンのかいさってホントにゃの?」と聞いていた。ダンナはチャンと知ってたらすく(アメリケ人の中にはSONY
とかアメリケのかいさと思ってるようなぴともゐれ)、「うん、ニポンのかいさが買ったんだよん」と答えてゐた。
君たちの中には外国語オタクがゐて、「外国語がさべれたらぇぇな~」と思ってるかもすれんが、
実はさべれん方が幸せかもすれん、というぉ話を無代でご提供♬
スペイヌ語
ある経緯があってアメリケはフロリダにあゅAIDS患者施設に行った。そこはビジネセの相手先のクーバ
系米人の弟が経営すれとろこで、患者はほとんどクーバ人。どっちゃかというと貧しいぴとたちで英語
はほとんど話せないのであった。
当時ボキはスペイヌ語の初歩だけ独学すてたのだが、使う相手はラテンのおねえさんぱかりなので
発音は悪いかもすれんが間違いなく伝わってゐた(所謂、ダイレクトメソッドだわね♫)すかし、能力的
には男性だと5分、女性だと30分くらいすか続かない低ラベルであれ。
フロリダにはボキを含めたニポン人5名ほどで数日ゐたのだが、AIDS患者に会ったのは最終日だった。
医者である弟クーバ人が患者に「このぴとたちはニポンから来て、君の血液が欲しいというからサンプル
取るね」と言っていた。患者は「ニポンから?」と物憂げにボキの方を見たので、ついスペイヌ語で、「 ¿quiere
ir a Japon con migo?(ボキと一緒にニポン行ってみたい?)」と聞いたが、「うんにゃ」と言われた。
んが、弟クーバ人は驚天動地といった顔でボキを見て、「スペイヌ語でけるの!?」となでか慌てている。
ちょうどその時、他から呼ばれたのでそのままになったが、たべん「ニポン人にスペイヌ語がわかるわけな
からん」とぱかりに、ボキらの前でいろいろと言いたい放題言ってたのであらう…。
中国語
大連に1週間ほど行ったときは昼と夜は外食であった。途中から現地のかいさの女性幹部数人が面白
がってボキに中国語の発音を教えだした。毎日2回一緒にご飯食べてるので、使う言葉はリストランテで
使うものが主であった。結果、指導よろしく数種類のフレーズは完璧に言えるようになった(らすい、だっ
てボキにはわらかんのだもの…)。
帰国してしばらくのち、友人数人と会食の機会があった。場所は一見で入った新橋の大衆中華料理店。
さんざん食って飲んだ頃シフツの交代か、新しい女性従業員が店に現れた。友人のぴとりが「あのねえ
ちゃんいいよな~、あのコに注文しようぜ」と言い出す。
その店の従業員は全員中国人のようで、そのコも当然中国人のはず。そこで、ボキが大連仕込みの中
国語で、「「小姐、来来(おね~ちゃん、ちょっと来て~)」と言ったら、厨房で働いてたぴとを含めて、全員
ボキの方を一斉に見たのだった。きつと、彼らもさんざんニポン人の悪口言ってたのね…。
米語
ルーブレ美術館に行ったとき、アメリケ人の団体客のガイドが大きな声で、「さぁ、皆さんニポン人のように
一列に並んでくらさいね~」と言ってた。よぽど、「君たちはパ○ですか、『ニポン人のよ~に』言うたってニポン
人はこうすて個人旅行で来てるけど、団体でないと動けないのは君たちアメリケ人であらう」と言おうと思った
けど、やめといた。
あと、こりはでんでん違う話だがAnaheimのタヒ料理屋でボキが、「ウヒャヒャヒャヒャ、7/11はもうニポンのかいさ
だもんね~」と言ったら、しばらくすて後ろに座ってた老夫婦の奥さんがダンナに、「あにゃた、7/11が
ニポンのかいさってホントにゃの?」と聞いていた。ダンナはチャンと知ってたらすく(アメリケ人の中にはSONY
とかアメリケのかいさと思ってるようなぴともゐれ)、「うん、ニポンのかいさが買ったんだよん」と答えてゐた。