
君たちは「契約の箱」というのを知っているであろうか。ハリソン・フォード主演の映画「レイダース/失われたアーク(聖櫃)」の"アーク"というのもこれのことである。(英語では、Ark of Covenant)
旧約聖書によれば、モーゼがユダヤ人を導いてエジプトを脱出した後、シナイ山で10の戒律、すなわち十戒を神から与えられる。しかも、2枚の石版に刻み「箱に入れて大事にせんといかんよ」と神が指示までしたという。そして箱も以下のように作れというのだ。
アカシア材を使い、箱の内側も外側も純金で覆い、周囲に金の飾り縁を付けること。箱の四隅の脚に金環を付け、そこに棒を通して箱を担げるようにすること。棒もアカシア材で作り、金で覆うこと。箱の大きさは、縦2.5アンマ、横と高さがそれぞれ1.5アンマとする。(換算すると、縦120センチ、横と高さがそれぞれ60センチほど)箱の上部には、これも純金で作った智天使2体を向かい合わせにつける。
この箱を祭司たちが担いで放浪し、戦時には武器にもなったといわれる。ソロモン王の時代にはエルサレム神殿に落ち着く(いまもエルサレムの残る「嘆きの壁」はこの神殿の跡に建てられたヘロデ神殿の遺跡)。んが、その後ユダヤ王国は分裂、アッシリアやバビロニアに滅ぼされる。聖書にも以降の「契約の箱」の記述も無くなり「失われたアーク」となって現在に至る。
映画「レイダース」では「契約の箱」はエジプトの遺跡にあり、ナチスドイツとの争奪戦に勝利したインディアナ・ジョーンズだが、「契約の箱」はアメリカ政府の倉庫奥深くにしまいこまれるという結末になっている。
ジンバブエ説 |

しかし、最近になって「契約の箱」(あるいはその二代目)が、アフリカのジンバブエにあるという説を出すものが出た。後でみていくが「契約の箱は○×にある」という説のほとんどはトンデモ説に近い。しかし、この発表をしたTudor Parfittはロンドン大学東洋アフリカ学研究所の教授でいままでのものとはチョト違う。
Parfittは1980年頃、「われわれは失われたユダヤ部族のひとつ」と主張する南アフリカに住むLembaという部族と生活をともにする。ほとんどの学者はこの主張を一笑に付していたが、1999年DNAによる検索の結果たしかにこの部族はユダヤ人祭司の一族の子孫であると判明する。
そして、Lemba族の口承にこういう物語があるのがわかる。部族にはngomaと呼ばれる儀式用の器具を収める神聖なものがある。それには棒を輪に通して運ぶのだが、尊いものなので地面につけてはならず、祭司ではない一般人が触れてもいけない。そして「われわれはこれをエルサレムの神殿からアフリカまで運んで来た」と言うのだ。
ParfittはLembaの口承を全面的に信じたわけではなかったが、1940年代にスウェーデン人宣教師が「ドラムのような形をしたngoma」というものを洞窟で見つけたという話を耳にする。その後、ngomaは南ローデシアのBulawayo博物館に寄贈されたが、1949年に消えてしまう。

その後、Bulawayo博物館の収蔵物の一部がジンバブエのハラエにあるビクトリア博物館に移されたと聞き、2007年3月に訪れてみる。そこには確かにngomaがあった、しかし、このngomaは1350年頃につくられたものと判明する。

その後、Bulawayo博物館の収蔵物の一部がジンバブエのハラエにあるビクトリア博物館に移されたと聞き、2007年3月に訪れてみる。そこには確かにngomaがあった、しかし、このngomaは1350年頃につくられたものと判明する。
金で覆われたとはいえ木で作られたオリジナルの「契約の箱」は3000年の歳月には耐えられなかったのだろう、というのがParfittの見解だ。しかし、この700歳のngomaこそが「契約の箱」の直系の子孫である、と彼は言う。
んが、世界には「契約の箱」はここにある、という情報が他にもある。

エチオピア大使館のHPにも、「シバの女王とソロモン王の息子であるメネリク一世は、イスラエルより当時の都アクスムに「契約の箱」を持ち帰ったと言われています」としっかり書いてある。エチオピアの北部にある古都アクスムのシオンの聖マリア教会付属施設がその場所である。「契約の箱」とされるものは門外不出であり、
真偽不明。ただ、National Geographic誌で紹介されたこともあり、長い歴史を持つ説であることは確かである。
ちなみにエチオピアにはエチオピア正教というキリスト教の一派が古くから国教とされており、いまでも人口の55%を占める。また、エチオピア説は、「神々の刻印」でグラハム・ハンコックも取り上げている。
エチオピア説 |

エチオピア大使館のHPにも、「シバの女王とソロモン王の息子であるメネリク一世は、イスラエルより当時の都アクスムに「契約の箱」を持ち帰ったと言われています」としっかり書いてある。エチオピアの北部にある古都アクスムのシオンの聖マリア教会付属施設がその場所である。「契約の箱」とされるものは門外不出であり、
真偽不明。ただ、National Geographic誌で紹介されたこともあり、長い歴史を持つ説であることは確かである。
ちなみにエチオピアにはエチオピア正教というキリスト教の一派が古くから国教とされており、いまでも人口の55%を占める。また、エチオピア説は、「神々の刻印」でグラハム・ハンコックも取り上げている。
エルサレム説 |

1)ゴルゴダの丘説
アメリカ人故Ron Wyattの発掘による説。ゴルゴダの丘跡とされる場所には聖墳墓教会が建っているが、 Wyattはそこは本当の場所ではないとしエルサレム城外の丘を発掘、「契約の箱」を発見したと主張する。しかし、Wyatt撮影の写真はどれも不鮮明で、本人以外未だに確認されていない。またWyattは正規の考古学教育を受けておらず、他にも「ノアの箱船」「洪水後のノアの家跡」「ソドムとゴモラの位置」などを発見したとも主張していた。
2)クムラン説
考古学者Vendyl Jonesは神殿破壊の以前に「契約の箱」を隠した場所を見つけたと主張。2005年までに発見されると予測したが、発掘作業の遅れにより未だ不明。
考古学者Vendyl Jonesは神殿破壊の以前に「契約の箱」を隠した場所を見つけたと主張。2005年までに発見されると予測したが、発掘作業の遅れにより未だ不明。
日本説 |

1)徳島の剣山説
ソロモン王家の一族が3000年前に脱出、室戸岬に上陸して剣山にたどりついた。あるいは、預言者イザヤなどが日本に来訪、「秦氏」を名乗り大和王朝設立に尽力。「契約の箱」を剣山に隠し弘法大使空海は四国八十八ヶ所霊場をつくり結界を張った、等。

2)伊勢神宮説
伊勢神宮のご神体が「契約の箱」だとするもの。剣山説とともに「御神輿」と「契約の箱」が「棒を渡して担ぐ」、「金で覆われている」、「天使が乗る」「鳳凰が乗る」という類似点に注目する。
また、もともと戦前から一部で言われる「日猷同祖論」(日本人とユダヤ人の先祖が一緒)や「ユダヤ陰謀説」がこれらの説の根底にあると思われる。
※ジンバブエ説の元記事→http://www.time.com/time/health/article/0,8599,1715337,00.html
※この他にも「テンプル騎士団発見説」などヨーロッパに持ち帰った説も多数あり。
※この他にも「テンプル騎士団発見説」などヨーロッパに持ち帰った説も多数あり。