230万人って何?
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クエートの人口は約220万人、ジャマイカやモンゴルは約270万人。日本でいうと岐阜、長野、宮城、新潟の各県の人口が210~240万人である。この人数を多いとみるか少ないとみるかは何を基準にするかだとは思うのだが、アメリカでは成人の100人にひとりに当る約230万人が…、受刑者だという。

 

最初こりを聞いたのはインターネットで見られるNBCニュースだったので、「私の英語聴取力が低級だからかな」と思ったのだが、ホントにそうなのだ。ちなみに日本の受刑者は、6万人である。アメリカの人数を知ったあとは「日本は平和」と思わざるを得ない。(それでも日本の受刑者数は多くなっており、各刑務所は100%以上の収容率ださうだ)

 

ちなみに黒人成年の15人にひとり、ラティーノ成年の36人にひとりが受刑者である。そういえば知り合いのラティーナが「お兄さんが2人いる」というので、「君と知り合ってかれこれ3年くらいになりますが、顔も見たことないし話題に出たこともない」と問い返したら、「だつて、ふたりとも刑務所にいるんですもの♪」と言っていたことを思い出した。

 

ちなみにこれは保守政権下で量刑を厳しくしたり「3ストライクアウト」などで、受刑期間が長くなった結果で、犯罪率は横ばいだということだが、10年前は10万人でした、ということはないだろう。


 

「LA疑惑」って毎日やる必要あんの
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三浦和義氏がサイパンでアメリカ司法当局に拘束された事件をTVで毎日やっている。今日は…、弁護士が決まったらしい、と。TV局は毎日サイパンやLAから衛星中継をしているが、特に知るべき内容はない。当り前である、三浦氏がLAに移送されて審理が始まる前に司法当局がペラペラ内容をしゃべるわけはない。

 

だいたいTVが盛んに言い立てる「新しい証拠」「新しい証人」はないのかもしれない。司法当局は1988年に出された逮捕状が「有効」だと言っているし、LATimesによればカリフォルニア州では2004年に海外で裁判が行われた事件については、"一事不再理の原則"の適用外としている(LA郡保安官代理が外国人に撃たれ死亡、犯人は国外逃亡するという事件が起きたため)。

 

となると、「日本で裁判が行われた事件にLAPDが逮捕状を執行するのは、何か新証拠があるからだ」というのは別に根拠がなくなる。三浦氏は、一美さん殴打事件(日本で有罪)、一美さん銃撃事件(証拠不充分により無罪)と同時に白石千鶴子さん殺害事件(未解決)の容疑者でもあり、LAPDの未解決事件の中でも決して小さい事件ではない。

 

加えて三浦氏は一美さん銃撃事件の際、自らも撃たれ内外のメディアに被害者として登場。LAの治安の悪さをしきりと喧伝した。アメリカの凶悪犯罪の多さ=LA司法当局の無能、を事件の理由にしているのだ。もし三浦氏が犯人であるとしたら、LA司法当局にとっては、一連の事件は多くのTVがいうように「多くの未解決事件のひとつ」で済まないのかもしれない。

 

ちなみになぜ三浦氏がサイパンで拘束されたかというと、三浦氏自身がブログにサイパン旅行のことを書き、「またそのうち行く」と予告していたからだという。このブログをジミー佐古田氏など日本語が読める当局関係者がLAPDに教えたという。

 

当時三浦氏関連の事件は、
*週刊文春という新聞・TV以外の媒体があぶりだした「疑惑」、
*TV局がこの「疑惑」に乗り、犯人扱いで取り上げた、
*三浦氏の独特のキャラクターがこれらを煽り、
*最後に新聞、司法が動いた、
という特異であるが今ではよくある「疑惑」の走りということが特徴だ。このような特異性が当時は話題になったが、今ではその意義はないといえよう。もろちん、事件の関係者にとっては大いに関心はあろうが、このように毎日取り上げる意味も必要もまったくないと思う。

 

アメリカのTVがブリトニー・スピアーズを追うのを嘲笑するが、日本のTV局も同じ穴の狢。これはいわば三浦氏を題材にしたマスコミのノスタルジックなマスターベーションというしかない。(一美さん銃撃事件の現場ってよく見たらフツ~のひとは行かないし、写真なんか撮る場所ではない)


 

植民地の方がレベルが高い
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一部の皆さんはご存知のように当王國には「さんひあ植民地」がある。植民地での話題は自由なのだが、どうも最近は本國よりも植民地の方が知的レベルが高いような気もする。

 

最新の話題は、沖縄で起こった米兵による女子中学生への暴行事件
(被害者による告訴取り下げにより不起訴)から、
1.「なぜ他にも基地があるのに沖縄での事件が多い(ように見える)のか」
2.「米兵犯の多くが黒人であるのはなぜか」
3.「二重らせんのジェームズ・ワトソンが黒人の知能は他人種に比べて低いといっている」
4.「のちに取り下げ謝罪した」
5.「アフリカのぴとは非能率的で困る!キ~ッ」
6.「「behavioral geneticsの研究が進むともっと色んなことがわかるかも」
というやりとりが続いている。

 

じつは2.のコメントは私である。ここには、
*沖縄の多くの軍人は海兵隊であるがそれと関係あるのか、
*アメリ佳は現在徴兵制でなく志願制だが、黒人が多いことと関連性は、
という意味をも含めたかったのだが、単なるコメなので書かなかった。ゆえに以降の論議が「黒人は他人種と比べて知能が低いのか」という趣旨になっている。が、自分の想定外のところに議論が拡大していくのも楽しいものである。

 

最後に出て来たbehavioral geneticsというのは日本語でいうと行動遺伝学。昔から「人間に与える環境と教育」の重要性はいわれてきた(いまの教育制度論議や社会制度はほとんどここに基礎がある)。これに対して行動遺伝学では(人間をふくめた)動物の行動にあたえる遺伝の影響を考える。

 

こうした遺伝が与える影響の研究では悪名高い「優生学」がある。ナチスがこれを取り入れ、ユダヤ人などを劣等人種として虐殺した(あるいは自らの行動を正当化するために援用したのか)。日本でもハンセン氏病患者の隔離、断種のもとにあるのも優生学思想である。

 

DNA研究の発達により遺伝学も急速に進歩した。「人間って環境や教育だけじゃないんでないの」というひとたちが、こうした学問の成果を援用しようとするのも無理はない。んで、この行動遺伝学をチョト渉猟してみた。

 

だいたい、「人種間に知能の差がある」という場合に「人種」の定義が明確でない。われわれが便宜上、白人とか黒人と見た目でいう場合はよいが、科学的に調査するときの定義は曖昧では困るわけだ。次に、どの人種をどういう社会から持ってくるかについても問題がある。例えば単純に調査や試験をする、といっても「机に座って紙と鉛筆で」回答を書いていく方式なら、そういうことに慣れている社会のひとの方が成績は上がるのは当然だ。

 

そしてもともとIQなどの数値は、人種間よりも個体差の方が大きいという。つまり、日本人とザンビア人の差よりも日本人の中の差の方が大きいということらしい。

 

んで、われわれの遺伝率は50~60%だという。つまり環境や教育で変化する可能性は4割以上あるというのだ。環境や教育で自由自在に変えられるわけではないが、その余地は大いにあるということのようである。
※GET王國さんひあ植民地はココのゲスブ内。