安宅は身近にいたひとびとからみてもわかりにくい人物だったようだ。伊藤郁太郎はしばしば安宅から収集品を見せるように指図された。相手は美術商であったり収集家であったりするのだが、基本的に本人はその場に立ち会わない。しかし、指図は微に入り細を穿ったもので、「まずお出でになったらすぐにやや薄めの熱い煎茶をお出しする。品物はまずAをお見せして、次にAを片付けてBを。Bの次はBを出したままCを。BとCを片付けてDをお見せする。Dをご覧になったら今度はぬるめのお茶をお出しする…」という具合だった。

 

伊藤によるとこうした配慮はすべて「収集」に向けてなされたもので、収集家・美術商それぞれに対して細心の注意が払われたという。しかし、そうした理解も伊藤の"翻訳"あってのこと。長年身近にいて観察しての結果いえることだったのではないか。安宅はひとの好悪が激しく、認めた人物には中学生でも敬語を以って接し(当時中学生だったピアニスト中村紘子の回想)たが年配者でも認めなければ呼び捨てにしたという。コンサート会場でも「ヘタクソ!」と大声で発したという伝説もある。こうした安宅からすれば世間の人の多くは通じるところの少ない、いわば縁無き衆生だったのではないか。

 

また安宅は極端に無口で口を開いた場合でも多くを語らなかったので、伊藤ですらその場では何を言われているかわからず、後で「ああ、そうか」と気づくことが多かったという。したがって伊藤は自然と安宅の意向を"忖度"するくせがついた。また安宅も自身の無口をわかっており、大事な交渉などには伊藤を"通訳"として同伴した。
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例えば、安宅コレクション中でも一・二を争う銘品といわれる油滴天目茶碗(国宝)というのがある。この茶碗を収集したときのエピソード。天目茶碗の名物といえば第一に曜変天目(黒い釉面に斑紋が現れ周囲が虹色に輝く)だが、これは原産の中国にも存在しない代物。世界中でも日本にある3点(静嘉堂文庫、大徳寺、藤田美術館)しか現存の確認がされていない(3点とも国宝)※1。さすがの安宅も美術館にある品物は入手できるはずもなく、次に銘品といわれる油滴天目茶碗に狙いをつける。油滴天目といえども個人蔵でなければ移動はしないので持ち主は限られる。

 

この油滴天目は豊臣秀次の旧蔵で西本願寺、三井家と渡り当時は若狭の酒井家にあった。紆余曲折の後、酒井家の当主とパレスホテルで会見の運びとなる。伊藤を連れて赴いた安宅だが、対面しても一言も発しない。まだ最終的に譲り受ける確認をしていないので先方の意向を問わなければならない場面である。息詰まる緊張の後ついに安宅は「何とかお願いしたいと…」と口ごもるように切り出す。「安宅さんでしたら」
と受けた酒井家当主だったがそれ以降安宅はまた沈黙する。仕方がなく伊藤が価格のお伺いなどを立てて交渉をまとめたという。

 

安宅産業をモデルにした松本清張の「空の城」には、安宅のモデルである人物が会社所有の美術品を自分の家に持ち込んでしまうさまが描かれている。そう聞くとさぞ安宅の周囲にはこうした逸品がところ狭しと並べられていると思うかもしれない。しかし、安宅が住む東京の"寮"には一切そうした装飾はなかったという。もともと「おかね」という割烹旅館を買い上げたので、女将が用意した安物の軸に花瓶もふつうの家庭で使うようなものだった。前述した周到な用意の収集品のプレゼンテーションもこうした部屋で行われたという。

 

同じやきものの審美眼を謳われた青山二郎と真逆である。青山は大金持ちの父親から援助を打ち切られて手許不如意なときでも、文庫本や借金のノートを自ら装飾して楽しんだという。また、どんな安アパートに住んでも家具調度や食器類はひと目見てわかる美術品で揃えており、「二郎の部屋」にしたという。つまり、生活に美がなければいられないたちだったのだろう。
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安宅コレクションのこの李氏朝鮮時代(16世紀)の壷は青山二郎旧蔵であり、安宅と二郎の美意識が交錯する唯一の作品である。二郎によって「白袴」と銘された。中国陶磁のように完璧な形ではないのだが、均整はとれている。いわばその均整が破れそうな危ういところが魅力なのかもしれない。

 

安宅コレクションは総数1000。名品揃いといわれるが、伊藤は「中には『何でこんなものが?』といわれるものも入っている」という。売買の条件に「揃いで」と指定されることもあり次を期するために買ったものもあるからだ。「安宅コレクション」の名に恥じないものは今回の展覧に供する約300点であり、すべてを見せないからこそ
「安宅コレクション」の盛名があるのだともいう。(たぶん外されている品物も「何でも鑑定団」あたりに出せば、「名品です、まさにお宝ですね~」といわれるに違いないのだろうが…)

 

安宅コレクションが住友から大阪市に寄贈され東洋陶磁美術館ができた後、伊藤が安宅を連れて行ったときのこと。車椅子を押しながら「あれほど一生懸命お集めになったコレクションが人手にわたってさぞ気をお落しでしょうと気遣ってくださる方が多いんですよ」と言う伊藤に安宅は「コレクションは誰が持ってても同じでしょ?」
と不思議そうに応じた、という。安宅にとってはコレクションとは精神でつながっており、身近に置かずともあるいは自分のものでなくても構わない心境に至っていたのだろうか。

 

※1.静嘉堂文庫とは三菱財閥の収集品を蔵する美術館。曜変天目茶碗は一度見に行ったことがあるが、茶碗の中に宇宙があるというような感じのイメージだろうか。これを和室でひとりで触りながら鑑賞できればもっと趣き深いのだろう、とは思う。

 

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静嘉堂の曜変天目茶碗