で、あるか
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「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 すはりしままに食うは徳川」という狂歌にあるように、天下統一の青写真を描いたのは織田信長だった。しかも信長は、中世と袂を分かち、武家社会の棟梁であった将軍さえも自分の道具として使った節もある。また、徹底した合理主義者でもあり、当時の権威かつ畏怖の対象でもあった仏教寺院や僧に対してもまったく容赦がなかった。また、宣教師の目に映る信長は、日本のみならず国際社会まで視野に入れていたやうだ。この天才を理解するよすがとなるような本をみてみることにしよう。
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国盗り物語-織田信長-〈前・後編〉 司馬遼太郎 新潮文庫
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まず、読みやすい小説で信長を俯瞰してみる。司馬遼太郎の本は文庫本2冊とコンパクト。「国盗り物語」は文庫本で4巻だが、最初の2巻が斉藤道三編、後半が織田信長編となっている。信長が道三の精神的後継者という立場で書かれており、道三の縁戚でもあった明智光秀も全編にわたって登場する。「司馬史観」ともいわれる作家の想像力が遺憾なく発揮されているが、信長当時の社会情勢の認識もできる。織田信長編の2巻だけでも独立して読める。
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下天は夢か1~4 津本陽 講談社文庫
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司馬信長があまりにも簡潔過ぎると思う場合は、こちらをどうぞ。司馬信長の種本「信長公記」に+「武功夜話」も使っている。司馬本が信長が道三の後継者で正妻濃姫と仲睦まじいとするのに対し、津本本では濃姫とは単なる政略結婚であり側室であった吉野に心を許したとする、などと色々と違いもある。
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信長公記 太田牛一 新人物往来社
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信長にまつわる本は数々あるが、大きく分けると種本は3つ。「信長公記」「武功夜話」「フロイスの日本史」であろう(小瀬甫庵の「信長記」は虚構が多く、"ぉ話"であるらしい)。「フロイスの日本史」は、後述するとして、「信長公記」は数多くある「信長本」に影響してないものは皆無といってよい信長に関する基本書。(「武功夜話」は様々な傍証により、偽書に近いのではないかと言われている)。著者太田牛一は信長の家臣で、秀吉の命により牛一の日記を元に書かれたのが本書といわれる。

 

例えば、「信長は"うつけ"と言われた」「父親の葬儀に抹香を投げた」「道三との会合で見事な変身をした」などの逸話はすべて本書からであり、有名な「デ、アルカ」もここから出ている。牛一は家臣だったので信長と面識があり、それが本書の紙価を高めている一因でもあろう。なお、ネットでも町田本で「信長公記」全文を読むこともできる(冒頭部分は現代語訳もある)。
※「信長公記」は本書だけでなく種々の版があるが、入手しやすそうだったので代表させた。
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回想の織田信長 フロイス/川崎桃太、他訳 中公新書
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「信長公記」の太田牛一と同じく、信長と面識がある者の記録がある。しかも、それは日本人でなく外国人。ルイス・フロイスはリスボン生まれのポルトガル人で、イエズス会の宣教師として来日した。1563年来日、日本語を習ったのち1597年に没するまで一時マカオに戻った時期を除き日本に滞在した。イエズス会総長の命により活動の記録を残したものが「日本史」だが、後世に散逸してしまい、今に残るのは写本をまとめたもの。

 

フロイスの「日本史」は宣教師による記述なので、キリスト教を至上のものとするバイアスがかかっているが、西洋人の眼から見た当時の日本の記録として貴重なものである。つまり、当時の日本人が当然として書き残していないモノについても残してくれているのだ。フロイスの記録によって信長が中世に在りながら、近世の合理性を持っていた稀有な人物であったことがわかる。

 

「日本史」は中公文庫版で12巻という浩瀚な書であるが、「回想の織田信長」は、「日本史」から信長に関する記述だけを抜き出したもの。現在は絶版らしいが、別に希書というわけでもないので探すのは容易なはずだ(あるいは中公文庫版の「日本史」の最初の3巻をみてもよい)。
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信長 秋山駿 新潮文庫
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文芸評論家が書いた信長論。上記種本の他、「プルターク英雄伝」や「ナポレオン言行録」など、西洋古典の英雄と比較して信長に迫る。天才という意味では、モーツァルト、ゴッホ。将帥として、カエサル、ペタン、ド・ゴールなどと比較するなど、引用は様々な古今の書物からなされる。文芸批評というものが如何になされるかの実例としても興味深い。野間文芸賞、毎日出版文化賞受賞
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信長とは何か 小島道裕 講談社選書メチエ
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著者は中近世史専攻の学者。本書によれば日本には15世紀前半に経済的にも社会的にも大変動が起きたという。それは荘園制中央集権体制の崩壊と、地方経済の発達であり、その果実を求めて争ったのが戦国時代だとする。そして、われわれは信長・秀吉・家康の系譜を重視するあまり、信長が打ち出した武家による中央集権制を既定路線とみてしまう(確かに信長以外に上京を求めた武将はいない)が、イタリアやドイツのように小国乱立の可能性もあったと説く。

 

他にも「桶狭間の戦い」の桶狭間はじつは山であり、今川義元が狭隘な低地に陣を構えていたのではなく、山の上にいたにも関わらず寡少な兵力で下から攻めた信長が勝ったのは僥倖に過ぎないという。(上に挙げた司馬本では、桶狭間ではなく田楽狭間という盆地が戦場だとし、津本本では定説通り桶狭間は狭隘な低地だとなっている)著者は城郭・城下町の専門家でもあり、信長の町づくりについても詳述する。ある程度信長についての知識があった方が面白く読めるだろう。