原作はCIA工作員の回顧録「CIAは何をしていた?」(ロバート・ベア/新潮文庫)。製作総指揮のソダバーグは「トラフィック」でアカデミー賞をとっており、監督のギャガンも脚本賞を得ている。いわば、「トラフィック」組による映画。
中東の石油利権を巡り、CIA工作員、中東の王族、アメリカの大手弁護士事務所、石油資本、資源アナリスト、イスラム神学校生徒、日雇い労働者、など様々な人の思惑が交錯し、伏線として絡み合う。したがって、この方面に関心が薄い場合は物語の展開にやや途惑うかもしれない。
原作では、CIA官僚と工作員の軋轢がより記されている。湾岸戦争以降兵器のハイテク化が進み、非軍人の高官が「ピンポイントの戦争」を机上で進めようとするのに対し、軍人が安易な出兵を戒めるような気運があるらしい。CIAでも、ハイテクやインターネットによる情報収集を重視する余り、人的情報(ヒューミント)を蔑ろにする傾向がみられるという。しかし、「ブッシュの戦争」(ボブ・ウッドワード/日本経済新聞社)にもイラク戦争の開戦時期の決定要素のひとつには現地のCIA工作員がいつまで情報源を確保しておけるか、が入っていたとある。となると、比較の問題であり全く顧みられていないということではないようだ。
「シリアナ」では、原作よりも少し大きな俯瞰的見方をする。複数のストーリーを配することにより、国と資本、あるいはそれぞれの個人の動きが全体を形づくる"現実"を構成しようとしているのであろう。いわば、そこには全てを見通す「神」はいないわけである。(通常の映画では、観客が「神」の視点を持つことが多い)
映画では、観客をスクリーンに感情移入させるため色々な要素を入れる。それが演技であったり、ストーリーであったりするわけだが、一番重要なのはディテールではないかと思う。
映画の冒頭、南アジアのどこかで男たちがバスに乗り込むシーンがある。パキスタンの男たちが、職を求めて同じイスラム教国である中東に出稼ぎに行くのだが、このバスのメーカーがTATAであった。TATAとはインド最大の財閥であり、商用車では世界6位のメーカーだが先進国ではほとんど使われていない。つまり、TATAのバスを配することで説明せずとも地域がわかる仕掛けになっている。
The New Republicという週間論説誌の記者Stephen Glassの書いた、「Hack Heaven」という記事を読んだForbes誌の記者が裏づけをとったところ、記事中の人物や会社がまったく見つからない。そこで、NewRepublicに照会してみるが、一向にまともな回答が返って来ない。それもそのはず、「大手コンピュータ会社が、システム侵入した15歳のハッカーを、あべこべにセキュリティーコンサルタントとして高給で雇った」という話は、Glassが捏造したものだったからだ。
それだけではなく、過去にGlassが書いた40余りの記事のうち、半数以上が何らかの捏造を含んだものと判明する。このNew Republic誌が存亡の危機に追い込まれた捏造記事事件の実話を映画にしたのが本作である。
DVDにはオマケとしてアメリカの報道番組「60minutes」(TBSの「報道特集」みたいなもの)に出演したGlass本人のインタビューがついてるが、確かに口の上手い鵺のようなひとであつた。事件当時のNewRepublic誌の同僚のひとりがインタビューの中で、「天気がいい日にGlassとふたりで歩いていて、彼が『今日は晴れだね』と言っても、ふたりの人間が『晴れてる』というまで私は信じないだろう」というくらいである。
たしかに私がブログ゙で完全なる捏造記事を書いても、何人かは調べずに信じてくれるだろう。この世の中は、知り合いやある程度の権威の発言を信じて自分で調べないひとで満ちている。ゆえに、ジャーナリスト
は取材と表現の倫理について厳しく制約される。あるいは学者は、資料の調査法や論文の書き方のイロハを学んでのちに研究者として立つ。
は取材と表現の倫理について厳しく制約される。あるいは学者は、資料の調査法や論文の書き方のイロハを学んでのちに研究者として立つ。
しかし、その上でなお、この映画のような事件や、記憶に新しい藤村新一の旧石器捏造事件は起る。そして、ネットの情報はフィルターが無きに等しいため、玉石混交であって各自の眼力が試される。おのおの方、「サークルKがアメリカに進出!」に騙されない自信はぉありですかな…

