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Irish Timesくんがぉ記事を書いていませ。

フランス敗退の原因ともいわれるワールドカップからの追放のもととなったフランスのキャプテン、
ジネディーヌ・ジダンが、イタリアのミッドフィルダー、マルコ・マテラッツィに頭突きをしたほど激怒
したのは、このイタリア人が何を言ったからなのだろう?

昨日、少なくとも3種類のマテラッツィが言ったとされる侮辱がかけめぐった。ジダンの代理人、
アラン・ミグリアッチオは、「彼は挑発された」と主張したが、「マテラッツィが何を言ったのか明ら
かにはしない」と言った。それでも、日曜の決勝で「なぜ彼がそのような行動に出たか、は数日の
うちにジダンが説明する」と約束した。

反差別グループ、"SOS‐Racisme"は、「サッカー界の信頼できる複数の筋によれば」、マテラッツィ
はジダンを「汚いテロリスト」だと呼んだという。マテラッツィは昨夜、この発言を否定したという報道が
流れた。ジダンの両親は、アルジェリア移民であり、自身も反差別キャンペーンに参加している。

ブラジル紙"Globo"は、耳と口が不自由で読唇術に長けた3人のティーンにビデオをみせた。彼らは、
マテラッツィが下品な仕草のあとに、「Tua sorella è una puttana」(おまえの姉貴は売春婦だ)と言っ
た、と思っている。フランスのウェブサイト"Sport.fr"もジダンに近い情報筋からこれを確認した、という。

BBCの"Newsnight"は昨夜、マテラッツィはジダンの家族の死を願い、冒涜とともに払いのけたと報道
した。ジダンの母親は決勝の日、入院していた。別の報道ではマテラッツィは、「オレは昨夜、おまえ
のお袋と寝た」と発言したという。

フランスのコメンテーターの間では、頭突きをジダンの人情としてまだ英雄とみる者と、いいわけのでき
ない自制心の欠如、とみる二つに別れている。

シラク大統領は、前者に属する。昨日、大統領夫妻はフランス代表チームと妻たちをエリゼ宮の昼食会
に招待した。大統領は、「親愛なるジダン、あなたのキャリアで最も厳しく、たぶん最も難しいこの時に、
国全体の愛情と賞賛を伝えたい。あなたはサッカー界の巨匠であり、天才である。同時に暖かい心を持ち、
責任感と信念の人である。だから、フランスはあなたを愛し敬う」と述べた。
http://www.ireland.com/newspaper/front/2006/0711/4284085450HM1OFFLEAD.html

ジダンがにゃにを言われたかについては、どちらかが明らかにすない限りわからんでせう。"マテラッツィ
暴言説"も"ジダンじつはキレやすい説"もありませね。んが、やぱり"先に手を出したらダメ""度を越した
暴言はダメ"という当たり前のことですにゃ。

ついでに言っちゃうと、フランス代表チーメは1994年アミリカ大会の出場を逃したため、それまでの白人
主体の構成をやめ、移民や旧植民地系のぴと、つまり有色人種をチーメにいれたのですた。

目に見えて有色人種が多くなった代表チーメに対し、右翼を中心とすた勢力からは批判が続出、当時の
エメ監督には脅迫が相次いだといふ。んが、1998年大会でフランセは初優勝。こういうぉ声も少しトーン
ダウンしたのでした。(んが、同じように植民地をぉ持ちだったエゲレス代表と比べても、比率がだいぶ
違うわねぇ…、と思ったのは事実であった)

というわけで、アルジェリア移民系であるジダンはこうすた問題の中心にもいるわけだにゃ。また、セリエA
では、黒人選手がボールを持つと相手サポーターが"猿の鳴き真似"をするなどの人種差別事件が勃発す
てゐる。FIFAが準々決勝から「反人種差別」を表明すたのも、「おい、FIFA!おまえが何とかしろ!」といふ
声が大きくなったからであった…。

さて、とうとうワールドカッペも終わりますた。イタリアが4回目の優勝を飾り、ブラジリの5回に迫っておりませ。
1958年のスウェーデン大会を除いて、「アミリカ大陸では南米チーメ、ヨーロッピでは地元の優勝」は揺るが
にゃかった…。んが、次回、2010年は南アフリケ…、どっちに優勝が行くかわからんのであった。

そすて、ジダン、中田、ロベルト・カルロスが引退を表明。デル ピエロ、フィーゴ、ロナウドも次はないだろうと
言われておる。また、ベッカムもキャプテンを辞任、一選手として代表に選ばれることを求めているらし~。

んが、去り行く者がいれば、新しく出てくる者もゐる。

フランク・リベリー(フランス/マルセイユ)、C・ロナウド(ポルトガル/マンチェスター・U)、アーロン・レノン
(イングランド/トッテナム)、バスティアン・シュバインシュタイガー(ドイツ/バイエルン・ミュンヘン)、
リオネル・メッシ(アルゼンチン/バルセロナ)など、次回南アフリケ大会の主役になるであらうぴとたちの
登場もあった。

そすて、ドイツ大会で一躍名を挙げたのが、ニポンの上川徹と広嶋禎数の審判くん。ニポン代表よりひと足早く
3位決定戦にお出ましになられますた。

すかし、ワールドカッペ期間中で一番有名になったのは、もろちん!!ぴゃ~先生であった♪

ぴゅ~「先生…」