静志郎さんからいただいたのは「指定型バトヌ」。「やはりバトンの最終走者、バトンのペレと
いはれる大王にお持ちしなければ話になりません」といふ卓見とともにぉ持ちいただきますた。


"バトン王""バトンの神様""バトンのペレ""バトンのゴール""最終走者"ともいわれるアタチが軽くこなし…
と思ったら、ぉ題が「ぴと」という難しいものですた。

くるくる程度には、「KU」といふ軽いぉ題でせが、さすが天地玄黄バトヌ王には至難ともいへるお題だにゃ。
すかし、ここは逆に単簡に考えませよ~♪


☆最近思う『人』は?

福田麻由子(1994-)
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成海璃子(1992-)
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子役から大成して、大女優になったぴとってゐるでせうか?
高峰秀子やジュディー・ガーランドはさすがに同時代でないし、思いつくといえばジョディー・フォスター
くらいかつら。

どうも、子役出身のぴとは、
*大きくなったら「え!?」というお顔に…→斉藤こず恵、中山千夏
*大人?→安達祐実、エマニエル坊や(男子か…)
*途中まではいいんだが?→杉田かおる
*大女優か?→中嶋朋子、小林綾子

などという傾向がありませね。

んが、この二人は順調に育っていただきたい、といふ思いをこめてエントリ~。



☆この『人』には感動
「感動」っていうのは難しいので"尊敬"くらいで、
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Paul Mellon(1907-1999)
メロン財閥の3代目に生まれたポールは、メロン系企業の経営者をつとめるが、財務長官などを歴任した
父アンドリューの死後は、経営の第一線からは身を引く。その後は慈善活動を中心に行い、特に、父アン
ドリューの寄付をもとにつくられたワシントンD.C.のナショナルギャラリーには、1000作品以上を寄贈したという。

ナショナルギャラリーは、本来なら"メロン美術館"と命名されて当然なのだが、「あくまでも首都に国立美術館
が必要だ」というアンドリューの強い希望であり、また「メロン美術館では寄付する者も限られるだろう」という見
通しでもあった。ポールも父の遺志を継ぎ、生涯ナショナルギャラリーの最大の後援者であった。

また、希覯本の収集でも知られ、イエール大、バージニア大にコレクションが残されている。母親がイギリス人
ということもあり、イギリス絵画の収集でも高名。英国名誉騎士の栄誉にも輝いている。

生涯の寄付総額は1000億円以上ともいわれる。生まれと育ちにふさわしい人格と教養は深く敬愛され、「理想的
なパトロン」といわれた。カール・ユングの後援者でもあった。

王がゐない国で、ポールや妹アイルサの元夫であるDavid K.E. Bruceは、"貴族"だと思われていた。富だけでは
ない、ぴとにそう思わせる"何か"があったのであらう…。

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谷崎潤一郎(1886-1965)
いうまでもなく昭和以降最大の文豪。耽美主義、マゾヒズム、残虐性、ロマン趣味、幻想趣味、エロティズム、
女性崇拝というテーマが芸術として昇華し、晩年に至るまでその創作意欲と質は衰えなかった。

生涯3度の結婚をするが、最初の妻を友人佐藤春夫に譲った「細君譲渡事件」はスキャンダルとして有名。
3度目の妻、森田松子姉妹を描いたのが「細雪」である。

ボキが谷崎をスゴいと思うのが、その文豪といわれるにふさわしい生活である。妻の姉妹やその家族までを
扶養しつつ、関西から鯛などを送らせるような贅沢。しかも、それを支える老年にも関わらず衰えない創作意欲。

義理の娘、渡辺千萬子によれば「瘋癲老人日記」もほとんど本当の話であり、松子夫人の主語と句読点
のほとんどない文章から、新しい文体を思いつくなど、女性を愛し女性から愛された一生であった。
うらまやすい…



☆直感的な『人』
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小泉純一郎(1942-)
このぴとほど政治的直感力が鋭いぴとはをらません。長期政権をまっとうすたぴとは、皆さんそうなのですが、
このぴとは特別。自民党総裁選3度目にして総裁に就いたあとは、政局に勝ち続けています。これはほとんど
奇跡に近いといえましょう。

今国会だけみても、3点セット・4点セットで危ないはずが「永田自爆テロ」で、逆に民主党が崩壊。皇室典範
改正問題で危うし、と思えば秋篠宮妃殿下のご懐妊発表で下火に、と強運の持ち主でもあらます。

小泉政治についても、マクロでみれば「ケインズ型内需刺激」から、「ハイエク型市場重視」への転換への突破
口を切り開いた、とすて歴史に残るかもしれません。とにかく、郵便・建設などという旧来の自民党支持層を破
壊する施策を次々に行い、変形であっても小選挙区制に伴う、「党中央・政策重視」選挙の先駆けをなした、
ともいえるのよん。

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青山二郎(1901-1979)
麻布十番付近の大地主の家に生まれた二郎は、装丁家、美術評論家とされるが、「何者」ともいえない不思議
な人生を送った。小林秀雄、中原中也、河上徹太郎、大岡昇平、永井龍男などと交友を持つ。二郎は周囲から
骨董の師匠といわれ、その集まりは「青山学院」と呼ばれた。白洲正子はその最後期の弟子にあたる。

小林秀雄に、「僕たちは秀才だが、あいつだけは天才だ」といわしめ、自分の美意識だけで集めた美術品を愛し、
「人が覗たれば蛙に化れ」と囁いたという。結婚離婚を繰り返し、妻の中には地唄舞の武原はんもいた。

「俺は日本の文化を生きているのだ」といい、その美意識は誰も超えられなかったが、生涯働いたことはなく、
装丁にせよ、文章を書くにせよ、したいことだけしかしなかった。当時、誰も見向きもしなかったものでも二郎が
賞揚したものは後に認められたものが多いという。

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安宅英一(1901-1994)
安宅産業創始者、安宅弥吉の長男に生まれる。父は英一でなく、次男の重雄を後継者に指名するが敗戦により
経営陣は退陣し社長に就任、ついで会長、相談役社賓となる。所有株式は2%と少数にも関わらず人事権などを
握り、事実上のオーナーとして君臨する。

英一が高名なのは、実業家としてではなく、その類稀なる陶磁器の鑑識眼であった。もともと音楽家を
目指すなど、芸術家気質であった英一は、安宅産業の費用で陶磁器の収集を行った。十大総合商社の10番
目ではあるが、ニポンを代表する企業となった安宅産業の潤沢な資金と、英一の"金持ちの道楽"を遥かに凌駕
する美意識と執念は、世に「安宅コレクション」といわれるようになる。

1977年、安宅産業の破綻に伴い、コレクションも住友銀行の抵当に入る。しかし、コレクションの四散を
惜しむ人々の声に住友グループが応じ、大阪市に寄付。1982年、大阪市立東洋陶磁美術館が誕生する。
「安宅好み」という造語までできたその陶磁器の趣味は、この美術館に結実し、高麗・李氏朝鮮時代の
朝鮮陶磁、中国陶磁を中心に、国宝 2件と国指定重要文化財 13件を含む約2000点のコレクションは英一
の死後も残ることになった。

社費で自分の趣味の収集を世界最大級のコレクションにまでにし、会社破綻後もコレクションの質により
分散を免れたのは、通常の社会通念では許されざる行為が、英一の美意識が卓越していたために可能に
なったということだろう。大阪市立東洋陶磁美術館の現館長は、元安宅産業社員であり、英一の薫陶を受
けた者であることもそれを証明する。また東京芸術大学には、いまでも安宅賞奨学金の創始者としてその
名は残っている。


☆好きな『人』
*163cm以上で明るく元気よく良く食べる知的好奇心のある女子
*163cm以上になる可能性のある女のコ


☆こんな『人』は嫌だ!
叶姉妹
デベ(夫人)・スカルノ
下品なぴとはぉ嫌いです。皆さん時々ぉ間違えですが、気取ってるのと上品は違いませよん。
上品とは、下品になりがちな行為もエレガンテにでけることなのよ。

※上の方々は、下品の国から下品を広めに来たような方々ですので、お気をつけ遊ばせ。

☆この世に『人』がなかったら…
そら、豸苗さんが一番偉いことに…
(マジよ、虎とかライオンさんとかは豸苗さんのぉ仲間ぢゃないの)