芸術かスポーツか?
しかし、荒川の金メダルに瑕瑾をみつけるものもいた。2002年のオリンピック金メダリストのサラ・ヒューズ
は、トリノの観戦記で「誰も生涯最高の滑りをしてはいません。より控え目な決勝戦かしら。でも、オリンピック
が毎回劇的な夜になるわけではない」とコメントを述べ、NYTimesは「誰が金メダルを獲得したか、ではなく、
誰が獲得できなかったか、として記憶されることになるだろう」と書いた。

荒川が批判の対象とされたのは、もっぱら下方修正したコンビネーションジャンプだった。と、いうよりも
ジャンプ以外の要素に非難の余地はないようだった。ジャンプがフィギュアにとって重要な要素であること
はいうまでもない。しかし、ジャンプこそすべてなのだろうか。

じつは以前にも、ジャンプを巡る論議を呼んだ日本人がいた。伊藤みどり※5.は1988年、18歳でカル
ガリーオリンピックに出場。規定では10位だったが、フリーでは3位。技術点は高かったが芸術点が低く
総合5位(入賞)。観客は伊藤の演技をスタンディングオベーションで迎え、メダル受賞者のみ出場できる
エキジビションに参加する名誉を得た。
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しかし、金メダルに輝いたカタリナ・ビット※6.は、「観客はゴムボールが跳ねるのを見に来ているわけで
はない」と、伊藤の演技を批評し、「フィギュアスケートは、芸術かスポーツか」という論争を生むことになった。
(ビットはのちにこの発言を撤回、伊藤の演技を認める)

皮肉にも伊藤が行ったジャンプを中心としたスペクタキュラーな演技は、1998年と2002年のオリンピック
の優勝者に受継がれる。長野でリピンスキーは7回の3回転(うち2度はコンビネーション)、ソルトレーク
のサラ・ヒューズは7回の3回転(3-3を2度)を跳び、優勝をきめた。※7.

トリノの荒川は3回転を5回跳んだが、3-3のコンビネーションは3-2にしたためにひとつもない。アメリカ
などのメディアが「転倒しなかったひとが金メダル」「最高の演技とはいえない」というのは、この"ジャンプ
中心史観"に基づいたものであった。

フィギュアスケートが「芸術かスポーツか」という論争は終わっていない。というより、終わらないだろう。つまり、
フィギュアは「芸術かスポーツか」というより、「芸術」と「スポーツ」のバランス上にある稀有な競技だからだ。
今回われわれはオリンピックで美しい演技を行った日本の選手を得て、金メダルを手に入れることになった。
われわれにできるのは同朋として荒川静香を称えることと、日本が得た唯一の、しかし、多分冬季オリンピック
ではもっとも注目された(もっとも価値があるとは言わないでおこう)競技のメダルを誇りに思うことだろう。
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The Show must go on
NBCのウェブサイトでは、もう「次のオリンピックの優勝は誰?」というアンケートがされている。
それによれば、

キミー・マイズナー32%
サーシャ・コーエン19%
エミリー・ヒューズ17%
浅田真央13%
エレナ・ゲデバニシビリ5%
安藤美姫3%
ミラ・リュン3%
その他9%

という結果になっている。アメリカの眼は、すでにコーエンでなくマイズナーに注がれている。マイズナー
も浅田も同様にトリプルアクセルを跳べる数少ない女子選手のぴとりだ。
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浅田はジュニア選手権2連覇を目指すだけでなく、4回転ループに挑戦すると語った。もちろんこれは
女子では初、実は男女問わず試合で跳んだものはおらず、難易度では安藤美姫が成功した4回転
サルコーより上だ。※8.

荒川の金メダルが決まったのち、バックステージで祝福する人の輪にはその安藤美姫もいた。安藤は、
「4回転に挑戦できて嬉しかった」と語ったが、次のオリンピックが約束されたわけではない。バンクーバ
ーに安藤の姿があるとすれば、トリノのような荒川と村主というオリンピッケ経験者のメダル本命候補に
続く、二番手ではあり得ないはずだ。

オリンピックで自己最高の4位にはつけたが、点が伸びず直後インタビューで涙を見せた村主章枝は
閉会式を待たずに帰国した。世界選手権の準備のためだという。
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ケガと練習というギリギリの日々を繰り返して目指したオリンピックは終わったばかり。にも関わらず村
主は、競技翌日のインタビューで「バンクーバーを目指す」と明言した。荒川より一歳上、スルツカヤや
荒川だけではなく、コーエン、ロシェットまで飛び越えてしまう観のあるバンクーバー。とくに浅田をは
じめとする有望選手がひしめき合う日本からのエントリーは、困難を極めるに違いない。

さて、上のNBCのアンケートには、次の開催地バンクーバー出身のミラ・リュンの名前が出ている。カナ
ダの女王、オリンピックでも5位と健闘した20歳のジョアニー・ロシェットをおさえてのエントリーだ。リュン
の演技は、同じ16歳のゲデバニシビリ(10位)と並んで次の世代の台頭を予感させる弾むようなバネが
印象的だった。
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安藤が荒川をバックステージで祝福した直後、TVカメラは少し離れてその光景を笑顔で見つめるミラ・
リュンの姿を映していた。憧れと羨望が混ざったその笑顔は、メディアの評価とは関係なく選手たちに
とって荒川がフィギュアの女王の座についたことを物語っていた。

そして、物語はさらに続いていく、



※5.伊藤みどり-アルベールビル五輪銀メダル。全日本選手権8連覇、世界選手権優勝。世界選手
権では技術点で9人中5人の審査員から6点満点を得る(荒川のときは満点はひとりだけ)。前述した
ように、女子ではじめてトリプルアクセルを跳ぶ。練習では4回転も跳んでいた。
※6.カタリナ・ビット-(Katarina Witt)1984年、1988年と2回連続オリンピック金メダル。4回の世界選
手権優勝。6回連続ヨーロッパ選手権制覇など、80年代の女王。美人選手としても有名1998年にPLAYBOY
誌でヌードになったときは、PLAYBOY誌二度目の売り切れになった。
※7.ヒューズの演技-NBCのオリンピックサイトでは、サラ・ヒューズの演技をビデオで観ることができ
る。下のURLから「VIDEO」を開け、左のFIGURE SKATINGをクリックし、下方に出て来るリストから選ぶ。
http://www.nbcolympics.com/figureskating_ladies/index.html
私の主観だがヒューズのジャンプはたしかに素晴らしぃ、しかしその他の演技は、銀だったクヮンの方が
遥かに上(クヮンは一度転倒している)。新採点方式だと、ヒューズのようにジャンプに間合いが必要
だと厳しくなるだろう。
※8.4回転ジャンプ-安藤美姫が4回転サルコーを公式競技の場で成功させているのは、2002年の
ジュニアGPと2003年日本ジュニア、全日本選手権の計3回。つまり2004年以降は試合では成功して
おらず、アメリカのメディアでは一部「元4回転ジャンプ選手」と名づけるところもある