Ina Bauer
荒川静香の代名詞ともなったイナバウアー※1.得点にはならないが美しいプログラムにしたいという彼女の思いと相まって、今や日本中で知らないものはいなくなった。
イメージ 1

左がパトリシア・ネスケ(ドイツ)、右が荒川静香。両方ともイナバウアーの演技中。もう連日のTV解説などでご存知の方も多いだろうが、荒川のは、レイバックイナバウアーともいうべき進化技であり、たんなる足技を超えている。荒川がはじめて試したのは、小学校3年生のころだったという。ここで、少し荒川静香のこれまでを振返ってみよう。

 

天才少女と呼ばれて…(ん?)
荒川静香は5歳でスケートをはじめ、9歳で3回転ジャンプを覚える。1994、95、96年と3年連続して全日本ジュニアを制し、天才少女と呼ばれた。

 

荒川の父は、「娘が上達するかどうかは心配なかったが、金銭的負担に耐えられるかが心配だった」と述懐する。荒川の父はNTT社員であるがしょせんはサラリーマン。たとえば、年に4~5足履き潰すというスケート靴は、1足15万円はする。いくら荒川がひとり娘といっても家計に与える影響は、それなりにあったに違いない。荒川の母は、今でも履き潰した靴を捨てずにおいてあるという。靴や他の品々、それらはたんなる「想い出の品」というだけではないのかもしれない。
イメージ 2

1997年には全日本選手権に優勝、98年の長野オリンピックには日本からただひとり選出されるが、13位に終わる。東北高校時代、さまざまな大会で好成績をあげ全校生徒の前で表彰されることも頻繁だったが、本人は嫌がったという。次のソルトレークオリンピック代表には選出されず(村主が5位、恩田が17位)。

 

世界選手権優勝
早稲田大学に進学。4年時に出場した世界選手権で、3ルッツ+3トゥループ+2ループ、3サルコウ+3トゥループのコンビネーションジャンプを決め、優勝する。荒川本人はこの世界選手権の滑りは、トリノのフリーよりも満足のいくものだったと述懐。「いつまでも滑っていたかったといえば、こちら」だという。
イメージ 3

この満足感からスケートに対するモチベーションは失せる。「世界選手権で優勝したから、いいだろうと思ったら、皆が『オリンピックだね』というので、あれ?と思った」と発言、「トリノは次の世代の人たちのものだと思ってました」とも言う。

 

トリノの金・銀・銅の受賞者の年齢はたしかに、24・21・27と20代だが、ソルトレークでは、16・23・21、長野では、15・17・22と、10代が多い。長野での荒川は受賞者たちとほぼ同年齢であり、ソルトレークが最後のチャンスだと思っていたとしても不思議ではない。

 

また、荒川は「スケーターとしては、一番ふつうに高校生活を送ったと思う」と自負するように、客観的な視点を持っており、大学卒業時も「みんな就職するのに、自分はスケートばかりやっていていいのだろうか?」と悩んだという。そうした眼から見れば、世界選手権で区切りをつけ第二の人生を考えようと思うのは当然だったのかもしれない。

 

そしてこの頃、フィギュアスケート界にも荒川にとっても大きな出来事が起こっていた…。

 

ソルトレークスキャンダル
荒川が代表に選ばれなかった2002年ソルトレークオリンピック。フィギュアスケートペアの競技で事件は起こった。ロシアのエレーナ・ベレズナヤ/アントン・シカルリドゼ組は、ショートプログラム終了時点で首位。しかし、ファイナルのダブルアクセルでよろめいてしまう。それに対して完璧と見られた演技のカナダペア(ジェイミー・サレ/デービッド・ペルティエ)だったが、審査は5対4でロシアに金メダルを与える。観客とメディアは圧倒的にカナダ組を支持したが、カナダは銀を受取り騒動は終焉を迎えるかにみられた。
イメージ 4

しかし、フランス人審査員の告白が、事態を再度紛糾させる。フランススケート連盟会長から、ロシアペアを勝たせるようにプレッシャーをかけられていたというのだ。それは、数日後に行われるアイスダンスでのフランスペアへの採点と引替えだったという。(フランススケート連盟会長は否定)

 

国際スケート連盟(ISU)は、審査に関し内部調査を行ったのちIOCと合同会見を開く。カナダ組に金メダルを与え、フランス人審査員を役職停止にするという結果だった。しかし、ロシア組の金メダルもそのままとなり、金メダルが二組出るという奇妙な幕ぎれとなった。
イメージ 5

この騒動はフィギュアスケート界に大きな波紋を投げかけた。一時は連盟の分裂にもつながりかねなかった事態の正常化をはかるため、ISUはより客観的な新採点法を導入することに決定。

 

新採点システム
それまでの採点は6点満点で、審査員がそれぞれ技術点(Technical Merit)と表現点(PresentationまたはArtistic Impression)をつけた上に、順位点をつけるという相対的なものだった。ほとんどの審査員は、順位をつけてから点数をつけている、といわれていた。

 

ソルトレークの反省に立ち、より絶対的な採点システムを指向した採点法はこう変わった。まず技術点は、技術審判が基礎点を認定。演技審判が演技点を加算する。旧採点では何をどのように評価するかは各自にまかされていたが、新採点法では技術要素については配点が決まっており、難易度も設定されている。

 

そしてプログラム構成要素が構成点として加算される。最後に違反や転倒を考慮して減点がある場合も。新採点法では、ジャンプの回転数などが厳格に判定されるようになる一方、難易度の低い技は基礎点がないなど問題点もある。また、競技の性質上構成点は基本的には主観に基づいたものである。しかし、旧採点法にくらべれば飛躍的に客観性は増したといえよう。※2.

 

この新採点方式は、2003年のグランプリシリーズ、世界選手権は2005年から、オリンピックはトリノから適用されることとなった。荒川が優勝した2004年の世界選手権は、最後の旧採点によるものだった。

 

代表になれるのか?
新採点方式は、それまでフリーでは30秒程度にとどめられていたスピンの時間を1分は必要とし、プログラムの構成を変化させるものだった。一方、荒川が得意としていたレイバックイナバウアーが得点には影響しないなど、荒川にも大きな変化を求めるものだった。

 

世界選手権に優勝したものの、一度モチベーションをなくした荒川に2005年のシーズンは厳しいものとなった。グランプリシリーズでも得点は3番手となりながらも、3位以上の順位はなく、GPファイナルで日本人選手がそろって表彰台に上がればトリノの代表が決まってしまうので、引退か?などと噂された。

 

スランプとも言われたが、荒川本人にとっては新採点システム下で点数が思うように伸びないという意識もあったようだ。たとえば、ジャンプでも回転数が不足すれば、本人が3回転と思っても認められずに2回転の基礎点しか出ない。得点を重ねなければならない、ということも制約としてうつったに違いない。

 

意外とも思えるが、ジュニアのころの荒川は「ジャンプは上手だが、芸術点が」と思われていた。荒川のジャンプは高くはないが、定評がある。2004年の世界選手権でも3-3-2や3-3のコンビネーションジャンプが優勝のカギだった。

 

しかし、新採点システムでは着氷に失敗すれば3回転が2回転に評価され、そのうえ転倒でもあればマイナス点がつけられる。今までもそうだったが、新採点システムのもとでのジャンプは、いっそう諸刃の剣となって選手に向かってくることになった。

 

心機一転
荒川は新採点方式に適応し、得点を重ねるために技を磨く。それまで苦手だったビールマンスピンにも挑戦した。後ろへ足を上げることが不得意だったという荒川は、間に合わないと思ったビールマンスピンを5ヶ月かけて自分のものにした。

 

そして2005年11月のGPシリーズののち、タラソワコーチのもとを離れる決意をする。タラソワは指導した教え子の獲得した金メダルがヨーロッパ選手権と世界選手権あわせて40以上、オリンピックの金メダルも10に届くといわれ、世界一の"チャンピオンメーカー"として知られていた。荒川の世界選手権の優勝もまたタラソワコーチのもとだった。
イメージ 6

代わって荒川が指導を求めたのは、ニコライ・モロゾフ。ソルトレーク金メダルのヤグディンの振付け師として知られるモロゾフは、2004年の世界選手権の振付けも行っていた。変更の理由を荒川は、「指導するときに実際に滑って教えてくれるコーチが必要だった」とNHKの番組で語った。一方では、有名なコーチであるタラソワは、多忙を極め以前からキャンセルなどが多かったともいわれる。

 

モロゾフが改良したプログラムの全日本選手権で、優勝は逃す。が、3-3のコンビネーションジャンプの成功や手を離してのY字バランスといった収穫は得て、オリンピック代表に正式に決まる。

 

代表を射止めた荒川は、オリンピック直前の1月、また大きな変化をこころみる。SPとフリーの曲変更である。今までフリーで使っていたショパンの「幻想交響曲」をSP用にアレンジ。フリーには、世界選手権優勝時の曲、プッチーニの「トゥーランドット」を持って来た。

 

フィギュアの選手が、曲目の変更をシーズンなかばで行うことはあまりない。体で覚えた曲を替えることは、結果を考えると困難なことだ。以前使用していた曲とはいえ、オリンピック直前のこの行動に、驚きが走った。


 

※1.イナバウアー-1950年代に活躍したのIna Bauer選手(西ドイツ)が初めた技。片方のひざを曲げ、もう片方の足は後ろに引いて伸ばした姿勢で両足のトウを外側に大きく開いて横に滑るもの(上体をそらす必要はない)
※2.採点法-についての詳細は、フィギュアスケート資料室など。http://www.geocities.jp/judging_system/index.html