NBC
アメリカでオリンピックの放映権を持つのは、3大ネットワークのひとつであるNBC。同局は、2000年シドニーから12年ロンドンまでの夏季4大会と冬季3大会に総額57億㌦(約6700億円)の巨額の放送権料を投じた。 トリノ大会だけの金額でも
6億1300万ドル(約720億円)。NBCは9億ドルの広告収入を予定していたという。
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前述したように、冬季競技の華の女子フィギュアはアメリカでの人気も抜群だ。
2002、1998年と金メダルをとり、1994年リレハンメルでは逃したが、1992年アル
ベールビルでは、クリスティー・ヤマグチが優勝している。

 

記憶にあるかもしれないが、トーニャ・ハーディングとナンシー・ケリガンのリレハンメル五輪代表を巡る争いで、"ケリガン殴打事件"にハーディングが関与していたことが発覚(ケリガンは銀、ハーディングは8位に終わる。このときケリガンの控えとされ、行けなかったのがミシェル・クヮン)するなど、リンク外のスキャンダルや話題も豊富である。
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だが、オリンピックは冷戦時のような東西対決の場ではなくなり、放映内容によっては視聴率は望めない。そこでNBCは生中継をせずに、アメリカのゴールデンタイムに合わせて録画中継で対応※2。また、コーエンとスルツカヤの対決ムードを盛り上げるために、アメリカとロシアの頂上決戦とはやしたてた。

 

NBCは同時にふたりの"物語づくり"も行う。コーエンのケガを克服しての勝利、スルツカヤは母の病気、選手生命を失いかけた混乱と失望。皮肉なのはどちらかといえば、コーエンが北の大地からやってきた体操出身の機械的完全主義者に見え、スルツカヤが陽光あふれるカリフォルニア育ちに見えなくもないことだった。
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しかし、フィギュア放送時点までNBCの視聴率は低迷する。人気番組とはいえ、通常番組であるアメリカン・アイドル※1などに負け続け、フィギュアに期待をかける。アメリカの視聴者もコーエンがアメリカに3大会連続の金メダルをもたらすことを期待し、あるいは女王スルツカヤの有終の美を目撃しようとしたに違いない。フィギュアの視聴率は、今季のオリンピック中継ではじめて、アメリカン・アイドルと接戦を繰りひろげた。
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こうみるとNBCが"物語"をあたえていない荒川静香や他の日本人選手に、アメリカでの放映中に暖かい、あるいは公平なコメントを求めるのは無理だつたのかもしれない。しかし、そのNBCですら代表を3名出せた3ヶ国(米、ロ、日)のうち、日本の選手層が最も厚い、と認める記事をウェブサイトに載せざるを得なかった。


 

最強の"Bチーム"
NBCのサイトで激賞されていた、代表以外の日本人選手とは、日本人として伊藤みどり以来10年ぶりにトリプルアクセル※2を跳び、グランプリファイナル4位の中野友加里。日本選手権のフリーでは浅田真央を凌駕した恩田美栄。ケガで2004-2005シーズンから欠場しているが、2004年四大陸選手権で優勝している太田由希奈。そして、もちろん、ミラクルMAOこと浅田真央だ。
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浅田はよく知られているように、87日間遅く生まれていたためにトリノオリンピック代表を逃している(選考ポイントで最上位)。2005年ジュニア選手権で優勝ののち、シニアデビューを果たすと、初戦の中国杯で荒川をおさえスルツカヤに続く2位。フランス杯ではコーエンと荒川を凌ぎ初優勝。出場権を得たグランプリファイナルでは、今度はSP・フリーともスルツカヤを上回り優勝に輝く。つまり、2005年のシーズンに限れば、浅田はトリノオリンピックのメダリストと争って全員の上に立っており、スルツカヤ以外には負けてすらいない。(スルツカヤ自身は、負けを認めていない様子であるが)

 

浅田が凄いのは、それだけではない。女子では伊藤みどり、トーニャ・ハーディング、中野友加里、それにごく最近キミー・マイズナーだけが跳んでいるトリプルアクセルを成功させているのみならず、2005年の日本選手権では、女子では世界初となった2度のトリプルアクセルをきめている。


 

真央ちゃん出場=金メダル?
では、浅田真央がトリノオリンピックに出場していれば、荒川をおさえて金メダルだったのか?当然スポーツ、それも競技の世界に"たら、れば"はあり得ない。技術と体力だけではなく、コンディションや審査などさまざまな要素が加わるからだ。1998年のリピンスキーと2002年のヒューズは若さが良い方に向いた例だろうし、トリノの荒川は経験がものをいった好例だ。

 

しかし、ここに面白いインタビューがある。ノンフィクションライター梅田香子がソルトレークの男子金メダリスト、アレクセイ・ヤグディンに聞いたものだ。ヤグディンはグランプリファイナルでの浅田の勝利に「GPファイナルで浅田真央がスルツカヤに勝ったとき、とても意外に思った。構成要素はともかく、MIFではやはりスルツカヤの方が上だったからだ」と感想を述べている。MIFとは"Move in the Field"の略で、ひとつの姿勢を長く保ったまま滑る状態を維持することをいうフィグアの基本中の基本だ。
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「全日本選手権でも滑りの基本という面では、やはり村主章枝と荒川静香が群を抜いていた。真央は、まだジャンプ以外のパートでは子どもの滑りなんだ」とヤグディンは続ける。

 

荒川と村主の基本的スケート技術の高さには定評がある。トリノオリンピックの国際映像でも、村主の滑る足元をスロー再生で流していたほどだ。ジャンプか総合スケート技術か?スペキュタクラーか美しさか?フィギュアスケートにつねにつきまとうテーマである。これについては、また後にみてみよう。


 

♪頭の中チェ~ック
トリノオリンピックの選手選考にあたり日本スケート連盟が、荒川・村主・安藤の3名をはじめから行かせるつもりだったのではないか、という疑問は常につきまとった。たしかに、シンボルアスリートという名にもとに、チョコレートのCMに出演する3人がもしトリノに行けなかったら大問題となっただろう。

 

前期までのポイントを持ち点とし、2005年のポイントを加算するという方式で行われた選考方式。結果のポイント順は、安藤、村主、荒川だった。「安藤の代わりに中野友加里だったら」という声も聞かれたが、2005年のポイントのみで選考していればどうなっただろう?

 

中野友加里  1700
安藤美姫   1550
荒川静香   1500
村主章枝  1450
恩田美栄   1450
(浅田真央 1950)
2005年のシーズン絶好調だった中野友加里は選ばれるが、外れるのは安藤美姫ではなく、全日本選手権優勝の村主であった…。
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また荒川は、「選考に関係ないひと(浅田)と競うのは、プレッシャーだった」と本音を覗かせてもいる。たしかに、はじめてシニア大会に挑戦するシーズンで負けても失うものはない浅田と、際どい得点争いをしていた他の選手とではまったく立場が違う。荒川と中野の差は、2000点台の争いでわずか17点。安藤ではなく、荒川の代わりに中野が代表に選ばれる可能性は、充分あったのだ。


 

※1.アメリカンアイドル-2002年からFOXテレビで放送されているアイドルオーディション番組。視聴者参加型で、育成シュミレーションゲーム感覚で人気が高い。イギリスの「ポップアイドル」のアメリカ版で、カナダ・オーストラリアにも同様の番組がある。
※2.録画中継-NBCが録画中継をするのは、時差のためではなく好きなように編集できるからだともいう。1968年のグルノーブル冬季オリンピックですら生中継が主に行われていたという前例もある。
http://www.newmediajournal.us/staff/grassi/02232006.htm
※3.アクセル-ノルウェーのアクセル・パウルゼンが最初に実施したジャンプ。後ろ向きに踏切る他のジャンプと違い、前向きに踏み切るため半回転多くなる。それだけ難易度も高い。トリプルアクセルなら3回転半である。