先日、デボラ・タンネン氏のコラムを紹介したとき、読みながらドキリとしたことがあります。それは親子間でも、善意でも、忠告をすること自体が、「あなたの行動は違っている」というメッセージを送っていることにもなる、というところです。
またある本では、「悩みを相談されたとき、女性は共感を表わし男性は解決しようとする」という趣旨が書いてありました。つまり、女性は「わかるわかる、私もそう」と親愛をしめそうとするのに対して男性は、「それはこうすればいいんだよ(こうするしかない)」と、役に立ちたがるというわけです。
なぜドキリとしたかといえば、上ふたつの例であるようなことを自分が経験しているからです。
ある女性と食事に行ったとき、食後に「こういう問題がある」と話をされました。私は即座に、「これこれこうした方がいい…」と言いかけたのですが、「私がグチ言ってるんだから、聞いてよ」と柔らかくかわされたのです。
また別のときにも、これもまた女性から「○×ちゃんは何時間でも話を聞いてくれる。あなたに話すと否定される」と言われたこともあります。もちろん、こちらとしては否定しているつもりはなく、アドヴァイスしている気でいるのです。しかし、たしかに「○○した方がいい」というのは「今の方法は違う」という意味でもあるわけです。
一見、悩み相談にみえる会話でも「解決」を求めているのではなく、「共感」(あるいは共有)を求めているとすれば、これに気がつかず、「それは××だから、○○した方がいい」という答えは、いくら善意でも否定されているように聞こえるのですね。
男というのは得てして「役に立ちたがる」生き物といえるかもしれません。言葉を換えて言えば、「自らを有能に見せたい」、とでも言えばよいのでしょうか。
相談→解決法という発想も、その現れであるのかもしれません。「渋谷から六本木だとどう行くのが一番いいの?」という質問と、「最近、△×さんとうまく行かない。このあいだも…」という相談に同じように"回答"を用意したがるのです。
役に立ちたがるというのは、ブログでも一緒かもしれません。Yahoo!ブログでも、私の印象だと男子のブログは「何かに仮託して自分を語る」というものが多いように見受けられます。つまり、多くのブログが趣味や専門分野で得た知識などを提供するものになっています。(しかし、結局はブログ主を通しているわけですから、自分を語ることに変わりはないのです)
これに対して、女子のブログの多くが「自分の日常をそのまま書く」というものです。つまり、女性は等身大の自分を提示するのにくらべ、男性はそのままの自分を出すことを憚るとでも言えばよいのでしょうか。私の見るところ、これも「役に立ちたがり」+「自分をそのまま書くことについての不安」、だと思います。(「自分の日常を書いても、読んでくれるんだろうか…?」)
コメントでも、男性は知識を提供したがりますね。(私もそういう傾向なきにしもあらず、ですが)よく長々とコメントを書いている方をみかけると、「お、やっとるな」と思ってしまいます。
また、「男性は褒められるのが好き」とよく聞きます。私はあまり気にしないと(自分では)思うのですが、他の男性はどうなんだろう?とは気になってもいました。
あらためて考えてみると、たしかに褒め上手な方(感心上手な方といってもよいか)のブログには、男子の固定ファンが多いようにも思えます。
立ち返って見ると、「役に立ちたがる(有能さを見せたがる)」=「褒めてもらいたい」、ということでもあるのでしょうか。わかってはいても、気を抜いて話を聞いていると、「それは、○×した方が…」と言ってしまうんですね。
とりとめのない話ですが、奇しくも、ゆでたまさん、おみかん、lapisちゃんチで「悩み」についての記事があったので、こんなことを考えたのでした。