少年探偵団シリーズ 江戸川乱歩
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あるブログで江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズ再読の記事が載っていたので、つられてこちらも再読してみる。いまさら読んでみると子供の頃には気づかなかったことが多々あることがわかる。それらを雑談的に書いてみよう。


 

「少年探偵団」とは
「少年探偵団」シリーズは昭和10年に雑誌「少年倶楽部」講談社※1から依頼され、翌11年から同誌で連載がはじまった。乱歩はアルセーヌ・ルパンものを参考に「怪盗二十面相」を考案したが、「盗」はダメということになり「怪人二十面相」と改題した。

 

「怪人二十面相」は好評をもって迎えられ、昭和30年代まで書き継がれていき、昭和39年にはポプラ社から「少年探偵シリーズ」全46巻が出る。われわれが親しんで読んだのはこのポプラ社版だが、この中には乱歩が書いていない代作やリライトがふくまれており、現行シリーズでは28作品となっている。

 

「少年探偵団」は累計で1500万部を超えたベストセラーとなり、いまだにその影響は残る。去年公開された映画「K-20」でも大筋の設定は乱歩の作品からとられている。


 

偉大なるマンネリズム
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「少年探偵団」シリーズは一作(大金塊)を除き、すべて怪人二十面相(怪奇四十面相)が犯人役として登場する。二十面相は変装の名人で人造人間、夜光人間、黒魔人、仮面人間、宇宙人、野獣など、ありとあらゆるUMA的なものに変装仮装して東都を騒がす。

 

そして天下の名宝を予告状を出して盗もうと計画する。予告状を出された富豪、実業家、美術館等々は警察や探偵に相談し、明智小五郎※2や小林少年が防備に回る。

 

この際、二十面相が勝つ場合もあり明智が勝つ場合もあるが、2ラウンド3ラウンドがあり最後には明智側が勝つ。しかし、いくら捕まえても脱走したり、死んだと思っても偽装だったりするので結局元の木阿弥。

 

しかも、明智と二十面相はお互いをよきライバルだと思っており、「やはり明智か」「こんなことを思いつくのはひとりだけですよ」「あいつとぼくの考える力は同じくらいなのです」などと誉め合うシーンも多々出現する。

 

二十面相は、
*ひとを殺さない、
*狙うのは美術品、
といった特徴があり、盗んだ美術品を隠れ家の美術室に置いて眺めるのを至上の愉しみにしている。よく考えたら盗みのオペレーションをする資金※3はどうして入手していたのだろう。明智と戦う以外にもケチな盗みをやっていたり、あるいは美術品のうち二流のものを横流ししていたのだろうか…。


 

山手小説
「少年探偵団」シリーズの設定は、戦前~戦後にかけての東京山手である。しかも、今の千代田区・港区・渋谷区・世田谷区に集まっている。いくつかの作品から物語発端部分の地名を書き出してみると、

 

「麻布区※4.の、とある屋敷町に百メートル四方もあるような大邸宅があります」(怪人二十面相)
「ある日、麹町高級アパートの明智探偵事務所に…それは港区にすんでいる神山正夫という」(奇面城の秘密)
「場所は世田谷区のはずれの木下君のおうちです」(夜光人間)
「まるで、いなかのようなけしきですが…東京都世田谷区のはずれなのです」(搭上の奇術師)
「麻布区の六本木に近い淋しい屋敷町を…同じ麻布区の笄町にあるお家に帰る途中なのです」(妖怪博士)※5.

 

と麻布と世田谷に集中している。いまでは考えにくいが、物語が書かれた当時は麻布は「淋しいお屋敷町」であり、世田谷は山手の外れであった。駒沢公園のあたりにはゴルフ場があり、別荘地でもあったという。

 

実は奇遇にも私は深沢・広尾・麻布で育ち、「少年探偵団」の世界は世代が違ってもなじみの場所で展開されている。当時は気が付かなかったのだが再読してみると驚くべき偶然だと思う。※6.


 

格差小説
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なぜ山手が舞台となるかというと、「少年探偵団」の団員が山手の坊ちゃんだからだ。第一作「怪人二十面相」の舞台であり、「少年探偵団」をつくるきっかけとなった事件の羽柴家次男荘二はポプラ社版では高千穂小の5年生だが、初出では「学習院の生徒」となっている。姉は「門脇女学院」となっているが、これも山脇だろう。

 

「少年探偵団」員の親は実業家や企業経営者、大学教授が多く、家はお屋敷で女中、執事、支配人、運転手は当たり前のようにいるし、書生を置いている家すらある。いまではこんな家は数えるほどだろう。※7

 

しかも、「少年探偵団」は良家の子弟の集まりなので、夜間は活動禁止。代わりに同年代の「チンピラ別働隊」なる浮浪児の集まりがある。ここには正社員とフリーターどころではない格差社会が描かれている。


 

差別小説
「少年探偵団」シリーズは最近作でも50年前のものなので、「ちびくろサンボ」が絶版となる今では考えられない驚異の差別用語や蔑視が出現する。例えば、その名もズバリ「少年探偵団」(ポプラ社全集第二巻)には「黒い魔物」が出てくる。「黒い魔物」とは単に顔を黒くしたり黒い全身タイツを着て闇夜に出てくる悪党のことなのだが、途中からなぜかインド人という設定になる。「黒い魔物=インド人」という見立て自体も問題だろうが、その後に出てくる表現といえば、

 

「これもあの印度人だけが知っている、摩訶不思議の妖術なのでしょうか」
「運転手が印度人と分かれば小林君がそんな車に乗り込むわけがありません」
「二人の恐ろしい顔をした印度人が座っていました。墨のように黒い皮膚の色、不気味に白く光る目、厚ぼったい真っ赤な唇」
「二人の印度人は…魔法の力で祈り殺そうとしているのかも知れません」
「いくら大勢でも、僕達だけの力で、あの魔法使みたいな印度人を捕らえることは出来ないよ」
「奴等は神変不可思議の魔法使です。…何かの呪文を唱えながら、スーッと消えうせてしまったのかも」

 

何という印度人差別の連続でしょう。印度人蔑視発言で名高いJBM子爵や、印度嫌いで有名なぽんちんだってこれには顔負けです…。しかも、「印度人、印度人」と言っているが実際は顔にメーキャップをした二十面相の手下なのだ。とくに乱歩にインド人に恨みがあったと思えないので、悪気はなかったのだろうが、いまではこんな子供向け小説は出せないだろう。


 

天才から普通のひとへ
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もともと推理小説はシャーロック・ホームズ型の超人がその天才的頭脳をつかって難事件を解く形式がはじまりだった。※8 日本でも明智をはじめとして金田一耕助、神津恭介など探偵が活躍する推理小説が主流をしめ、探偵小説とも呼ばれた。しかし戦後、松本清張などが天才ではなく刑事ら普通人のねばりによって解決する、社会派と呼ばれる小説を書きはじめた。

 

もともと乱歩や横溝正史が描く小説は、怪奇や伝奇的背景をもとにしたものが多く社会派推理に比べると設定などにリアリティに欠けるきらいがあり、天才型推理小説は主流ではなくなって来た。※9

 

ポプラ社版が出はじめた昭和39年はオリンピックの年でもあり、高度成長期のまっただなかだった。消え去りつつある天才型推理小説は、少年探偵(団)という少年向け小説の形でかろうじて息を永らえたともいえる。

 

しかし、上記のような設定の無理やマンネリズムにも関わらず再読しても結構面白い。それは、やはり乱歩の物語設定のうまさと筆力、表現力としかいいようがない。乱歩は大人向け推理小説では連載をはじめても途中で構想につまり、中断・未完を何度も繰り返した。あるいはこうした大人向けでは無理だった突飛な発想が、少年向けでは逆に想像力をかきたてられる魅力になったのかもしれない。



 

※1.「少年倶楽部」は戦前から戦後まで50年にわたって刊行され、「少年探偵団」のほか「のらくろ」「冒険ダン吉」「月光仮面」「あヽ玉杯に花うけて」「敵中横断三百里」など数々の名作を生んだ。
※2.明智小五郎は初期の江戸川乱歩作品から出ているが、当初は少年物でみられるようなスーパーマンではなく、どっちかというと推理オタク的存在だった。そして「二銭銅貨」など初期の乱歩作品はトリック中心の本格推理でもあった。
※3.なにしろ、遊園地をつくったり、ヘリコプターを使ったり、何十人という部下を養ったり、いくつもの隠れ家を用意している。
※4.麻布区、赤坂区、芝区が合併してできたのが港区。
※5.いまの西麻布交差点南側付近が笄町、北側(六本木側)が霞町。ゆえに西麻布交差点は霞町の交差点だった。
※6.ゆえに「六本木から笄町」と書かれてあれば、子供の頃に残っていた実景を思い浮かべて読む。高度経済成長とともに変わり、バブルで完全に失われた風景だ。六本木ヒルズやミッドタウンの完成等いまでも変革は進んでいる。地価が変わり代が替わると昔ながらの一軒家がマンションになる。
※7.つまり賃金が上がったということだろう。人件費が安い東南アジア諸国や安い人件費が調達できるアメリカなどでは今でもこうした生活ができる。私が書生という言葉を聞いた最後は、堤清二が西武百貨店の会長のときに有望若手社員を自宅においているという話だった。セゾングループの経営悪化によって堤邸は売られ、マンションになったが、最高価格がひと部屋13億円ということで話題になった。
http://www.realplan.jp/premium_mansion/m11.jsp?rpmenu=20003
※8.最初の推理小説といわれる「モルグ街の殺人事件」にもデュパンという天才が出てくる。作者エドガー・アラン・ポーを漢字にあてはめたのが江戸川乱歩。
※9.いまではコーンウェルの「検死官シリーズ」など専門家が活躍するものなど「探偵」もさまざまな広がりを得ている。また、京極夏彦などは怪奇・伝奇型に新しい道を開いたといえる。